花咲く庭を眺めながら
花咲く庭を眺めながら、私は緊張しておりました。姫さまが廂から降りて、蝋梅の毛を持つ狐にそっと近づいていきます。狐はおどおどした様子で後ずさりしますが、そんな狐に姫さまは手を差し伸べになりました。
狐はふんふんと姫さまの掌を嗅ぎまわり、その手に自分の顔を擦りつけます。こんっと狐は鳴いて、姫さまに体を擦りつけてきました。
あらあら、二人仲良くお庭を駆け始めました。様子を見ていた山の獣たちも、二人に加わり庭を駆け巡ります。
おっと、ご紹介が遅れましたね。申し訳ありません。姫さまが、あんなにも嬉しそうにはしゃぎ回るのを見るのは久しぶりなもので。
私は姫さまの奏でる琴でございます。私の身は千年を生きた屋久島の杉で造られ、その身は花の螺鈿細工にて鮮やかに飾られております。
私の持ち主は、このお屋敷に嫁いでこられた奥方さまでした。お奥方様の嫁入り道具として私は生まれたのです。
夜ごと奥方さまは、夜空のように広がる黒髪を翻し月光の下で私を奏でました。 奥方さまが私を奏でるたび、辺りには玲瓏とした空気が広がり、張り詰めた旋律が場を支配します。
それは冷たく、寂しげな旋律でした。山奥のお屋敷に嫁いだ奥方さまには周囲に親しい者もおらず、寂しい日々をお過ごしになっていたのです。
いつの頃からでしょうか。その旋律が優しくた穏やかなものになったのは。
姫さまがお生まれになってから、奥方さまは心優しい曲ばかりを弾くようになりました。
いつしか成長した姫さまもわたくしと奥方さまの横で琴をお弾きになるようになります。夜ごと私たちは月明かりのもとで曲を奏で、語らい合いました。あの日が来るまでは。
その日、私を奏でる奥方さまは様子が違いました。何か思いつめたような気配を、奥方さまは漂わせておられたのです。
私の弦を奥方さまが弾くたび、私の中に奥方様の心が入り込んでまいります。
それは哀しみでした。
哀しい。哀しい。
そう奥方さまは私を弾きながら嘆いておられたのです。そうして奥方さまは姫さまをじっと見つめられて、私の上に涙を零しました。
朝の雫のごとく美しい涙は、屋久杉の年輪が美しい私の体を滑り、花の螺鈿細工たちを艶やかに濡らします。濡れた螺鈿の花は月明かりに寂しく輝いておりました。
それから姫さまは夜ごと独りで私をお弾きになるようになりました。
それがどうでしょう。哀しい、悲壮な曲ばかり弾いていた姫さまが、今宵は陽気な曲をお弾きになったではありませんか。
それはもう、姫さまと一緒になって庭を駆けるあの狐のお陰に違いありません。あの狐が現れてから、姫さまはよく笑うようになりました。
まるで、奥方さまが戻られてきたようです。
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