孤独

「僕らは、何かを守るって行為を、ずっと抑圧され続けてきたのかもしれない」


 そう呟くと、彼女が怪訝そうな顔をする。


「誰の言葉だい、それ」

「今思いついただけですよ」


 答えると、彼女は呆れたような顔をした。


「なんだい、それは」


 くだらない、とでも言いたげに見える彼女の様子を、それでも僕は話を続ける意志がある、ということにしておいて、それから言葉を探す。


「ほら、人って誰しもが、ヒーローやヒロインに憧れるものでしょう。格好いい、っていうシンプルな理由だけで。……だけどそれを真似して、誰かを助けようとしても、上手くはいかない」

「まぁね」


 気怠げに、彼女は頷く。


「人間なんて、だいたいは自分のことで手一杯なんだ。そんな状態で誰かを助けるだなんてこと、そう簡単にできやしないさ。……ましてや、何をすれば助かるのか、なんて、本人にしかわからないことだからね」

「僕が思っていたのも、ちょうどそのことです。助けたつもりで、余計に状況を悪化させてしまうこともある。あるいは、助けた側が批判されるようになったり、ひどい時は助けたと思っていた人にすら糾弾されることもある。それでありながら、全てが上手くいったとしても、英雄と呼ばれるとは限らない」


 僕の言葉に、いつしか彼女は真剣な表情で聴きいっている。僕はそれを見て、わざと一呼吸置いてから続ける。


「……じゃぁ僕らは、なんでヒーローに憧れるんでしょうね」


 僕の言葉を吟味するように、少しの間彼女は視線を伏せる。

 それから、やっぱりバカらしい、と言いたげな顔をして。


「つまり君は、助けたいと思う自分ではなくて助けさせてくれない周りが悪い、とでも言いたいのか。それはあまりにも自分本位が過ぎるんじゃないか」

「そうですね、自分本位です。……でも、それくらいじゃないと英雄にはなれないんじゃないでしょうか」


 言ってから、別にこれは僕が言いたかったことじゃないな、と思う。

 それを知ってか知らずか、彼女は「馬鹿らしい話だ」と、今度は口に出してそう言った。


「そんなこと、もうとっくに議論され尽くしてるだろう。その答えが知りたければ漫画でもテレビでも見ればいいさ。……それに、私が考えるに、英雄に自分本位なんて考え方はないのさ。助けた、なんて自覚もなく、ただただやるべきだと思ったことをやって、それが上手くっている。たまに妬み嫉みを抱くやつがいるかもしれないが、そんな人すらも最後には感嘆させてしまう。……それくらいじゃなきゃ、英雄なんて呼ばれないさ」


 それから、僕を見つめて、小さく鼻で笑う。


「……で、君は英雄になりたいのかい?」

「いいえ。ただ……」


 その続きを、僕は探す。


「……辛いだろうな、と」

「……あぁ」


 気の抜けた声で彼女は返す。

 そして、少しの沈黙の後、呟くように。


「さて、な」


 と。


「そうだ、とも、違う、とも言ってくれないんですね」

「君が知らないことなら、私だって知らないよ」


 なんでもないことのように答える彼女。僕も、それはそうだな、と思う。


 けれど。

 それでもやはり、辛いことだろうな、と思うのだ。

 何かを守る、ということを禁じられてしまうのは。……いや、違うのかもしれない、本質は。


「何を守ることも許されない、と気付いてしまうことは」


 僕の考えを先取りして、彼女が答える。


「……なるほどね、それがずっと、君が考えていたことなのかい」

「そう、なんでしょうね」


 何かを守りたいと思う。けれどそれがどこまでも自分のための行為だと知っている僕らは、だからこそ守ることも、触れることもできない。

 守る、という行為に力が必要だと知っていて、そして自分がそれに足りないこともわかっている。だったら、あとはそこから距離を保っているしかないのだ。大切なものを、大切なままにしておくためには。


「だけど、それは孤独だよ」


 ぽつりと、彼女が呟く。


「そうですね」


 そんなこと、自分で知っている。だけどそれでいいのだ。

 だってそれで、大切なものは守られるのだから。少なくとも僕の中では。

 それは、僕だけが知っていればいいことなのだから。


「そう、か」


 彼女はぽつりと答えて、それからゆっくりと、僕の方に歩み寄ってくる。

 そして、ゆっくりと右手を上げて、僕の胸に指先を当てる。

 そうして、少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。


 とん、と、彼女の指先が僕の身体を押す。

 僕はそれに逆らわない。ゆっくりと僕の身体が倒れていく。彼女が少しずつ遠くなっていく。


 落ちていく。ゆっくりと、ゆっくりと。




 気づくと、カーテンの隙間から日差しが差していた。


 夢、だった。

 多分、僕ははじめから気づいていたのだと思う。


 自分本位でいる勇気を持てない僕のような人間に、同じような価値観を共有していられる相手など、いるはずもないのだから。


 あぁ、だけど、それでも。


 案外、悪くなかったな。そう思う。


 もう彼女と会うことはないだろう。

 そう思いながら、僕は取り出した睡眠薬を飲み込んた。

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