【過去133】約束
部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「はいどうぞ」
ドアが
「
「こんな早い時間に在宅とは珍しいな。わかった。すぐに行く」
春臣は読んでいた本を閉じて客間に向かった。本のタイトルは『帝国 流派別躁神概説』と読める。
ノックしてドアを開けると、日頃になく
年頃は春臣と同じくらいだろうか。艶やかな黒髪を編み込みにして後ろで留めている。ふっくらとした頬が大人の女性になりつつある中に幼さの面影を残している。
「ハルちゃん。
あっ。失礼しました。
春臣様ご無沙汰しております。お久しぶりです」
春臣は、固まってしまったが、すぐに再起動を果たした。
「え、もしかして、
「はい、愛姫です」
にこりと笑う愛姫に見つめられ、春臣は回想する。
十年ぶりだろうか。そうだ、
笑顔が可愛いくて、すぐに一緒に遊ぶようになった。愛姫も神卸の儀式のために連れてこられたとかで、境遇も同じだったので親近感もあったんだと思う。
同い年の子は自分たちの二人だけ。もう細かいことは思い出せないが、山陰に落ちてゆく夕日と、
昼は自由だったので愛姫と野原を駆け回り遊んだものだ。
ああ、思い出した。思い出し始めると記憶があふれ出すように浮かんでくる。なぜ忘れていたのだろう。
あの日、僕たちは禁足の森に入り込んでしまった。
「ねえ、帰ろうよ。ここって、入っちゃいけない場所だよ」
「大丈夫だよ」
毎夜の神卸しの儀式で僕は興奮を覚えていた。年上の子達がその身に神を降ろし、その神力を行使する様に高揚感と無敵感を覚えていたのだ。小さい頃から神卸しの修行はやっていた。六歳の幼い僕は無知からなんでもできる気になっていたのだ。世界は慢心には試練を持って答える。
森の結界を踏み越えて中に入る。
森の中は、聞こえるのは鳥の声だけ。手を繋いで歩く。響くのは僕らの踏み折る小枝のパキパキいう音と、鳥達の鳴き声。普通の森とどこも変わったところはなかった。
「ねえ、帰ろうよ。ハルちゃん、愛姫怖い」
愛姫が何か気になるのかぐずりだした。いつの間にか鳥達の鳴き声も途切れていた。次の間に空気の重さを意識した。心の奥底に初めて感じる恐怖が滲む。
「大丈夫だよ。愛姫ちゃんのことは僕が守るから」
自分の勝手から禁じられた場所に連れ込んだ責任感と負け惜しみから強がっていた。だが、だんだん強まる重圧感に足が前に出なくなっていた。頭では振り返って逃げ出せという声が響いていたが、恐怖が足を地面に縫い付ける。
「ハルちゃん、あれ」
愛姫の声に振り向くと黒い影が立木の向こうにひとつ、ふたつ。刺すような視線を感じ、ゆっくりと振り返るとどこから現れたのか、ひとまわり大きな影が
「待ちたるぞ。幸いなるかな、我らの躯体となり、この森の戒めから解き放つ贄となれ」
その言葉の意味はわからなかったが、大変なことになってしまったことは判った。
「お、お、お前達なんか怖くないぞ。僕だって躁神師だ」
本当はパニックを起こしていたんだと思う、焦りから愛姫をかばい、習い覚えた印を切る。折伏の呪文とともに神降ろしの術を発動した。
「だめー、ハルちゃん。ここではだめーえ」
愛姫の声が微かになっていく、いつものように自分の背後斜め上
その後気を失ってしまった。
目が覚めた時には全てが終わっていた。森の四分の一は吹き飛び、僕はボロボロになって地面に転がっていた。そばにはやはりボロボロになった愛姫が泣きながら僕に
「愛姫ちゃん、大丈夫?
ごめんね。僕のせいでひどい目にあわせちゃって」
「ううん。ハルちゃんありがとう。愛姫を守ってくれたんだもん」
後悔と愛姫を守れた安堵が一度に押し寄せ僕は宣言していた。
「うん、僕はこれからも愛姫ちゃんを守る。絶対、いつまでも守る。約束する」
「愛姫のことこれからも守ってね。約束だよ」
後はあまり覚えていない。様子を見にきた大人に助けられた事。思い出すのも嫌なくらい怒られたことは覚えている。
なぜ、格上の神を降ろして無事でいられたか、本当はなにがあったか判らない。愛姫は父親の国境警備の勤めに随伴した。話す間も無くそれ以来会っていなかった。
春臣の意識が現実に帰る。愛姫は彼が回想から戻ったと見て話しかけてきた。
「今日は、
父様が国境警備長を勤め上げこちらに戻る事になりました。私もこちらの学校に通うようになりますので。春臣様、よろしくお願いします」
彼女はそこで言葉を切り、優雅な礼をする。そして語りかけるように続けた。
「春臣様、約束覚えていますよね」
愛姫は最上の笑みを浮かべる。春臣は立ち尽くだけだった。
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