mission4 二人きりの場所で先輩に告白せよ!

 バレンタイン当日の朝。

 惚れ薬入りのハート型ガトーショコラ、手の平大三個の準備は万端。

 スポイトで最初の一滴を垂らす瞬間は、入試よりも緊張して指がつりそうだった。


 昨夜は興奮で寝付けなくて……てこともなく、慣れないお菓子作りのせいかすぐに夢の中にいた。


一椛いちか、好きだよ」って、初めて出会った日に見せてくれた笑顔で囁く千紘ちひろ先輩。

 それが今日、現実になる!


 あとは……。


「あれ、あたしどうやって先輩と二人きりになろう?」


 登校早々、ピンクのリボンを結んだチョコレート色の箱を前に、あたしは最大の問題に直面してた。だって、惚れ薬を口にした時、もし先輩が別の人を見ちゃったら台無しだもん!


 手紙でなんて、今朝先輩の下駄箱に溢れてたそれっぽい手紙とたくさんの贈り物を全部三年女子が回収してたから無理。

 先輩の教室に行くなんて論外だ。


 シーンと静まり返る教室。いつの間にかあたしの席の周りにみんなが集まって来てた。


 こうなったら、先輩が一人になる瞬間を逃さないよう今日は授業そっちのけでつけて回ろう。

 そう思った時だった。


「そんなことだろうと思ったよ、久野さん。大体君はいつも詰めが甘過ぎる」


 悩ましげに大げさに頭を振りながらやって来たのは。


「委員長?」


 その手には何やら筒状に巻かれた紙が握られてる。


「みんな、これを見てくれ」


 委員長が机を四つつけてバサリと広げたその紙は、所々記号が書き込まれたこの高校の校内図、の一部拡大版だった。その場の全員に疑問符が浮かぶ。


「昨夜、急ぎ作成したんだ。今回の対象、真壁先輩が昼休みに学食を利用することは周知の事実。その帰り、ここ、この廊下で先輩と久野さんが二人きりになれる状況を作ろうと思う」


 自信たっぷりの委員長とは対照的にどよめく室内。「どうやって?」「昼休みってすげー人多いし、先輩には取り巻きが張り付いてんじゃん」非難めいた声に「委員長が一番やる気じゃん」的確なツッコミも入る。


「委員長。嬉しいけど、さすがにそれは難しくない?」


「いや、僕はクラスが一丸となれば可能だと考える。今日という聖なる日に奇跡を起こしてみないか?」


 委員長はどこを見てるんだろう?

 案の定、微妙な反応のみんなに一度咳払いしてから委員長が続けた。


「ひ、昼休みも終盤になればかなり人も分散する。食後は眠気などで注意力も散漫になるだろう。そこで、先輩がこのポイントに来た時、ABCの三地点で同時に取り巻き及びその他大勢を速やかに捕獲、さり気なく拘束の後、各地点を封鎖。廊下で長くとも五分間の空白を作る」


 一瞬の静寂の後。


「それならおれら運動部の出番だな!」「今まで文化部ばっかだったしな」「よっしゃ、やるか!」


 主に運動部を中心に活気付いてきた。


 本当に? 本当にそんなことできるの?


「だが、あいにく封鎖理由までは考えられなかった」


 委員長が眼鏡の奥で苦悶の表情を見せる。すると、


「あっ、それなら私、考えるよ! ホームルーム中にあくまでも自然な封鎖理由、書けると思う」


 そう言って手を挙げたのは図書委員兼文芸部のタナカさん。


「……ねぇ、久野さん。どうせならもっと可愛い髪型とかメイク、してみない?」


 とは、クラスで一番オシャレな子たち。


「久野さん! 頑張ってる久野さん見てたらどうしても応援したくなっちゃって。三人しかいないけど……いくよっ、Go fight win!」


 わざわざユニフォームに着替えてくれたチア部の子たち。その応援に合わせ自然に手拍子の数が増えてく。


 あたしの胸の中に言葉にできない熱いうねりが巻き起こる。

 勇気と、元気と、たくさんの感謝の気持ち。

 嬉し過ぎて、じわりと涙が滲む。


「ありがとう、みんなっ。あたし、必ず先輩を惚れさせてみせるから!」





 湧き上がる歓声の中、


「……なぁ、杏里。惚れ薬なんて効果無いよな? あんなの嘘に決まってるよなっ?」


「さぁ? もし効果あったらどうすんの? それでもいいの、ニッシー」


「良くねーけどっ。こんだけ盛り上がってんのに、どうすりゃいいんだよ」


「ホンット、ヘタレだねニッシー。今のニッシー、私嫌い。やってることズレてても自分に正直に突き進んでる一椛の方がよっぽどかっこいい。私、一椛のこと応援したい。いつまでもそうやって、一人グズグズ悩んでれば?」


 昨夜の帰り際、なぜか元気の無かったニッシーと、あたしの横で他校の想い人にチョコを作ってた杏里。

 その二人が、密かにそんなやり取りをしてたなんて、あたしは勿論知らずにいた。


 **


 運命の時が来た。

 二月十四日午後一時二十分十五秒。


 みんなの協力で先輩とあたし、二人だけの時間が生まれた。三年女子の騒いでる声なんて、あたしは全然気にしない。


 目の前には本物の千紘先輩。こんなに間近で見たのはあの春の日以来。


 内緒で撮った先輩のジャージの写真、ポスター大に拡大して部屋に貼ってある。

 スマホは隠し撮りした写真が全データの大半を占めてる。


 例え写真でもそれが先輩だからこそ、あたしは毎朝元気を補充して、昼間の嫌なことも吹き飛んで、夜には明日また頑張ろうって前向きになれた。


 それが本物なら、見ずには、声を掛けずにはいられなくて。こっちを見てって全身で言いたくなる。


 そういう好きの気持ち、全部伝えたい。

 全部全部、余すところなく、先輩に伝わりますように!


「千紘先輩! あたし、先輩の優しいところに一目惚れしました。大好きです! これ、初めてだけど先輩の為に頑張って作りました。だから受け取って下さい!」


 言った!


 震えそうな両手で想いの詰まった箱を差し出した。

 あたしでも、こんなに緊張することあるんだ? こんなに全身熱くなって、心臓が壊れそうな程高鳴ってて、大好きな先輩の顔が見られないなんて。


 どの位経ったかな。

 短い沈黙の後、先輩がふっと吹き出した気がして顔を上げた。


「あ、ごめん、ちょっと待って。……っかしー」


「……え?」


 お腹を抱えて笑う先輩。いつもの優しい笑顔とは何か違う。

 そもそも何で笑われてるのか全く分からなくて、なんか、不安になる。


「あの、千紘先輩……?」


 あたしの呼びかけにふと真顔になった先輩。ドキリとする。

 先輩、もしダメでも受け取ってくれますよね? 一口でいいから食べてくれますよね?

 それだけで、あたしは……。


 先輩が、ゆっくり口を開いた。


「それマジで言ってんの? キミ、あれだよね。毎朝バカみたいにでかい声で挨拶してくる一年。どうせすぐ卒業だしはっきり言うわ。正直ウザいから、ああいうの」


 な、に……?


「あ、の、これ……」


 動揺して、それしか言えなかった。


「あー、悪いけどオレ、バカっぽい子ってタイプじゃないんだよね。しかも手作りって。気持ち悪りー。いらないし、誰か他のやつにあげなよ。じゃ」



 横をすり抜けて行くこの人は、誰?


 あたしが大好きな眩しい眩しい笑顔で言ったこの人は。



 紛れもなく、千紘先輩だ。



 あれ、困ったな。

 何から考えればいいんだろ。


 夢じゃ、ないんだよね。


 先輩って、こんな人だったんだ。

 こんなこと言う人だったんだ。

 受け取ってすらもらえないって考えてもなかった。


 ただ、分かるのは。

 あの春の日の先輩も、毎日笑顔で手を振ってくれてた先輩も、全部作り物で、全部嘘だったんだ。



 今まで耳を塞いできた、噂の方が真実だったなんて……。



 熱いものがポタリポタリと両目から溢れてくる。


「あはは。あたし一人盛り上がって。これじゃ、ホントにただの……」


 やっぱりバカ、なのかな、あたしって。


 差し出した手が下ろせない。


 みんなの協力で作った惚れ薬も。

 ずっと諦めずにいた先輩への想いも。

 簡単にできる筈だったのに、結局二時間もかかっちゃったガトーショコラも。


 あーでもないこーでもないって、人生で一番頭使って悩んだラッピングと、シンプルに「好きです」って綴って添えたメッセージカード。


 今、この場に立ってるあたし自身も行き場が無くて、


「ごめん……なさ……い」


 何より、一生懸命この五分間を作ってくれてるみんなへ、声にならない声で謝ることしかできなかった。





「ちょっと、何なのあんたっ」


 突然背後で響いた声に、あたしは反射的に振り返った。


「杏、里……」


「あれ、もしかしてキミもオレにこくってくれるの? キミなら別に今すぐ付き合ってもいいけど」


「はあっ? 誰があんたなんかと……っ」


「待て、杏里っ!」


 激怒し掛けた杏里を遮って、複数の足音が集まって来た。その中で、杏里と先輩の間に立ったのは。


「そりゃないんじゃないですか、先輩」


「ニッ、シー。みんな……」


 見たことないくらいの怒りを顔に滲ませたニッシーと、クラスのみんなだった。


「一椛は確かにバカですよ」


 先輩と身長のさほど変わらないニッシーが真正面から先輩を睨んでる。


「けど先輩、知らないんすか? バカな子ほど可愛いってことわざを」


 ちょっとぐらい否定してよ、ニッシー。

 先輩がまた吹き出してるじゃん。もう、その笑い方は見たくないのに……。


 ニッシーは表情を崩さない。


「一椛がどれだけ一途に先輩のこと想って、今日の為にどれだけ頑張ったか知りもしないくせに。一椛の真っ直ぐなところも、素直なところも、そういう良いとこ、何っにも知らないくせにっ。一椛のこと傷付ける権利、先輩には一ミリだって無いですよねっ?」


 びっくりした。

 ニッシーにそんな風に思われてるなんて知らなくて。

 あたしの為に、本気で怒ってくれてるのが嬉しくて。


「先輩がどんだけモテるのか知らないですけど、一椛にとっての先輩は最低以外の何者でもない。そんなやつに一椛のガトーショコラ、頼まれたって食べさせたくねー!」


 周りから肯定の声が上がって、先輩もさすがに狼狽してる。でも、あたしの目には、もう先輩の姿なんて映ってない。


「貸して、一椛」


「えっ、でも、これには……っ」


「惚れ薬なんか盛ってようが無かろうが、俺はもう一椛に惚れてんだから関係ねーよっ」


 言うなり、ニッシーがやや乱雑にリボンを解いて箱を開け、ガトーショコラを一つ取り出した。


 え? 今、何て……?


 あたしがただ呆然とニッシーを見る前で、ニッシーは大きく口を開け、何の躊躇いもなくそれを放り込み、飲み込んだ。


「ん。ガトーショコラなのにすっげーバニラが主張してくるけど、濃厚でしっとりしてて超美味い。一椛、頑張ったな」


 そう言って、いつもの明るい笑顔を見せてくれる。


「ニッシー、ありが……っ」


 後から後から温かい涙が溢れてうまくお礼を言えなかった。

 けれど、目の前のニッシーは涙のせいか、先輩よりもずっと輝いて、ずっとずっとかっこ良く見えた。


「だからあんなやつの言ったことなんて早く忘れろ。誰が何と言おうと、一椛は可愛いよ。世界一可愛い。俺、一椛が作った物なら何でも食べたい。自信持てよ、一椛」


「……っ、うんっ!」


 続けて言ったニッシーの言葉が惚れ薬のせいだったのかどうか分からないけど、次の日、確かめようにもニッシーはお腹を壊して学校を休んだ。


 ニッシーのことだから部活帰りにお腹減って、何か変な物でも食べたのかも。

 本当にタイミング悪い、な。



 そのまま週末を挟んでニッシーとは顔を合わせることも無くて。

 ただ、意味の無いスタンプを送り合って。


 また月曜が来てもいつもどおりのニッシーで。だから敢えてぎくしゃくしそうなことは聞きたくなくて。


 それが一ヶ月続いて。


 うん。

 いつもどおり……だったな。

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