走れ!

声を聞いた気がした。

聞き覚えのあるトーン、聞き覚えのある焦燥感。


思考は地上を離れ、遠い過去に浮遊していた。

足が地面を蹴る感覚は、もう随分前からなくなっている。

意識は朦朧としたが、思考は止まらない。


全身が脈打つ音だけがやけに大きく聞こえる。




遥か遠かった背中が、今ははっきりと見えるところまで近づいていた。

近づいているが、届かない。


ゴールまでの道のりは、いつだって置き去りにされるには十分な長さだったが、追いつくには短すぎた。




『百メートル走でチーターには敵わない。でも、マラソンなら地球で一番になれる』




その時、前を走る背中が消えた。最後のコーナーを曲がったのだ。

その先にはもうゴールしかない。思わず心の中で舌打ちが漏れた。



「走れ!」


その時、再び声が聞こえた。

今度はさっきよりもはっきりとした輪郭があった。




『なんか可能性感じんだよな』




思わず笑みがこぼれた。

妙にほっとした気持ちになって、不覚にも涙が出そうだった。


もう走ってるっつーの!


転ばないように、でもスピードが落ちないように、左足に力を込める。

体を内に倒し、勢いよく右折する。再び現れた背中は、思ったよりも近かった。


いける。




最後の直線で、望美のぞみは一気に加速した。


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