【光037】久遠/麗雲/保镖(ボディガード)

 襲撃者達は目論見通り罠にかかった。騙されたと知って襲いかかってくる。

 突き出されたナイフを左手で払いつつ、敵の手首を握り引き摺り込む。そのまま、体を反転しつつ半歩踏み込み、足が床につくと同時に右肩から背中で相手に打撃を加えた。体を離すと同時に相手は崩れ落ちた。次の敵に備えソファの陰に半歩で隠れる。倒れた敵に瞬間視線を投げると口から血の泡を吹いていた。

「しまった。また、手加減し損ねた」

 口の中で軽い後悔の言葉をつぶやく。別に敵を殺したことを悔やんでいるのではない。敵を殺してしまうと情報を取れなくなるからだ。だが、いまは他のことを考えている余裕はない。


 壁の陰に移動した。

 パラララララ、次の瞬間さっきまで隠れていたソファは派手な機銃音とともに粉々に弾け飛んだ。壁の陰からハンドガンで牽制する。反撃で壁の角が削れて飛び散る。銃を持つ手で顔をガードする。


 撃ち返す。反撃される。

 パララ。不自然に機銃音が途切れた。その時には彼の体は数歩の距離を詰め、手前の敵の面前にいる。敵はまだ次のマガジン交換の途中だった。

 喉元に一発。

 さらに踏み込んで、そのまま敵の体を盾に諸共後ろの敵を吹き飛ばす。この敵は首筋に拳を叩き込み気絶させた。

 タンタン、乾いた音が響く。4人目の敵は左右の太ももを撃ち抜かれて倒れた。逃げるところを狙い撃ったのだ。彼にしてみれは銃も長剣も同じ術理であった。鍛え込んだ下半身の安定性と反動を打撃の技法で抑え込み撃つ。十五メータ、これくらいの距離なら楽勝だった。


 結局、彼は襲撃者六人のうち四人を無力化したのだった。



 彼は、名を李祥雲リー・シャンユン字名を麗雲リーユン。いまは知るものもいないある門派の伝承者だった。アジアの大国のある組織で保镖ボディガードを勤めている。男にしておくには勿体無いくらいに整った顔立ち、物腰は柔らかく、決して激することがない。誰が言い出したか、彼を知るものたちの間では畏れを込めてレディ・ユンと呼ばれていた。


 一週間後、祥雲は次の任務のため呼び出されていた。

 ブリーフィングルームには六人の男と女が三人。初めて見る顔ぶれだった。一目でよく鍛えられていることが分かる筋肉の塊のような男たちに混じる祥雲はそこにいるのが不自然なくらい貧相に見える。だが、だれも気にする者はいない。ここにいる以上見かけでは判断できない、ということは口に出すまでもない。


「これが次の護衛対象だ」

 やや遅れて、部屋に入ってきた恰幅の良い男が一人一人に書類フォルダを渡す。

 中には、政府広報で見たことのある顔があった。その顔を見た瞬間、祥雲の目に憎しみの光が浮かんだ。だが、それはすぐに消える。その光に気がついたものはいなかった。



 祥雲は、情報収集を専門にしている同僚の机に腰掛けるようにモニタを覗き込んでいる。ブリーフィング前に依頼していた結果を聞いていた。

 その記事は、毎日起こるたくさんの事件の中では目立たないものだった。『数日前まで元気だったが、突然不調を訴え、短時間の後、多臓器不全で病死。……原因不明』。彼にはそれが気になって仕方なかった。そこで同僚に頼み込んだのだった。


「これしか手に入らなかったヨ」

 表示されている動画は粒子が粗く細部はよくわからない。黒ずくめの男が派手な格好をした男のそばを通りかかり、何かにつまずいたように体制を崩した。すぐに普通に歩き出した。別に不自然さも何もない画像だった。


「確かに、だが私はこれが気になる。少し戻してくれ」

 戻され再度再生された動画は、ただその男が歩いている様子が映っている。

「こいつの歩き方には無駄がない。そして、迷いがない。何か武術を極めているのだろう。

 なのに、ここでつまずいて体勢を崩すというのは不自然だ」

「そういうもんかネ」

「このホストの男が死んだ理由も心当たりが無くもない」

「おっ。秘伝の技とか…… 」

 嬉しそうな顔で祥雲を見た同僚は、その目を見て黙り込んだ。そして、不用意な言葉を後悔した。


「このことは口外無用で頼む」

 その目に沈む光は拒絶できないものであった。同僚は無言で何度も強く頷くしかなかった。



 目を開ける。外はまだ暗い時間だ。まだ起きるには早すぎる。祥雲は、もういちど目を瞑り眠ろうとするが、冴えてしまった意識はまどろみに沈むことを拒絶していた。仕方なく薄暗い明かりの中起き上がり、キッチンに向かい水を飲んだ。真っ暗な部屋で眠れなくなってもう何年経つだろう。

 彼が、こんな時間に目が覚めてしまった理由はわかっている。今度の護衛対象が『彼奴』だからだ。目が覚める前に見ていた夢もそのせいだ。水が半分残ったコップを手に持ったまま、昔のことを思い出していた。


 彼が生まれ育った村はもうない。

 小さかった頃、貧しくも幸せだった。体が弱くて学校でいじめられていたけど、見兼ねた親友で幼馴染の周徳賢に引きずられるように隣村の武術家に入門させられた。

 修行は辛かったがいい思い出だ。修行の甲斐あって拝師することもできた。周にはとても感謝していた。兄弟になれた、あの時の周の顔は忘れない。


 その後は絶望しかない。地下に眠る資源を奪うため地方政府によって村は抹殺された。ただ、先祖伝来の地を離れることを拒絶しただけだった。無慈悲に村人は殺され、存在が無かったことされてしまった。

 混乱の中、兄弟子と何とか生き延びた。それ以来両親と姉妹にも会っていない。探し続けているが手がかりもない。


 そうだ、その作戦の指揮官が今回の護衛対象だった。それだけは判っていた。

 この世界に入ったのは情報を得るためだった。いまだ十分な情報は集まっていない。心はすぐにでも殺せと訴える。だが、いま『彼奴』に死なれては困る。故郷の復権の手がかりが遠のいてしまう。

 昼間見た動画の男も気になる。あれが暗殺であの技が使われていたとすれば……

 予感が心に重くのしかかり、落ち着こうとしても動悸が収まらなかった。


 コップを取り落として祥雲は我に返る。もう出かける時間だ。

 自分の心を封印し、いまは任務に集中することにする。もし、あの男が徳賢なら自分の本気を出したとしても彼を止められる自信はない。一切の油断が許されないことを心に刻み、スーツの袖に腕を通すのだった。

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