10-2.Price
エンジの提案により、火山の麓にある紅の隠れ里へ向かう旅の一行。目的地へ近づくにつれ、ついついライは口から正直な感想を漏らす。
「こんな場所で人が住めるのか?」
殺風景な草原から、ごつごつとした岩場の火山地帯へ。煙っぽい乾燥した空気に、鼻孔を突き刺す硫黄の匂い。まるで死を想起させるような環境下であっても、何故かエンジは平気そうな顔で答える。
「まぁ、ちょっと暑いくらいかな?」
「暑いどころでは済まされないのじゃあ。空気が熱されておるぅ」
青の国でも夏は強い太陽の日差しで気温が上昇するが、冷たい潮風が家屋内を通り抜けるため暑さは緩和されている。しかし火山に吹くのは熱風であり、呼吸さえも辛そうなルリがいる一方で、エンジだけは普段と変わらぬ調子だった。
「他の国と比較したことはなかったけど、紅は熱さに対する耐性を生れながら保有しているのかも。だとしたら、昔は火山を住処にしていたという情報も信憑性を帯びてくるね……あ、あそこが隠れ里だよ」
誰も話を聞いていない。早く休ませてくれという気持ちで一致していた。視線の先には見張り役の男性が立ちはだかっている。
「警戒されないよう交渉してくるから、ここで少し待ってて」
ライは一度、青の国の門番と一触即発の雰囲気になったことがある。ただでさえ過酷な暑さ体力を消耗している中、これ以上の面倒事は避けたいため、素直にエンジの指示に従い待機することにした。
遠ざかるエンジの背中を見守るライ達。そして近づこうとする人影に、見張り役である紅の民が気づいて声をかけた。
「紅姫様! ようやくお戻りに……あの者達は……?」
「ぼくは姉上のツバキではなく、弟のエンジです。黒に処刑される直前で紫に救われました」
「こ、これはこれはエンジ様! よくご無事で! さぞかし紅姫様も喜ばれることでしょう!」
感激する民をよそに、エンジは毅然とした態度を崩さないまま問いかける。
「姉上は何処へ?」
「草原の国にて、紅姫様自らが同盟の交渉に出向いております!」
「では一刻も早く草原の国へ向かいたいところですが、その前に里へ通してください。調べたいことがあります」
「……し、しかし、他国の者を通すわけには」
「構いません。彼女達は仲間です。既に紫、青とは協力する約束をしました」
「かしこまりました。では、こちらへ」
やはり自国の民だけあって、滞り無く話が進む。エンジは後方にいる仲間達に向かって、大声で呼びかけた。
「許可が取れたよ! 皆に見せたい物があるんだ!」
そう言ってエンジが案内したのは里ではなく、更に火山の奥を登った所だった。だが道は人工的な石段に整備されており、上空は多少なりとも空気が澄んでいる。
「お、壮観さー」
ミズは呑気に火山から見える風景を楽しんでいた。確かに地平線の彼方まで見渡せる自然は美しいが、それよりもアサギは紅の隠れ里を見下ろす。
「洞窟ではなく、岩を積み上げた家か?」
「木だと燃えるからね」
当たり前のようにエンジは答えるものの、それだと室内は蒸し風呂状態である。どう考えても快適な住まいとは思えないが、これが彼ら本来の生活なのだろうと、紅の民を尊重したアサギは自己完結する。
そうして異文化には触れられないまま、エンジ達は真っ赤な鳥居の下へと辿り着いた。鳥居を潜った奥には、石で作られた小さな建物がある。
「ここが紅の祠。ぼくの見立てだと、この祠に土地神が祀られているなんだけど、同じ守護神として紫電は何か感じる?」
エンジの質問に対し、紫電は蝶々の姿となって答える。
「気配は何も感じぬが、何かの存在感があるのは分かる。おそらく、この祠は神を祀っているのではなく、封印しているのではないか?」
「封印? 何のために?」
「さぁな。まだ記録媒体の無かった時代は、祭儀による伝統で後世に情報を残すしかなかった。何か思い当たる伝承などは無いか?」
「……こんなことなら真面目に勉強しておけば良かった」
頭を抱え後悔するエンジを見かね、ルリがいくつかの例を挙げる。
「青の有名な童話で言えば乙姫、青太郎じゃのう」
「知らないなぁ。紅で有名なのは鬼頭巾、鬼狐、三人の小鬼とかだけど」
「見事に鬼ばかりじゃな。普通、鬼は忌むべき者ではないか?」
「何を言ってるの? 鬼は英雄だよ」
「は? んな馬鹿な。紫はどうなのじゃ?」
青の童話も、紅の童話も、紫の図書には無い。知らない話について意見は言えないため、ライは自分が特に好きな物語を挙げる。
「紫には鬼退治の話もあるが、それより面白いのは七人の女神だろ」
これは紅、青、緑、黄、紫、橙、藍の因子を持つ、七人の女性が世界を創世する物語だ。それぞれが契約した守護神を従え、世界の脅威と戦う過程は子供心をくすぐった。あの頃は女性を羨ましいと思ったが、思わぬ形で夢が叶うことになるとは……。
「世界最古と名高い御伽話か。確かに子供の頃は憧れたな」
珍しくアサギと意気投合するも、随分と話が逸れてしまった。どうやら七人の女神は一般的な童話らしいが、紅だけの伝承と言うには的外れである。
「どちらにせよ、得体が知れない存在の封印を解くわけにはいかない。ここの祠は後にして、一刻も早く草原の国へ急ごう」
そう言ってライは引き返そうとするが、エンジは頑固にも食い下がる。
「でも、紅の守護神たりえるのは、きっと火山の土地神だけなんだ」
「だとしてもエンジが依代になる必要は無い。黒い軍勢に対抗する守護神は、紫電と青嵐だけで充分だ」
「自分の国は、自分で守る」
ライを見つめ返すエンジの瞳には、強い生命力の炎が宿っていた。そういえばライが元男だと判明して以来、伴侶となる約束は有耶無耶となっていたままだ。この際だからエンジの気持ちを確認しようとしたところ、見張り役の男が慌てて割り込んできた。
「エンジ様! 緊急事態発生です!」
「何事でしょうか?」
「使いを出し草原の国を監視していたところ、黒い軍勢の一団が接近しているようです! このままでは紅姫様の身に危険が及びます!」
火山から草原の国がある方向を見やると、確かに不自然な黒い煙が上がっている。
「今から行っても間に合わない……!」
火山から草原の国へ着くまで、徒歩では数日ほどかかる。黒い軍勢が草原の国を襲うまで一日、壁の防御を破るまでに一日かかるとして、どれだけ甘く見積もっても駆けつけた頃には全てが終わっているだろう。
自分が紅の隠れ里に生きたいと言わず、真っ直ぐ草原の国へ向かっていれば最悪の事態には陥らなかった。ライが言う通り姉上の保護を最優先すべきだったと己を責める中、エンジの視界に寂れた祠が入った。自分が依代となれば離れていようと、守護神の加護により姉上の窮地を救えるかもしれない。
「ライ、ごめん……。ぼくはもう何も失いたくない。だから危険だとしても、一つの可能性に賭けてみたいんだ」
エンジは国に縛り付けられている。そしてライもまた、彼が得るはずだった自由を手放させた。だからこそライは、エンジの意志を貫き通してやりたい。その結果、約束が反故されたとしても、最後を決める彼の権利は誰にも侵害されないはずだ。
「好きにしろ。もしも悪霊の類だったら、オレが斬り捨ててやる」
「ありがとう」
お礼を言って安堵するエンジの微笑みは、果たして信頼の証なのか? 彼と彼女は恋と戦争の運命に翻弄されていく。
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