17-3.エバーシルバー
どうしてボクは生まれたのだろう?
ボクが知る限り最も古い記憶は、真っ黒い背景に白い文字が浮かび上がる光景だった。その時点で自分が生まれていたのか、生まれる前だったのかは判別できない。
ただ眺めていた。文字の内容は理解していない。それとも刷り込まれていたのか。
どちらにせよ、ボクは生まれ落ちてしまった。そこに自分の意思は無い。ボクではない何か、本能が早くここから出してくれと叫んだ。
極端な話、生物は本能だけで生きられる。なぜなら、それこそが世界に与えられた役割だから。だが、人間は説明を求める。理解できないことを恐れる。知っていることを忘れる。
ボクは双子の弟として生を受けた。しかも王族の嫡男だ。順調に行けば、正統後継者の姉を支え、何不自由ない生活を送れる。
だが、ボクの髪色は世にも珍しい銀色だった。ゆえに不吉の象徴とされ、忌み子として扱われた。それだけでボクの人生は急転落。説明できないのに意味付ける。
何故か殺されはしなかったものの、日の光が遮断された部屋に幽閉されて育つ。そして後に、自分は耳が聞こえないのだと判明する。
ただ、どういうわけか相手の言っていることは理解できた。また、何者かが語り掛ける声が脳内に響く。そいつは己を守護神と名乗り、ボクの能力まで解説してくれた。
だから何だ? そんなことを知ったところで、ボクの運命は変えられない。そして気づく。自分も理屈っぽい性格になっていると。
何も無いことが怖い。存在することを否定されたボクは、まるで浮遊霊のように精神が彷徨っていた。自分が生きているのか、死んでいるのかも分からない。
そんな時だった。姉さんがボクの部屋に顔を出すようになったのは。
「ねぇ、貴方は誰?」
彼女は同年代の遊び相手がおらず、習い事の息抜きにボクと遊ぶようになった。彼女が自分の姉だということは、お喋りな守護神が後で教えてくれた。
「私の名前はアスナロ。貴方の名前を教えて?」
自分が誰なのか、自分のことなのに名前も答えられない。それが悔しくて泣きそうだったボクは、何を質問されても無言を貫いた。
元より、彼女の言葉は理解できても、ボクは言葉を上手に発音できない。すぐに諦めてくれることを期待したが、またも彼女はボクの部屋を訪ねた。
「これ知ってる? 双六って言うんだけど、一緒に遊ぼ?」
彼女はボクが喋ることを諦め、その代わりに遊び相手を求めた。何故かボクが譲歩する形となり、強引にも双六の決まりを覚えることとなる。
味を占めた彼女は、頻繁にボクの部屋へ来るようになった。時には頬を殴られた痕があっても、人の目を盗みながらボクと会おうとする。
おかげでボクは将棋、囲碁、花札の腕前が上達した。この三種目だとボクが強すぎるため、姉さんは双六をやりたがった。ボクは実力と関係の無い運が嫌いだったが、彼女といる間は不思議と心が安らいだ。居心地が良かった。
もう、自分が誰かなんて気にしない。と言うより、どうでもいい。もはや、自分が自分で無くても良い。ただ今は、誰でもない彼女と心を通わせる。
しかし、そんな時間は長く続かなかった。
「ここから出よう」
姉の突拍子の無い提案。今までの経験上、それは命令であり決定事項だ。なぜならボクは、異議を唱えることができないから。
隔離された部屋からの脱出。真っ先に思いつきそうなことなのに、どうしてボクはこの発想に至らなかったのか? なんてことを、姉さんに手を引かれながら思った。
そして、外の夜景を見て自覚する。どこまでも広がる自然。ボクは自由が怖かったのだ。無意識の内に、保護されることを望んでいた。
だが、今は違う。自分は誰でも良い。本能など知ったことか。ボクは役割を放棄する。などと開き直ればこそ、恐怖心を克服できた。
「じゃあ、気をつけてね」
姉さんが見送る。ボクは広大な大地を踏みしめながら、一歩ずつ前に進む。そして振り返り、練習していた感謝を伝えた。
「ありがとう」
自由の身になったものの、目的の無いボクは行き先すらも決められない。
それに銀色の髪では、どの民族からも警戒されてしまう。さらには草原の国から刺客が向けられ、ボクを連れ戻そうと戦う始末。
定住する土地も見つからぬまま、風来坊として旅を続けていた。いい加減に疲弊が積み重なってきた頃、風変わりな男と出会う。
「あんた、えらい奇抜な色しとるなぁ」
声をかけてきたのは、金髪頭で目隠しをした怪しい男だった。それに今まで感じたことの無い、独特な波形の音を発している。
「君にだけは言われたくない」
通常ならば警戒して臨戦態勢に入るところ、何故かボクは言い返してしまった。同族嫌悪か? 相手は気にした風も無く話を続ける。
「こりゃ失敬。俺様はキン言う者や。あんたは?」
「名乗るほどの者ではない」
「それ使い方、間違ぉてへんか?」
確かに。口下手なボクは黙秘権を行使するが、恥ずかしさで顔から火を噴きそうだった。
「天然かい」
緊張の糸が解れたためか、ボクとキンは暫く話し込んだ。どうやら彼も自分と同じような境遇で育ったらしく、自然と波長が合ってしまった。まぁ、彼はボクの想像する五倍くらいは壮絶な過去だったが。
「ほー、名前が無いんか。だったら俺様と同じで、あんたもギンでええやろ」
なんとも適当な名付け方。今まで悩んでいたのが馬鹿らしくなる。だが、ようやくボクにも名乗るべき名が与えられた。感慨深い。
また、キンはボクに計画を話してくれた。白い男性のこと、黒い軍勢のこと。自分達は特別な存在だから、計画に協力して欲しいと願い出る。
なるべく世界との関りは避けたかったが、どうやら逃れられぬ境遇にあるらしい。名前と同時に役割まで背負わされてしまった。
気が滅入る。なればこそ、ボクはキンの誘いに乗ることにした。明るい彼といると心が安らぐ。ボクだけは彼の味方でいたい。
あれだけ嫌っていた運命も、少しは悪くないと感じ始めた。
……走馬灯を見ていたらしい。
紅の姫が放つ火炎が大気ごと燃やした頃には、もう既にボクの意識は無かった。視界いっぱいが紅に染まり、そして黒に包まれる。
暗闇の中で微睡んでいると、どこからかボクを呼びかける音が響く。脳内ではなく、外から懐かしい波長を感じ取った。
光を求めて瞼を開ける。まだ自分が生きていたことに驚く。ぼやけた視線の焦点を合わせると、そこには幼い頃に生き別れた姉の姿があった。
「目が覚めましたか?」
聖母のような、慈悲深い笑み。ボクは彼女に膝枕をされているようで、起き上がろうにも首から下が動かなかった。
「ごふっ、ぐはぁ……」
肺に血が入っており、上手く喋ることができない。本来なら想像を絶する痛みのはずだが、どうやら痛覚さえも麻痺しているようだ。
「もしかして貴方、喋れたのですか?」
気にする所、そこか? こっちは再び意識を失えば死ぬ状態なのに、なんで姉は悠長に世間話を始めようとする?
それでいて表情は深刻なものだから、より一層ちぐはぐさが際立つ。死の淵でボクは笑ってしまいそうになり、大きく咳き込んだ。とても苦しいが、口の中にある血を吐き出すことに成功した。
そして呼吸を整える。残り少ない余生、無言を貫いた理由を説明することに、貴重な時間を割く暇は無い。ボクは前々から、彼女に伝えておきたいことがあった。
「ギン……。ボクの、名前は……ギン……だ」
貴方は誰? 最初に出会った質問に対して、ようやくボクは答えることができた。親友であるキンとの約束が潰えた今、これだけがボクの心残りである。
「私の弟、ギンよ。良き名前を授かりましたね」
ボクの名前を知った彼女は、心の底から嬉しそうに笑う。そして泣いた。大粒の涙がボクの顔に滴り落ちる。ちぐはぐだ。
そうか、ボクはアスナロ姉さんの弟、ギンだ。貴方にボクの名前を呼んで欲しかった。
願いが叶ったことに満足したボクは、ゆっくりと瞼を閉じる。
どうしてボクは生まれたのだろう?
死んだ今も答えは見つけ出せない。逆説的に考えよう。つまりこれは、ボクが生まれた意味は無いという結論になる。
だが次は、意味が無い意味を考えてしまう。意味が無いことに意味があるのか? 果てしない意味付けに、頭がおかしくなる。
端的に言って、理屈で説明できないことは狂っているのだ。だから世界について考えれば考えるほど、その人は気が触れてしまう。
調べて実験すれば、効果は判明する。だが、その効果を持っていることの説明は誰にもできない。なんで白い男性になれば、世界改変の権限を持つ? その方法も狂っている。
もはや神の領域だ。そして神の存在は理から外れている。
あえて言おう。この世界は狂っている。
しかし、最後に見た姉の笑い泣き顔。あの感情は何だったのだろう?
嬉しいのに泣いて、悲しいのに笑う。本能でも理性でもない、ちぐはぐ。子供の頃から天真爛漫だった、彼女のなせる技だろうか?
そう言えば、キンからもボクは天然だと言われたっけなぁ……。
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