第9話 第二兵器 (不倫の代償)

 月曜日の早朝、まだ人の気配が感じられない学校の校舎には、長身男性の足音だけが響いていた。


 皺1つないスーツ。綺麗にセットされた短髪や髭の無いつるりとした肌に良く似合う、細縁の眼鏡。その下にある瞳はやや小さめだが切れ長で、そこからも男性の品格がうかがえる。


 人の居ない職員室へ……男性はまだ誰にも汚されていない、朝の『空気感』がこの上なく好きだった。

 声も視線も無いこの時間だけが、職場では唯一の癒しだからだ。


 しかし残念ながら今日は癒しの空間に、男子生徒が1人加わっていた。


 男性の机に座り、早朝から悪意さえ感じる淀んだ空気を纏いながら……。


樫木かしき先生、おはようございます!」


 偽造とも思える笑みを浮かべる生徒に、樫木は一瞬呼吸を止めた。


「おはよう……えっと……」


「2年のです。こうして話すのは初めてですね」


「ああ、2年の……私に何か用かな? 先に言うけど、机に座るのはよくないね」


「ですよねぇー」


 素直に机から降りた亮二が、樫木の耳元で囁く――。


『貴方の娘さん、もうすぐ死にますよ!』


「は?」


「まあ『皆で仲良くご一緒に!』って感じですけど」


「君は何を言っているんだ!? くだらない冗談はやめなさい!」


 普段は冷静な樫木が、何故か声を荒げる。


「とか言って、本当は気付いていますよね? 宇宙そらの歪み!」


 天井を指す亮二の言葉を聞いた樫木は、反論できなかった。


 確かにここ数ヵ月、遥か頭上から何とも言えない圧力のようなものを感じていた。ストレスや疲労かと思い、精神科を含め病院を頼ったが、改善するどころかひどくなるばかりだった。


「どうです? どんなに否定をしても、来るものは来るので、相談に乗ってもらえませんか? 明日この場所で待ってます」


 亮二から差し出されたメモには、時間と住所が記されていた。樫木が黙ってそれを受け取ると、亮二はまたあの笑みを浮かべる。


「朝の貴重な時間を奪ってしまい、スミマセン。それにしても、不貞の代償っていうんですか? 結構エグいですね! 自分が、貴方みたいな大人にならない様に気を付けます! では」


『樫木の前科』に率直な感想を述べた亮二は、職員室を出て行った。


「でしょうね……」


 生徒を見送った樫木はそう呟き、目尻に皺を寄せて力無く笑った――。

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