6-2.Säkkijärven polkka

 荘厳なる城内の廊下にて、アサギの後ろを歩くライとエンジ。ここへ来るまでに、様々な苦難に襲われた。海に呑まれ砂浜に打ち上げられ、青の港では追い駆けられ、筏に乗って海を渡るという、紆余曲折を重ねてきた自負を踏みしめるながら、とうとう二人は玉座の間へと入室した。


 非常に煌びやかな装飾が施された王座の間は、何故かもぬけの殻だった。青の民の護衛どころか。人っ子一人いない。どうやら、これから青の女王を呼びに行くようで、部屋の中央で待っているようにとアサギに指示される。


 取り残されて手持ち無沙汰になったエンジは、小さな声でライに話しかけた。


「そういえば思ったんだけど、どうして紫電は常に蝶々の姿にならないの?」


 紫電は今、人間の姿である。持ち主のライにしか視認できないというのに、彼は構わず話し始めた。


(本来であれば守護神が管轄する土地に、他の守護神が干渉するのは褒められたことではない。下手をすれば信仰を奪ってしまうからな)


 彼にしては珍しく論理的な説明だったので、それをライは聞いた通りに伝える。エンジも合点がいったようだ。


(主もアサギと名乗った信仰深い女を見習え)


 何故か不機嫌な紫電を無視していると、そのアサギが玉座の間へと戻ってきた。声高々と青の女王を迎え入れる。


「青の女王、ルリ姫様のご入場です」


 ライとエンジは片膝をついて備える。そしてかつん、かつん、と床を叩く靴の音が王座の間で静かに反響した。


「面を上げよ」


 許可を得てから顔を見上げ、女王の姿を確認する。王座に悠然と佇んでいたのは、まだ幼さが残る美しい少女だった。


「そなたらが紫と紅の姫か」


 ルリ姫は幼い見た目に反し、尊大な口調で話しかける。驚きを億尾も表情に出さぬまま、エンジは平然と受け答えた。


「はい。私が紅の姫ことアカネ。そして、こちらが紫のライと申します。ルリ姫様のご尊顔を拝したこと恐悦至極でございます」


「世事はよせ。そなたらは本来であれば一国の姫であり、こなたと対等の立場。気兼ねせず単刀直入に申すがよい」


「恐れ入ります。今回、世界を脅かす黒い軍勢に対抗するため、紅と青の国で同盟を結びたく参りました。どうか一緒に戦っていただけないでしょうか?」


「こなたも黒い軍勢には危機感を抱いておる。かつて最強と謳われた紅の民を蹂躙したのだから、このままではいずれ青の国も落ちてしまうよの」


 ルリ姫は己を過信せず、しっかりと物事を現実的に捉えていた。流石は国の頂点に君臨する人物だけあり話が早い。幼い見た目だからといって侮っては火傷する。


 このまま順調に協力関係を築けるかと思いきや、ルリ姫が発した返答は期待を裏切るものだった。


「しかし残念ながら、こなたには兵を動かす権力が無いのじゃ」


 動揺する気持ちを隠しながら、エンジは努めて平静に問いかける。


「何故でしょう? 青の国を治めているのはルリ姫様では?」


「女王が実権を握っていたのは昔の話じゃ。国の収益源として働く男達の発言力が増すにつれ、政を仕切る女王の権力は徐々に弱り、今となっては国の象徴として飾られているにすぎん。兵を出陣させたいのであれば、将軍を口説かんとのう」


 どうやら青の国も一枚岩ではないらしく、内部情勢が芳しくない様子だ。今にして思えば青の港も、門番の兵も統率がとれていない。青の女王の威光が届いているのは、アサギを含む一部の武芸者だけなのだろう。


 増援が期待できないのであれば、青の女王に頼るのは企画倒れである。これにはなんと受け答えすれば良いか、エンジもすぐには思いつかず迷っていると、玉座の間に一人の男性が入ってきた。


「この私をお呼びですかな? ルリ姫様よ」


「姫の御前で無礼であるぞ! 一体、何をしに来た⁉」


「珍しい客人を招いたと聞き及んでな。私にも紹介してくださらんか?」


 アサギが注意しても気にせず、ずかずかと男は歩み寄ってくる。もしかしたら国の重要人物かもしれないので、仕方なくライは名乗り出た。


「私は紫。こちらが紅の姫だ。そういう貴方は?」


「おお、貴女が紫ですか? お会いできて光栄です。申し遅れまして、私が青の将軍のピスマスです。紫とは今後とも仕事上の付き合いがしたいと考えています」


 なんと、彼が話に出ていた将軍のようだ。紅の存在を無視されるのは気にくわないが、増援のためならば無下にもできない。ライは可能な限り譲歩した。


「……まだ修行中の身ですが、黒い軍勢に対し兵を派遣していただけるというのなら、検討の余地はあります」


「なるほど。それは難しい話ですな」


「次の標的が青の国だとしても?」


「ご心配無く。我が国は海に囲まれた天然の要塞。海上では我らが優位にありますので、紅の手を借りずとも充分に応戦が可能です」


 それなら紫の手を借りようとしないでほしい。よほど地の利を活かした防衛に自信があるようだが、将軍の台詞が聞き捨てならないエンジは黙っていられなかった。


「お言葉ですが、黒は強力な武器を使います。きっと海上戦にも対応してくるでしょう。あまり甘く見ていると痛い目に遭いますよ?」


「ご忠告どうも。しかし我々にも戦術があるのでね」


 せっかくの貴重な情報も受け入れず、将軍は誰の話も聞く耳を持たない。これでは話し合いどころではないのを見かね、ルリ姫が苦言を呈す。


「……将軍よ。乙女の会話に殿方が割って入るのは無粋でござらんか?」

「おっと、失礼。では、私はこれにて」


 場の空気は読めるのか、意外と潔く将軍は退室した。その背中を見送って清々しながらも、ライの頭の片隅には懸念が残る。


「……よろしいのですか? 呼び止めなくて」


「これ以上は無駄でしょう。話し合いになりませぬゆえ」


 仮に青と同盟が結べたとしても、黒の打倒にむけて動き出せるわけではない。こっちはわざわざ海を渡って来たというのに、何も収穫が無ければ苦労が水の泡だ。


 今後の対策を考え込む一方で、ルリ姫はエンジの話に興味を持つ。


「黒の武器とは何じゃ?」


「鉄砲と呼ばれる筒です。鉛玉を打ち出す飛び道具なのですが、弓とは比較にならない威力と使いやすさです。鉄砲の前では武芸の達人も素人にやられてしまいます」


 丁寧に鉄砲を説明するエンジであったが、実際に黒との戦闘経験があるライには心当たりが無い。何故、自分の時には鉄砲を使用しなかったのか? いや、使えなかった?


 ライが一人で熟考している間に、エンジの情報提供を聞き終えたルリ姫は、鉄砲に関心しつつも冷静に状況を整理した。


「かような物が……。道理で紅が破れるわけじゃ。確かに黒は侮れん。しかし同盟と言っても、青は何をすれば良いのじゃ? こなたの武力はアサギ率いる青天組だけで、黒い軍勢と対抗するには心許ない。こなたにできるのは紅の民を青に迎え入れることだけじゃろう」


 確かにルリ姫の言うう通りだ。黒い軍勢へ兵を派遣できないのであれば、紅から青に要求することは何も無い。それこそ青の国を避難場所として、紅の民に開放するくらいだ。


 だが、エンジも手ぶらで帰るわけにはいかない。姉に鍛えられた転んでもただでは起きない精神で、行き詰った状況の打開策を思いつく。


「今のところ軍の派遣は必要ありません。おそらく黒が次に狙うのは、青と草原の国どちらかです。それなら紅は待ち構えるだけでいいはず」


 この提案が何を意味するのか、すぐにルリ姫は察した。


「なるほどのう。あくまで紅側が兵を派遣するという形で、他国との同盟を成立させるか。こなたの指揮下にある青天組なら、紅の兵を組み込むこともできよう。よいな、アサギ」


「はっ、仰せのままに」


 まさかの逆の発想である。青からの援軍が期待できないのであれば、紅の方から援軍を送ってやるという姿勢だ。


「ありがとうございます。それでは紅に戻り兵を引き連れたいのですが……」


 ようやく話が具体的に進展してきた頃、突如として国中に爆音が鳴り響く。爆音と同時に発生した衝撃で地面が振動し、城の内部が大きく揺れた。


「姫様! ご無事ですか⁉」


 すぐさまアサギは体勢を立て直し、ルリ姫の安否を確認する。


「うぬ。何事じゃ⁉」


「確認してきます! 紫、姫をお守りしろ!」


「了解した」


 ライが返事し終わる前に、アサギは迅速な判断で情報収集に向かう。なんとも優秀な臣下だ。こちらも負けじと冷静に状況を把握する。


 まず断言できるのは、これは地震ではないということ。もしもこれだけ大きな規模の地震であれば、揺れる前に余震で察することができる。今回は余震の代わりに音が聞こえ、その直後に衝撃が襲ってきた。まるで城に巨大な物体がぶつかったかのように。


 そこまでライが推理したところで、ルリ姫がエンジの異変に気づく。エンジは自分の身を強く抱きしめ、床に膝をついて縮こまっていた。


「どうしたのじゃ紅の姫? 酷く震えておるぞ?」


「この轟音……たぶん大砲だ」


「大砲とな?」


「先程の鉄砲よりも巨大で、破壊力のある兵器です。しかし、あれほど大きい物を船に積めるはずがありません。砲撃の反動で沈みます」


 鉄砲だけでも未知の領域だというのに、さらに強力な大砲と言われても想像すらできない。ライもルリ姫も顔を見合わせ、頭上に疑問符を浮かべていると、情報収集に奔走したアサギが戻ってきた。


「非常事態発生! 黒い大きな船が海上に現れました! 我々の交渉にも応じず、遠距離から鉄球を投げ込んできます!」


 エンジの言う大砲と、アサギの言う遠距離からの鉄球。二つの情報を照らし合わせても荒唐無稽な話であり、まどろっこしくなったルリ姫は強硬手段に打って出る。


「ええい! 実物を見なければ話しにならぬ! こなたも外へ出て確認するぞ!」


「なりません! 危険です! 黒が上陸する前に逃げましょう!」


「青の国は天然の要塞ゆえ、逃げ場は無い! 腹を括れ! 紫と紅も力を貸してくれるな? 皆の者、こなたに付いて参れ!」


「御意」


 統率力を発揮するルリ姫の背中を追い、ライ達は急ぎ戦場へと赴く。

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