【過去093】一閃の過去【残酷描写あり】

 なぜこんなことになったのか判らない、判っているのは相手の銃からいままさに銃弾が放たれようとしているということだ。右向きに回転する銃弾が銃口から姿を見せる、ライフリングの溝と弾の隙間から、燃焼ガスが吹き出してくる。いまは銃口の内壁で冷やされ未燃焼の火薬を含んだ黒い煙だ。銃弾がその姿を半分ほど見せた時にはオレンジ色に輝く炎となっていた。膨張を続ける燃焼ガスは薬莢を押しスライドが後退し始める。

 やがて、銃弾が銃口から離れると隙間から流れ出す高温のガスはいよいよ眩しく輝く。銃口を離れてゆく銃弾を高温高速のガスが包み込み、蹴飛ばすように最後の加速を加える。その頃には燃焼を終えた火薬はわずかなススを含んだ無色透明なガスとなり、余った運動エネルギーは最後の仕事とばかり大気を叩き強烈な発射音が音速で広がった。

 音速で俺に迫る銃弾。なぜ俺はそれが見える。それが判る。体は寸分も動かない。時間は止まり動いているのは回転しながら俺に迫る銃弾だけだった。俺の額を目指し静寂の世界を、銅色の銃弾が確定した未来に向かい時の中を進む。引き伸ばされた時間の中、俺は何の感情もなくただ銃弾の行方を見ているだけだった。


 何の脈絡もなく、過去の情景が浮かぶ。これは、恋人のケイトと交わした会話だ。

「ねえ、いつになったら貴方のお母様にお話ししてもらえるの?」

 穏やかな日差しが、緩み始めた若葉の芽越しに枝の影をカフェテラスのテーブルに落とし、向かいに座るケイトが俺の目を見つめ問い掛けてくる。俺は彼女を見つめ何度目かの返事を返す。

「母さんは最近機嫌が悪いんだ。折を見て絶対話すから」

「まったく、このまま二十八になるのは嫌だからね」

 ケイトとは、再会してから三年になる。俺はケイトと一緒になるのが嫌なわけじゃない。一人で育ててくれた母親の許しが欲しかったんだ。


 景色が変わる。

 これは、今朝出かけ間際に母親と交わした会話だ。

「マム、今日はケイトとデートだから食事はいらないよ」

「あたしは、あの子のこと気に入らないから家に連れてこないでね」

「ケイトはいい子だよ。マムの思ってるのと違うから。会えば判るって」

「だって、あの子のせいであんた、高校を停学になったでしょ」

 そうだ、ケイトとは幼馴染だ。ジュニアスクールのころから一緒のバスで通った。


 場面が変わる。スクールバスに並んで座っている。夏の朝の穏やかな日差し、だが数時間もすれば眩しいばかりの光で溢れる世界になる。街路樹の影が落ちる通学路をエアコンの効いたバスで学校に向かっている。

 いつも一緒にいる俺たち、同級生がからかいの言葉を掛けてくる。恥ずかしくて嫌だった。でも、いつも一緒にいる。ケイトの真っ赤な顔での告白。俺も真っ赤になって返事をした。それからはいつも一緒にいた。あの頃の淡い初恋。


 また、場面が変わった。ケイトと俺は夜の路地を歩いている。会わなかった十年間を埋め合わせるかのように寄り添い歩いていく。彼女のアパートはすぐそこだ。

 ドアの前で名残なごりを惜しみつつもお休みのキスと抱擁を交わした。帰ろうと外に出ると、熱気を浴びた都会の騒がしさも、夜になり少し冷めてきたのか夜風が涼しい。

 タクシーを拾おうと、大通りに向かうと影が目に入る。数人の若者がたむろしていた。目を逸らし見ないようにする。腰掛けた男の視線がこちらを向く。手をポケットに入れたまま立つ男がその視線を追いかけ俺に気がついた。ニタリと笑い体をこちらに向ける。座る男も腰を浮かそうとしていた。とっさに横道にそれたので、笑ったのは気のせいかもしれない。

 俺は焦りを背に早足で路地を進む。怖くて後ろは振り向けない。あの角を曲がればタクシーが拾えるはずだ。

 唐突に脇道から男が現れ立ちふさがる。

「よお、何慌ててんだ」

「兄さん、俺たちと遊んで行かないか?」

 後ろから声がかかり、早鐘を打っていた鼓動が一段と跳ね上がる。慌てて振り向くと二人の男がジャケットのポケットに手をいれたまま退路を塞いでいる。


 再度場面が変わる。太陽が中天にあるものの落ちる影が長い。光は柔らかなオレンジ色を帯びて葉を落とした街路樹の枝の間から僕らの背を温めている。俺たちはジュニアハイスクールに通うようになっていた。二人並んで座る石でできたベンチの硬さに彼女はお尻をムズムズさせている。

 その時、涼しいというより肌寒い風が彼女の髪の毛を巻き上げる。

「きゃっ」

 慌てて俺は彼女の髪の毛を抑える。その拍子に彼女と俺の顔が触れ合うくらいに近づく。俺は緊張して固まってしまった。

 ケイトは俺の様子に笑顔で答え、躊躇ちゅうちょすんの間にその柔らかな笑みを心持ち上向けるとすっとまぶたを閉じた。その頃やっと硬直が溶けた俺は躊躇ためらいながらも彼女の唇に自分の唇を押し付けた。俺たちの恋人として初めてのキスだった。柔らかい。暖かい。その思い出が鮮烈に残っている。二人にとって宝物の記憶……


 その時だった、回転する銃弾が俺の額の皮膚をえぐる。銃弾は高温のガスをまとい、行く手の皮膚を焼き焦がしながら細かい破片へと変える。頭蓋骨を砕き破片と共に灰色の脳細胞を切り裂く。

 そんなこと認識できるわかるはずがない。そうだ、これは束の間の幻覚。引き伸ばされた時間の中で、現実から逃れるべく声にならない声で叫んでいた。

 だが、銃弾は現実の存在。頭蓋骨あたまの中で跳ね返り、さらに神経策を引きちぎり細胞を押し潰す。

 ああ、ケイトとの再会の記憶が無へと還る。久しぶりの出会いを経て再び繋がる絆の記憶が消えていく。子供の頃の思い出が、存在が意味を無くしていく恐怖。かけがえのないものが、友人たち、取り組んでいる仕事、さっき見た映画、柔らかな抱擁、あらゆる俺の愛と喜びと恐怖の記憶と経験が消え無で満たされていった。


 消えてゆくケイトとの思い出、スクールバスでの通学、からかう友人たちの顔、そしてキスの思い出を最後として世界は無に、暗闇に包まれた。


 愛も恐怖もない。

 神も、悪魔も、天国も、地獄もありはしなかった。ただ無があった。



 時の意味が無い中どれくらい経った? ある時光が生まれた。俺は光に引き寄せられる。そこに何があるというのだ? やがて光に包まれ本当に全てが無くなった。

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