9-2.北上のススメ

 夜が明けた次の日。出発してからの昼休憩で、エンジが一つの提案を持ちかけた。


「草原の国へ向かう前に、ちょっと寄り道しても良いかな?」


 ライは青の国から大量に持って来た、食材を調理しながら話を聞く。


「どこへ行くかによる。オレは紅の姫との合流を優先したい」


「紅の隠れ里が火山の麓にあるんだ。草原の国へ行く前に、姉上が戻ってないか確認したい」


「それならば最初から紅の隠れ里へ向かえば良かろう?」


 旅の一行は草原の国を目指していたため、ルリは当然の疑問を口にする。


「あの時は皆に正体を隠してたし、できれば隠れ里も秘密にしたかったからね。でも今は守護神の存在が気になるんだ。昔は火山を住処にしていたらしいから、もしかしたら土地神がいるのかもしれない」


「例え土地神がいたところで、依代がいなければ意味は無いのでは?」


 アサギも土地神や守護神など、基本的な情報はルリから聞いていた。だが、そのような指摘もエンジの想定内である。


「うん。そうだけど、土地神の依代になること自体は、実はそんなに難しいことじゃないと思う。ミズもライも、いつの間にかいたって証言してるし、それならぼくも依代になれる可能性はあるはず」


「エンジが依代になるのか? オレは反対だ。何が起こるか分からない」


「反対する当人が依代では、いまいち説得力に欠けるな」


 ライの反対意見を、アサギが茶化す。いつもならこの時点で喧嘩に発展するが、偶然にも真実に近づいていたため、ライは咄嗟に言い返すことができない。土地神や守護神の条件について、知識が中途半端なアサギゆえの奇跡である。


 そして奇跡というのは偶然の連続だ。ルリはまた二人が喧嘩することを見越して、その不自然な間を埋めるように補足説明をした。


「しかし、依代となった者は、肉体の一部を武器化する必要があると聞く。確かに危険性は侮れん」


 これを聞き捨てならないのがエンジである。ライは押し黙るしかない。


「肉体の一部? え、じゃあライは体のどこを武器にしたの?」


「? ライは兄上と同じ進行状態ではないのか?」


「いや、ライが出している刀あるでしょ? あれが紫の守護神こと紫電なんだよ。だから武器化という点ではミズよりも段階が進んでるはず」


「そうじゃったか。ならば、ライはどこを武器化しておるのじゃ? 見たところ欠損は無いようじゃが……」


 ついに、この時が来たか……。ライは天を仰ぎつつ、まだまだ悪足掻きをする。


「内臓の一部だ。守護神というのは言ってしまえば、命を掌握する悪魔のような存在だからな。軽い気持ちで依代になるのはやめた方がいい」


「ルリ。俺っちの背中に張り付いている海星を取ってくれ」


 気味悪がったミズは背中を向けるが、ルリは海星に触れることができない。その様子を見て守護神側から不満の声が上がる。


(人聞きの悪い。撤回しろ)


(悪魔と一緒にするな! そんな酷い事しないゾ!)


 守護神の声は誰にも聞こえないので無視。そう、守護神の声が聞こえるのは、依代に選ばれた人間だけ……。


「そういや青嵐が言ってたけどよぉ、依代ってのは男しかなれ――ぶべらっ!!」


「兄上ええええッ⁉⁉」


 口を滑らすミズの首筋に、ライは雷撃を纏った手刀を当てた。倒れ伏すミズを心配するルリのよそで、非常にもライは堂々と振る舞う。


「大丈夫かミズ! どうやら旅の疲れが出たらしい。彼はここで退場だ」


「あからさまな口封じだろ!」


「なんのことだろうか?」


 いつも口喧嘩するアサギとは、こちらが恍けておけば話し合いにならない。このまま誤魔化せば言い逃れできる。


「ライ、ぼく達に言えないことがあるの?」


「…………」


 エンジはライの善意に訴えかけていた。その少しだけ悲しそうな顔を見ると、ライでさえ良心の呵責に苛まれてしまう。


「自分を棚上げにするようだけど、もしも疚しいことなら早めに言った方が気が楽になるよ。ぼくはライが罪悪感を抱えたまま旅してほしくないんだ」


「そうじゃぞ。こなたもエンジが男だと知って驚いただけで、別に騙されたとかは思っとらん。無理して言う必要も無いが、どうかこなたらを信用してくれまいか?」


 エンジとルリ。まるで天使のような二人である。この二人になら、ライは何を言っても許されそうな気になってしまう。


「……言っても、これまで通り接してくれるか?」


「もちろんさ。生涯の伴侶となる約束までした仲でしょ?」


「エンジの前例もあるのじゃ。気兼ねなく言うてみい」


 確かにエンジも性別を偽っており、それに対してルリは全く責めなかった。ならば今や本物の女性になった自分は、嘘を吐くことよりも罪が軽い。という錯覚にライは陥り、とうとう観念して白状する。


「……実はオレは……元、男なんだ」


「え? 元って、どゆこと?」


「かかっ。ライは嘘が下手じゃなぁ。それではエンジの二番煎じじゃぞ?」


 やはり一度では事実を理解できない。仕方なくライは再度、先程よりも少しだけ、ほんの少しだけ詳しく説明する。


「……だから、そうじゃなくて……男から、女になったんだ」


「どうやって?」


 エンジからの率直な詰問。感覚が麻痺していたが、恋人が元同性だったと知れば、誰だって傷つくに決まっている。まるで責められているような気分になったライは、申し訳無く自主的に敬語で説明した。


「…………武器化……というのがありますね? つまり、男の象徴である……陰茎が刀になりました」


「ひゃあああッ!! いやらしい!!」


「…………」


 話を聞いていたアサギは悲鳴を上げる。あまりの卑猥さに発狂しそうな勢いだ。またエンジも絶句している中、ルリだけが言葉の意味を知らなかった。


「? 陰茎とは何じゃ?」


「お嬢様、その単語を軽々しく口に出してはいけませんよ? 私も実物は見たことがないのですが、男性の局部に生えているものらしいです。お嬢様も婚姻できる年にまで成長すれば、素敵な殿方が教えてくれます」


「ほう……エンジよ、見せてくれぬか?」


「嫌だよ! アサギの話聞いてた⁉」


「けちじゃのう……。ま、それが無くなると、男が女になるわけじゃな? こなたはライが元男だと知っても抵抗は無いが、兄上が女になってしまったら嫌じゃなぁ……」


 アサギ、エンジ、ルリ。まさに三者三様の反応だが、転んでもただでは起きないのがライである。ライはルリの勘違いを利用し、エンジが依代にならないよう画策した。


「そうそう。だからエンジは依代になるな。宿命を背負うのはオレだけでいい」


(騙されないでルリ! そんな卑猥な一族は紫だけだゾ!)


(紫を侮辱するとは死に値する。抹消されたくなければ黙れ)


 守護神の力関係では、段階が進んでいる紫が上。そしてミズは気絶。もはや誰にも介入できないと思いきや、またもルリが想定外の言葉を口にする。


「こなたはエンジが女子になってくれた方が嬉しいがのう……」


「ええっ⁉ 何を言い出すの⁉」


 驚愕して身震いするエンジに対し、事の重大性を理解していないルリは淡々としている。


「女になれる方法があるのなら、男よりも女の方が社会的に有利じゃろ」


「百理あります」


 アサギという賛同者がいるせいで、ルリの意見は歯止めが効かない。おかげでライも意図せずして、余計なことを口走ってしまう。


「いやいや、それだと子孫を残せないだろう」


「何故じゃ? 女同士だと子宝に恵まれんのか?」


 純真無垢なルリの疑問。だが、この場には生命の神秘を伝えられるほど、性知識が豊富な智者が存在しなかった。誰もが沈黙するしかない。


「やれやれ。見ていられんな」


「おおう、蝶々が喋っておるのじゃ!」


 蝶々の姿に変化した紫電を見て、ルリの気分が高揚する。


「お初にお目にかかる。我こそが紫の守護神こと、紫電と申す。今回は人生経験の浅い若輩者に代わり、先達者として我が直々に性教育を施してやろう」


 そう得意気に言うと、紫電は手頃な木の枝を操り、地面に絵を描いて見せる。


「まず、男性の陰茎についてだが……」


「「きゃああああッ⁉」」


 絵を見た途端に絶叫するルリとアサギ。そこに守護神と会えたことの喜びや敬意は無く、ただ一目散に逃げ出していた。


「目を背けるな! 授業中に叫ぶとは失礼極まりない!」


 叱責する紫電を、ライは思い切り怒鳴り散らす。


「馬鹿! 絵が生々しいんだよ! 無駄な画力を発揮するな!」


「これは医療行為だ!」


 そう紫電が主張すればするほど、何故か変態親父の言い分にしか聞こえない。おかげで良くも悪くも騒動に紛れ、ライが元男だったことは有耶無耶となった。

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