第10話 第二兵器(不倫の代償その2)

 亮二が消えた後、職員室の空気は1時間も掛からずに、多くの人間によってすっかり淀んでいった。


  (なぜ彼は、前職場(過去)の事を彼は知っていたんだ? 生徒は知らないハズだが……教員に聞いたのか? いや、それはない。それにあの勝ち誇ったような態度……本当に高校生なのか?)


 朝から1人の男子生徒に思考を支配されながら過ごし、余計に疲れた教師。その日は残業せず、帰路に着いた。


「ガチャリ……」


 樫木が自宅の鍵を回す――。

 開いたドアの先にあるのは、独房だった。


 1LDKの部屋。寝室に布団が1組……後はリビングにパソコンが乗った折り畳みテーブルと、キッチンカウンターに飾られた写真立てのみで、他に目につく物は何もない。


 樫木がこの独房の様な部屋に住んでから、既に5年が経過していた。


 空虚くうきょな部屋も寂しさも、手に持っているカップラーメンも自業自得――。


 自ら進んで手に入れたものに後悔しかない……。

 樫木は謝罪の機会すら与えられず、娘の誕生日ケーキを買って帰った日に、この部屋から全てが消えていた。


『絶妙なバランスで上手くやれている』

 脳内に花が沢山咲き誇っていた樫木は、そのまま草も生えない沼底に突き落とされたのだ。


 相手女性にも慰謝料目当ての内容証明ないようしょうめいが届き、その日の内に若い彼女は樫木と同じ職場を去った。


 そして樫木自身も、問題を起こした学校(職場)に在籍できなくなる――。


 事実が噂になり、尾をつけて生徒や保護者にまで伝染したからだ。

 廊下を歩けばヒソヒソと話され、容赦なく軽蔑や悪意の眼差しが樫木を突き刺しに来る。


 耐えるのは1ヶ月が限界だった。


 極度の教員不足のお陰で何とか県をまたいだ高校に拾っては貰ったが、同僚のほとんどが前職場での事情を知っていた。暗黙の了解で生徒には『かん口令』が引かれているとはいえ、今の職場も決して居心地が良いわけではない。


 それでも元家族の為にお金を稼ぐ事だけが、樫木の生ける理由で、唯一の繋がりだった。


「それすら許されないのか……」


 そうぼやいた彼は、カップラーメンをキッチンカウンターに置き、写真立てを眺める――。


 (家族を救う手段を得るには、やはり行くしかないな……)


 樫木は自分の直感を信じ、ズボンのポケットから出した亮二のメモを見つめた。

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