第三章

7.水流のロック

第三章


 長閑な村の田園風景。照りつける太陽の日差しが差す下、鍬を持って畑を耕す三人の男女がいた。


「らっせーら! らっせーら!」


 元気良く掛け声を出して、三人は息の合った動きで土を振り起す。その手際は非常に良ろしく、どんどんと素早く畑が耕される様子を見るのは爽快だ。


 だが、畑の全体は広大である。いくら農作業を効率化しようとも、三人では圧倒的に数が足りていない。


「やってる場合か!」


 三人の内の一人、黒髪の女性が堪え切れず、怒りに任せ鍬を投げ捨てる。彼女が暴れ回る前に、三人の内の男性が慌てて取り押さえた。


「姫! 辛抱なさってください!」


「スオウ……この馬鹿者! こんなことをしている間にも、紅の民は傷つき苦しんでいる! ウメよ、今すぐ草原の乙女を呼んで参れ!」


「はっ! ただいま!」


 ウメと呼ばれた、もう一人の短い黒髪の女性が命令に従い、この場から迅速に離れる。この命令を出した女性こそが真なる紅の姫、ツバキである。


 使いに出したウメが戻ってくるのを待っていると、やがて深緑色の長い黒髪の女性がやって来た。彼女こそが草原の国の姫、アスナロである。アスナロは涼しい顔をして、激昂しているツバキに問いかけた。


「何事ですか?」


「いつまで開墾させるつもりだ! 予は農作業をするために草原の国へ来たわけではない! 憎っくき黒を打倒すべく、緑と条約を結ぶため来訪したのだ!」


「ですから、草原の地を返還していただければ協力すると何度も言っているでしょう」


「それはならん! あの平地は紅の先祖が勝ち取ったもの! 予の代で易々と返上するわけにはいかぬ!」


「ならば交渉決裂です。お引き取りを」


 どれだけ主張を唱えようとも、議論は平行線だった。ツバキも歴史に負い目はあるものの、土地を返上したのでは紅の民が住む場所が無くなるため、どうしても条件を譲歩するわけにはいかない。


「このままでは草原の国も黒に滅ぼされるぞ!」


「それが神の啓示であるのなら」


「狂信者め! ここにいても時間の無駄だ!」


「お待ちください姫様! 国の外へ出ては危険です!」


 踵を返して草原の国を出ようとするが、またもスオウに取り押さえられる。実際、この国を出たところで他に行く当ても無い。青は緑以上に犬猿の中であり、苦労して船に乗っても期待度が薄い。


「こちらからの条件を呑めない以上、客人としてもてなすことはできません。せめてもの情けとして匿うことは許しますが、働かざる者食うべからず。引き続き農作業に励んでください」


 青と比べれば、まだ緑の方が話を聞くだけ好感を持てる。ならば時間さえかけて説き伏せれば、黒の脅威を理解して協力してくれるかもしれない。そのためには農作業に従事し続けるしかなかった。


「だああぁぁッ! こんちくしょうがぁぁーーッ!」


 亡国である紅の姫が、草原の国の畑を耕す。あまりの屈辱にツバキは耐え切れず、大声を出しては鍬を力強く地面に振り下ろして怒りを発散させる。側近の二人も後に続いた。


「らっせーら! らっせーら!」


 不本意ながらも、農作業の腕は向上していく。なんだか本末転倒な気もしながら、三人は再び仲良く土を掘り起こす。


 ×   ×


 広大な大地と海の境目となる岸辺に、複数の船が行き着く。その中にある、とりわけ大きい船から一人の少女が降り立とうとしていた。


「さぁ、ルリ選手。とうとう前人未到の地に足を踏み入れます! この日を一体どれだけ待ち望んだことでしょう? 青の国から出たことの無かった一人の女子が今、陸に上がったああああッ!!」


 ルリ本人が語り手となり、やや大仰な振りで降り立った。よほど嬉しかったのだろう、隣で見守っていたアサギが盛大な拍手を贈る。


「流石は姫、いや、お嬢様! 念願であった大陸に到達したこと、アサギは非常に嬉しゅうございます!」


「置いてくぞ!」


 茶番には付き合っていられないと、ライは大声で怒鳴った。先に船から降りていたライ、エンジ、ミズは既に出発の準備を終えている。


「ま、待つのじゃあ! こなたを置いて行くでない!」


 生真面目なルリは素直に従うが、頭でっかちなアサギは反発する。


「おい紫! 同盟国の姫に向かって、その口の利き方は何だ⁉」


「姫じゃなくて、お嬢様だろ? ここは青の国でもないし、旅に連れて行く約束もした覚えはないが?」


 青の国と同盟を結べた今、次の目標は草原の国である。実際に協力を得るのは、黒い軍勢と全面戦争する準備が整ってからで良い。それなのに何故か、ルリとアサギも旅に同行する流れとなっている。


「こなたは、どうしても守護神の謎を知りたいのじゃ! そのためには、そなたらに付いて行った方が効率的なのじゃ!」


「だったら、もう態度を改める必要は無い。例え一国の姫だろうと、一人の仲間として平等に扱う。それが嫌なら帰れ」


「貴様ぁ……この献身的な女子に対して、言う台詞がそれだけかぁ……?」


「まぁまぁ! 戦力が増えるのは喜ばしいことだし、仲良くしようよ!」


 一触触発の雰囲気を醸し出すライとアサギを、エンジが仲裁するのも見慣れたやりとりだ。青の二人が同行する理由は理解できたが、もう一人の男が自然といるのは疑問が残る。


「それは良いが、なんでミズもいる?」


「旅は道連れ、世は情け。なんくるないさー」


「こ、こなたがお願いしたのじゃ! その男は守護神の鍵を握っておるでな。観察したい」


 ミズは自分の根源を探るために青の国へ行ったはずだが、実はあまり目ぼしい情報を得られなかった。ただ本人も生まれ故郷に行けただけで満足したらしい。


 それよりも、ライはルリの発言に興味津々だった。


「ミズが守護神の鍵? それは本当か紫電?」


(真実だ。ミズは青の守護神の依代となっている。まだ定着していない繊細な時期なのでな、できるだけ干渉は避けたいところだ)


 ライの場合は紫電が最初からいたため、他の守護神がどのようなものかは知らない。また紫電も他の守護神に対して、下手に関わったりできないようだ。


「今話しているのは、紫の守護神か? どんな姿をしておる?」


 紫電の話に耳を傾けていると、ルリが好奇心旺盛にライを見つめていた。その眩しい視線を無下にはできず、ライは質問に答える。


「ああ、まぁ今は普通の人間に見えるが……?」


「これを見てくれ! 海星が見えるか?」


 強引にライの手を引っ張り、ルリが見せたものはミズの背中である。刺青の模様で気づかなかったが、確かに海星がミズの背中に張り付いていた。


「何? うわ、気持ち悪ッ!」


(気持ち悪いとは失礼な! 海で溺れていた紫と紅を助けたのは自分だゾ!)


 つい正直な感想が漏れたところ、頭の中に声が響いた。どうやら目の前の海星から発せられたようだ。ライはまだ自分が男だった時の、紫電と会話していた感覚を思い出す。


 さらに言えば、黒に追われて嵐の海に落ちた際、助けてくれたのも青の守護神らしい。紫電からの救援要請に応えたのこと。まさかの命の恩人だった。


「それは感謝する。だが、何故よりによってミズを依代に選ぶ?」


(自分だって知らないゾ! 依代は選べるわけじゃないからな! 男性という条件が最低限あるだけ!)


 初めて聞く情報である。道理で紫には男児しか生まれないという、謎の呪いがかかっているわけだ。だが何故、性別が重要な条件になるのか考え込もうとしていると、そわそわしてきたミズが問いかける。


「もしかしてライ、この謎の声と会話してんのか?」


「……そうだが?」


「おお、心の友よ!」


「馬鹿! 抱きつくな!」


 ようやく理解者が現れたことで感激したのか、ミズは人目も憚らずライを抱擁する。引き離すのにライが苦戦しているところ、何故かルリが張り合ってきた。


「こなたも海星が見えるのじゃ! 声は聞こえなくなってしまったがのぉ……」

「海星? 俺っちの背中にいるのか? どこ?」


 まさか謎の声に実体があるとは思わず、ミズは背中に手を回すも触れられない。どうやら守護神が見えるのはライとルリだけのようだが、別に彼は落胆すること無く礼を言う。


「でも、教えてくれてありがとう」


「わぁ⁉」


 今度は抱きつかず、ミズはルリを肩車した。その少し離れた所では、槍を構えるアサギをエンジが必死に宥めている。


「ミズよ……その……兄上と呼んでも良いかのう?」


 何を血迷ったのか、恥ずかしそうに頬を赤らめながらルリが要望する。彼女にとってミズは、窮地に助言を与えてくれた英雄のような存在だった。


「なんくるないさー」


 何も考えていないミズが了承したところ、とうとう我慢の限界に達したアサギがエンジを押しのけ対抗する。あわやミズが半殺しになると思いきや、激しく主張しながら挙手してルリの前に躍り出た。


「はいはい! 私のことは姉上とお呼びください!」


「ほほぉ、それも良いかもしれんのう。アサギ姉上」


「ふぎゅうううう!!」


 ルリの笑顔に心臓を射抜かれ、アサギは地面に倒れ込み悶絶した。そんな彼女達の様子を見て、ライとエンジは賑やかすぎる旅の行く末を案じた。


 ×   ×


 青の国から海を渡り、大陸を横断して草原の国へ向かうライの一行。さっそく獣の群れに遭遇するも、黒い軍勢を退かせた彼女達の敵ではない。


 難なく敵を掃討する中、術の威力が上がっていたルリは感心していた。


「やった! 生まれて初めて物怪を倒したのじゃあ!」


「お見事です! お嬢様!」


 拍手して褒め称えるアサギ。ただの四足獣だったのだが、海にいる青の民からすると異業種に見えたらしい。とはいえ、獣にしては獰猛なのが多いように思える。これも土地神の力が影響しているのだろうか?


 紫の一族として考えに耽っていると、紫電がライへ語りかけてきた。


(ライよ、青の女王に占星術の使用は控えろと忠告しておけ)


「何故だ?」


(未だに守護神が顕在化していない状態で、あの娘は願望の回路を開いている。このままでは力を受け流せず心が壊れるぞ)


「言ってる意味が理解できないんだが?」


(ならば、我の説明する通りに伝えろ)


 いつになく真剣な紫電の言葉を汲み取り、仕方なくライは指示に従うことにした。戦闘後の休憩中、さりげなくルリを呼び出す。


「ルリ。ちょっといいか?」


「どうしたのじゃ?」


 てくてくと、ルリは小さな歩幅で近寄ってくる。なんとも庇護欲をそそる仕草だったが、ライは気遣わず単刀直入に切り込んだ。


「あまり占星術は使用しない方がいいぞ?」


 はっきりしないライの物言いに、ルリは違和感を覚える。


「……守護神からのお告げかの?」


「そうだ。青の守護神が顕在化していない状態で、願望の回路を開くと心が壊れるらしい」


「心が? 顕在化とは何じゃ? それでライは平気なのか?」


 尤もな質問が多い。話の流れは分かるが、言葉の意味が理解できない状態のようだ。ライは丁寧に順序立てて説明した。


「顕在化とは、その名の通り守護神が実体として現世に留まっている状態のことを指す。ただ依代に憑いているだけでは加護の恩恵を受けられないため、肉体の一部を武器化することで顕在が完了するとのことだ」


「なるほどのぅ。では、武器化するにはどうしたら良いのじゃ?」


(性への目覚めだ)


 それは紫だけだろ。まさか年端のいかない少女に向かって、男の陰茎がどうのこうのと性教育するわけにはいかない。ライは頭を悩ませつつ言葉を選んだ。


「守護神が依代の肉体に定着する必要があるらしい。紫は幼少の頃から慣れさせていたが、何の訓練も受けていないミズは時間がかかるだろう」


 即席で考えたにしては、実に尤もらしい理由になった。ルリも納得したらしく一件落着かと思いきや、その日の夜にまた一悶着が起こるのである……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る