6-4.水琴窟 -SUIKINKUTSU-
場面は打って変わり、城の高台にて引き続き術の詠唱を行うルリ姫。他にも多数の占導師が支援するが、一向に大占星術が完成する目途が立たない。
だが、必ずや黒船の大軍を撃退すると信じ、青の民は健気に大砲から占導師達を守っている。そんな国民の期待と信頼を一身に受け、ルリ姫は焦燥感から額に汗を浮かべている。
「見ちゃいられないさー」
事情を知らないミズは、幼いルリ姫の様子を見かねて近寄ろうとする。砲撃が頭上で爆破していようと、まるで散歩でもするような軽い足取りだ。
「おい、どこへ行く⁉ 持ち場を離れるな!」
これに困るのが現場を指揮するアサギである。勝手な行動をとろうとするミズを止めたいが、先程ライと言い争った失態もあり強く言えない。仕方なく防衛網の空きを埋める。
その間にミズはしゃがみ込み、ルリ姫と同じ目線で話しかけた。
「なぁ、嬢ちゃんは……どこに祈っている?」
真剣に詠唱を続けていると、不審な男がこれまた奇妙なことを喋っている。ただ何故か、ルリ姫は彼の言葉に引っ掛かりを感じていた。
「どこ……とな? 不思議なことを訊く奴じゃ」
祈るという行為は、神に対して向けられたものである。どこかと問われれば、どこでもない。そこに神は存在しないのだから。
そもそも占星術は神へ奉納するための行為ではなく、自分の中にある青の因子を呼び覚ます手順のようなものだ。決まった所作を効率的に実行するべく、先祖代々から研究されてきた叡智である。
だからこそ、ミズの指摘は根本的に間違っている。それなのに彼は淡々と、流暢に的外れなことを話し続けていた。
「国によって伝承は違えど、本来なら占星術は人間の手に余るらしいさー。それが使えているのは、ひとえに神の恩恵を受けているからだってよ」
「無礼だぞ貴様!」
息を切らせ、鬼の形相でアサギがミズの肩を掴む。そのまま引き摺ろうとしたところを、ルリ姫が片手を上げて制止する。
「よせ。何が言いたい?」
「あーー、つまり信仰? 何に対して祈るのか、よく考えた方が良い?」
言いたいことは伝えたのか、ミズはあっさりと防衛へ戻る。結局、どういうことなのかルリ姫は理解できなかった。
「貴様こそ何を考えている⁉ 加勢は有り難いが、無闇矢鱈と姫様に近づくな!」
「まぁまぁ。ライが何隻か無力化させたから猶予はできたよ」
怒りが収まらないアサギの叱責を、紅の姫が穏やかに宥める。紅の姫が言う通りライという名の紫は、単独で黒い軍勢を翻弄している。まさに一騎当千。同じ人間とは思えぬほど、常軌を逸した凄まじい力を発揮していた。
何故、紫にはできて、青にはできない?
そこでルリ姫は、ミズに言われた気がかりを思い出す。どにへ祈るのか? それなら紫こそ、どこへ祈っている? 祈る対象が存在する?
確かアサギからの報告には、守護神を見せることができるとあった。その時は下手な嘘と思い一笑に付したが、本当に神の力を身に宿しているのであれば、あの鬼神じみた戦闘力にも納得がいく。
しかし、青の国に神はいるのか?
男達が漁のために海へ出る際、水難事故が起こらないようにと祈祷する習慣は残っている。だが、それは海の神に向けられた祈りであり、青の守護神という明確な対象を奉っているわけではない。気休めだ。
そもそも本末転倒なことを言ってしまえば、宗教は国の秩序を守るための装置である。例えば漁師となれば勇敢と認められるからこそ、男達はこぞって危険な海へと乗り出す。自然は脅威と知っていながら、神となった英雄を崇める。その信仰によって民の行動を制限させつつ、命を顧みない兵士の育成が可能になる。
とはいえ、昔の話だ。今は神の存在に頼らずとも、女王の威厳により民は敬う。その求心力も将軍と二分されそうだが、裏を返せば民の行動は信仰への従属から、報酬による勤労へと変化していった証拠でもある。時代に合わせて経済が進化していく。まだまだ宗教の基盤は根強いものの、国の長として民の生活が豊かになるのは喜ばしいことだ。この文化を失わせるわけにはいかない。
……さて、以上を踏まえた上で、何に対して祈るのか再び考えよう。神がいる、いないについて議論するのは不毛だ。例えいなかったとしても、無意味なことだとしても、それが分かっていながらも、この世の何かを手に入れようとして、ひたすら人間は祈り続けてきた。無いのではなく、無が有る。
そこに無が有るからこそ、願望を持った人間も、自分の心を無にすることができる。祈りを通して無に触れることで、誰かのためを願った想いが聞き届けられる。これぞ神聖。ならば第一に祈るのは民のことだろう。
(ぷはぁ! やっと娑婆の空気が吸えたゾ!)
ようやく集中が深くなってきた頃、どっかの阿呆が能天気な声を上げる。戦士達が命懸けで守っているというのに、まさか占導師が不届き者ではあるまいな。ちらっとルリ姫が瞼を開けると、目の前に二足歩行の海星が出現していた。
「海星⁉ 喋った⁉」
思わずルリ姫が驚愕した瞬間、謎の海星の姿は消えていた。戦場では幻覚を見やすいらしいが、これも何かの見間違いか? いや、幻にしては鮮明に脳へ焼き付いている。
それに万が一の可能性も無きにして非ず。心を無にして神へ祈りを捧げた頃合いで現れたということは、あの海星が神そのものであるかもしれない。あの海星が? 最悪の事態を想定したルリ姫は、再び祈ることに集中した。
(おいおい~。出て来て早々、幻滅しないでほしいゾぉ)
あっさり海星が再登場する。他の占導師達が騒がないため、どうやらルリ姫にだけ見えている存在のようだ。この海星が青の国の神だとは信じ難いが、また消えてしまっては事態が好転しない。すぐに彼女は海星を神と認め、機嫌を損ねないよう慌てて謝罪する。
「ご、ごめんなさい!」
(まぁ良いってことよ! 改めまして、我こそが海の土地神こと青嵐! 信仰心の大きさ次第では青を守護してやるゾ!)
「ありがとうございます。こなたは青の女王ことルリと申します。この度のお力添え、誠に感謝いたします」
(そういう堅苦しいのはやめよう! ほら、今は詠唱に集中して!)
威厳もへったくれも無い。緊張感に欠ける。想像していた神の姿と相違があることに戸惑いながらも、ルリ姫は指示に従い詠唱を続けた。
すると確かに、体の内側から力が溢れてくるのを感じる。まるで自分の中にある青の因子が喜んでいるようだ。正直に言って海星のことは半信半疑だったが、やはり神の力は偉大だと認めざるを得ない。
「姫様! 叫び声が聞こえましたが、いかがなされました⁉」
自分も大砲からの防衛で満身創痍だというのに、心配したアサギが様子を見にやって来る。ルリ姫は青の民を激励するように、戦場の空気を一喝した。
「案ずるでない! これより一世一代の大占星術を敢行する! 良いな、皆の者!」
ルリ姫の言葉を聞いた青の民は気を引き締め、一様に盛大な雄叫びを上げる。それらと呼応するように、ルリ姫が溜めている力も益々と増大していく。
誰に対して祈るのか。ようやく意味を理解できた。青の女王の役目は祈りで己の心を無にし、民の願いを無に触れさせる転換装置として機能すること。何故、こんなにも重要なことが忘れられていたのか? あの薄い青色の男は何者なのか?
とりあえずの疑問は置いておき、まずは敵を殲滅してから調査しよう。詠唱が終わり充分に力を溜めたルリ姫は、目標の黒船に向かって術を行使した。
「青天流集大成占星術・青天霹靂」
ルリ姫が術を放った突如、黒船が浮かんでいた海が真っ二つに割れる。足場を失った船は次々と海底へ転落していく。そして無力化しただけでは飽き足らず、天空から大量の水が出現し、滝のように凄まじい速度で叩きつけた。あわや何隻もあった黒船は粉砕され、残骸ごと海の藻屑として呑み込まれる。
城から一部始終を見ていた一同は、奇跡の光景を目撃して唖然とするしかない。まるで黒船など最初から無かったかのように、雄大な海は通常通り穏やかに佇む。
暫く誰も言葉を発せなかった後、やがて事態を理解した人々は静寂を破った。黒船と大砲から命の危険に晒されながらも、協力して敵の脅威から打ち勝ったことで、これ以上に無い高揚感を仲間達と共有する。
城に残り防衛網を築いていた戦士達も歓喜して、最大の功労者であるルリ姫を胴上げする。緊張の糸が切れたルリ姫は脱力し、なすがまま満足気に勢い良く勝鬨を上げた。
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