19-1. 空に星が綺麗

 ツバキの天幕を出たエンジは、放心状態で夜風にあたっていた。いつの間にか宴会は終了しており、さっきまでの喧騒が嘘のように静まり返っている。


(ぼくは一体、どうすれば……?)


 紅の計画を遂行させるか、それとも計画を打ち明けて青を逃がすか。勿論、逃がすべきだが、姉の命令にも背けない。


 とにかく少しでも考える時間が欲しいと、自分の天幕に戻る。すると中には、寝る準備を整えたライが待ち構えていた。


「よぉ、エンジ。やけに遅かったな。紅姫に何か言われたか?」


「いや! べっ、別に!」


 まさかライが自分の天幕にいるとは思わず、動揺を隠せなかったエンジは声が裏返ってしまう。これでは何かあったと白状するようなものだ。


「本当だろうな? 顔色が悪いようだが……」


「そんなことないよ! それより、どうしてここにライがいるの?」


「は? 夫婦だろ? 何か問題でも?」


「いやぁ~、特に問題は無いかな?」


 ライに凄まれたエンジは、今の状況を受け入れるしかなかった。とにかく、話を逸らすのには成功したので良しとする。


 どうやらライからも話があるようで、仰々しく床へ正座した。それにつられて、エンジも正面へ向き合うように座る。


「さて、エンジよ。最初に交わした契約を覚えているか?」


「黒い軍勢を打倒し、紅の国の復讐が果たされた時、ぼくはライの伴侶となる。勿論、忘れてないよ」


「そうか。ならば、今すぐ契りを交わそう」


「……具体的には、どうやるの?」


「接吻だ」


 ついに、この時が来たか。前々から覚悟していたとはいえ、いざやるとなると緊張する。このまま流されていれば、紫の足止めにもなるだろう。


 だが、ルリやミズを見殺しにはできない。かと言って、姉上は裏切れない。一人で葛藤するエンジは何も行動に起こせず、それが焦れったいライは苛ついてきた。


「……エンジからやれ」


 目を瞑り、待ち受ける構えのライ。室内に差し込む月明かりを浴びた彼女を見て、美しいと思ったエンジは様々な問題が頭から吹っ飛ぶ。


 そして吸い込まれるようにして、二人は口づけを交わした。ただ軽く、唇を重ねただけの接吻。一瞬とも、永遠とも思えるような、不思議な体感時間を経て、ゆっくりと唇を離す。


「……これで孕んだのか?」


 不安そうに、自分の腹部を摩るライ。その質問に対して、答えられる知識をエンジは持ち合わせておらず、代わりに刀の紫電が喋り出した。


『やれやれ、見ていられんな』


「そもそも見るな!」


 いくら温厚なエンジとは言え、己の情事を覗かれるのは抵抗がある。その気持ちはライも同じかと思いきや、あまり意に介さぬ様子だった。


 大戦が終わってから、彼女は以前のライと雰囲気が少し変わっていた。紫継承の儀を済ませたとは言っていたが、それにしても大人びた落ち着きを見せている。


 黒い軍勢を生産する、洗脳装置を破壊する時も淡々としていて、なおかつ絶大な威力を発揮していた。なんだか少し、気持ちが遠くなってしまったような、一抹の寂しさを感じる。


『子種を授かりたくば、我の指示に従え』


 で、現在の紫電は刀として顕現している。以前までは、持ち主の呼びかけによって出現していたはずなのに。


 それと関係があるのか、ライは何も疑問を挟まず、黙々と紫電の指示に従っては寝床の準備をしている。そして二人して布団の上に移動した所、またもや紫電は素っ頓狂な発言をした。


『まずは、互いに相手の服を脱がせ合う』


「何のために?」


『両者の気持ちを落ち着かせるためだ。いちいち理由を聞くな」


 なんて腹が立つ刀だろうか。相手が守護神であることを忘れてしまいそうだが、ライの要求を満たすためには従順になるしかない。


「……じゃあ、脱がせるよ?」


 こくりと無言で頷くライ。両手を万歳して上げ、服の裾を捲り上げると、たわわに実った胸が露わになった。どうやら、さらしを巻いていなかったらしく、突然の解放にエンジは気が動転した。


 ライの胸自体は、以前にも海で見たことがある。その時は野生児のような快活さで無防備だったが、今は少し恥じらっているようで、その初心さがエンジの血流を加速させた。


『では、婿殿。何も言わずに、目の前の乳房を揉め!』


「急に指示が雑になってない⁉」


『もはや説明不要! 本能に身を任せろ!』


 本能ったって、それが分からないから困っているのだ。また、なんだかいけないようなことをしている気持ちになって、突然の罪悪感が飛来してきた。


 その気持ちを見透かされたのか、ライは両手を広げる。


「……いいぞ、エンジ。来い」


 理性が瓦解した瞬間、無意識にエンジは彼女の乳房を揉んでいた。もはや反射の域である。本能には抗えず、ついつい彼は慣れない左手に力を入れる。


「あ…………」


 ライの喘ぎ声。脳味噌が溶けて、鼻の穴から出てしまいそうだ。体の全神経が左手に集中し、無心で胸を揉み続ける。


『その調子だ。筋が良い』


 全く嬉しくない誉め言葉を無視して揉む。この後どうするのか、思考できるだけの余裕が無い彼の耳に、またも紫電の指示が飛ぶ。


『次は乳首を吸え!』


「何なんだよッ⁉」


 あまりにも突拍子の無い助言のせいで、エンジの理性が現実に追いついた。今の行為が阿呆っぽく思えてしまう。


『貴様ァ! それでも男かッ!』


 どれだけ罵られようとも、紫電の指示に従うのは無駄だと判断する。だが同時に、現在の穏やかな時間を守りたいと思う。


 やはり、ライに紅の計画を打ち明けるべきだ。姉を裏切ることになろうとも、時間さえ稼げば説得の機会はあるはず。


 そう考えに至ったものの、突如として口を塞がれてしまう。接吻ではない。ライがエンジを抱き締め、胸の物量で圧迫したのである。


『おおおおおおぉぉぉぉーーーーーーーーッッ⁉⁉⁉⁉』


 声を出せないエンジの代わりに、紫電が興奮の雄叫びを上げた。


「うるっせぇな! 出てけ!」


 雰囲気ぶち壊しの紫電に対し、とうとうライも堪忍袋の緒が切れる。自分の愛刀でもお構いなしに、天幕の外へと投げ捨てた。


「よし、続きをやるぞ」


 先ほどまでの恥じらいはどこへやら。怒号と共に初心さは掻き消え、今度は妖艶な色気で攻め立てようとする。


「ちょ、待って! 話があるんだ!」


「話? そんなもん後にしろ」


 そう言うなり、ライはエンジの上衣を脱がす。そして押し倒すように覆い被さり、上目遣いで物欲しそうに見つめる。


 女性には様々な顔があると、エンジは思う。ライは元男だと聞いていたが、一度に複数の表情を使い分けるのは卑怯だ。


 おかげで、肉欲に溺れかける。だが、彼女の悲しい顔だけは見たくない。その想いが一線を踏み止まらせ、寸での所で快楽に浸りたい本能を抑え込む。


「待ってライ! ルリちゃんと、ミズが危ない!」


「いいか、エンジ。子作りは疚しいことじゃなく、神聖な営みなのだ」


「そうじゃなくて! 紅が今夜、同盟国を裏切ろうとしてる!」


 やっとのことで計画を伝えた時には、もう既に外では異変が起きていた。

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