蜻蛉と白昼夢

 仰ぎ見た先は、薄桃色で満たされていた。

 午前の講義を終え、ふらりと大学を抜け出してきた私は、ただ立ち止まってその光景に見惚れている。


『桜の樹の下には、屍体が埋まっている』


 梶井基次郎が残した名文の一つを、不意に想起する。それから周囲を見回して、ぽつりと、「これは信じていいことだ」と、その続きを声に出してみる。

 つくづく、文豪という人間はすごいと思う。自然と足を止めてしまうような、勝手に浮かれた気分になってしまうような、そんな美しさを、それだけの言葉で表現してしまうのだから。


 屍体、と改めて口に出すと、その物々しさにぎょっとする。何故そんな言葉を、これほど華やかなものと並べ立てるという発想が浮かぶのだろうか。けれどそれが似合ってしまうのだから、何とも不思議と言うべきか。


 道沿いに、いくつものブルーシートが敷かれ、その上で大勢の人々が飲み物や食べ物を片手に談笑をしている、その浮かれた様子に、私も少しだけ倣ってみることにする。

 今この瞬間だけ、私は大文豪だ、なんて思いあがる。それから、梶井が桜と屍体を線で繋げたように、私もまた、桜と繋ぎ合わせる何かを探してみる。


 私なら。


 桜。さくら。サクラ。


 頭の中で言葉を文字に置き換えながら、閃きを求めて視界を動かしていく。

 枝、枝、枝。花、花、花。……と、その中に、しかとそびえる一本の細い柱。その先を辿って、私はそこに蜻蛉を見つける。

 勿論、季節はまだ春も始まったばかり。八分咲きの桜の中に蜻蛉が飛んでいるわけではない。私が見たものは、花に覆われるようにして佇んでいる街灯、その上にある小さな飾りだった。


 なかなかお洒落じゃないか。何故こんなシンボルを用いたのかは知らないけれど、夜になると街灯が灯り、闇の中にこの蜻蛉がぼうっと浮かび上がって――


 トンボ?


 ふと、引っかかりを覚える。蜻蛉。とんぼ。トンボ。

 さくら、と、とんぼ。


 良いんじゃないだろうか、桜と蜻蛉。実際に目にしたことはない組み合わせだけれど、それもちょっと文学的……それとも、これはSFチックなのだろうか?

 けれど、夜桜の間隙を縫って飛ぶ、コバルト色に輝く蜻蛉の姿は、想像するだけでなんだか妙に幻想的で、そして美しかった。


 私は目を閉じる。そこに薄闇が現れる。

 腕を、人差し指を、ぴん、と伸ばしてみる。


 なんだか気取った仕草だな、と自分で笑ってしまう。

 目を開けて歩き出そう、そうして私はこの浮かれた気分を抜けて、いつもの日常に戻るのだ。

 そう決意したとき――ふと、軽い風が、ふわりと指先を撫でたような気がした。

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