「光と闇編」

【闇042】久遠/静龍/暗殺者(アサシン)

 20メートル四方はある広い部屋である。片隅では室内管弦楽団が音楽を奏でている。けばけばしく飾り立てられた部屋には、背中が大き開いた煌びやかなドレスで装った女性や、高級スーツを着こなす男たちが談笑している。

 トレイに酒のグラスを載せたウエイトレスやウエイターたちがラッシュ並みに混み合った客の間をぎこちなくも泳ぐように歩き回っていた。


 その男は、ある一団に向かって移動していた。猫科を思わせる良く締まった細身の体は、不規則に動く人々の間をあらかじめそれが判っているかのように迷いのない足取りで歩いていく。

 ひとしきり大声と派手な身振りで話している男がいる。彼はこのパーティーの主催者ホスト、麻薬取引で挙げた豊富な資金を元に政界に確固たる地位を築いていた。


 ホストの少し手前でボディガードに立ち塞がられる。

 彼は会釈を返し方向を変える。数歩歩いたその行く手を笑い声をあげ大げさな動作で歩き出したホストが邪魔する。その時、彼は不自然なほどよろめいた。立ち塞がるホストを軽く払うことで体勢を立て直し、軽く会釈してその場を立ち去った。

 


 二日後その男は、旅客機の席で情報端末を操作していた。

 ビジネスクラスのゆったりしたシートに身を沈め、世界のニュースを見ていた。さして大きくないスペースに表示されるその記事の見出しに目を通した時、顔に張り付いた無表情がわずかに動いた。それは微笑みなのか、苦笑なのかは判別としなかった。その見出しにはこうあった。『新興国の新星、原因不明で死亡』続いてこうある『数日前まで元気だったが、突然不調を訴え、短時間の後、多臓器不全で病死。病原菌も毒物も検出されておらず、原因はわかっていない』


 その男は名を周徳賢ヂォゥ・デゥシエン、裏の世界では静龍ジンロンとして知られる暗殺者。各国政府の汚れ仕事を金で請け負う秘密組織のエージェントだった。彼がどうやってターゲットを殺すのか誰にも解らなかった。暗殺の手段は通常秘匿される。それでも想像もつかない方法を使うのは彼ぐらいだった。武術うーしゅうの使い手であることは判っていたので、情報屋供は秘伝の技だろうとしていたが本当のことは判っていなかった。



 彼はホテルの客室で仕事暗殺前の確認をしている。上着はなんの変哲も無い黒いスーツだが、実のところ特注品で、生地は見た目から想像できないほど伸縮性があり、動きの邪魔にならない。裏地は急所をカバーするように防刃の素材が仕込んである。鏡に映る自分の姿を見ながら、彼にしては珍しく唇を噛み締め厳しい目つきをしていた。


「祥雲がいるのか。

 …… 生きていたとは」


 いつも暗殺しごとに出る前に、鏡を見る。自分の顔に父の面影、沸き立つ怒り、いつもならやがて感情が冷え切り冷静になるのだった。だが、今日はいつも以上に昔の事件のことが頭から離れない。彼は激しい動悸に苦しみを覚えていた。


 祥雲シャンユンは姓をリーといい、周と幼馴染で親友だった。彼は体が弱く、いつも学校でいじめられていた。周は体が丈夫で、いじめられている李を庇って上級生だろうと手向かっていた。ある日周は思いついて隣村の有名な武術家に会いに李を引きずっていった。李はいやがって駄々をこねるが、周は聞きはしない。無理やり二人とも入門してしまった。

 それから、毎日学校が終わると歩いて隣村まで通い修行に明け暮れた。数年たち、李は丈夫になり、周と互角に戦えるようになっていた。そして、入門して十年近い年が過ぎた。ある日二人は師父に呼ばれ、拝師式を伝えられた。晴れて正式な弟子として極意を伝授される資格が与えられるのだった。兄弟になったのだ、その日のことは忘れられない。


 だが、良い時はそれほど長く続かなかった。故郷はさほど豊かなムラではなかった。しかし、その土地には地下資源が眠っていた。先祖からの土地を手放すことなど誰一人受け入れようとしない。それを狙う地方政府が痺れを切らし、強硬手段に出たのだ。村人達は武器をとって抵抗した。だが、近代兵器には抗し得ない。無理を通そうとする軍の前になすすべくなく蹂躙され、虐殺された。そして、周辺一帯の村は歴史の闇に消え去った。


 周はかろうじて、兄弟子と共に逃げ延びた。その事件で生まれ故郷は消え去り、家族も李も消息不明になった。

 周は兄弟子とともに秘密組織に入り、暗殺者アサシンの道を選んだ。いつかは家族の仇を打つという微かな可能性にかけたのだった。その兄弟子も彼を庇ってたおれた。故郷の村が確かに存在した証として、その無念を形にするものとして、誰かの命を奪う道をただひとりで歩くことしかなかった。


 しかし親友祥雲の名が次のターゲットのボディガードの中にあった。しかもそのターゲットは、故郷を消し去ったあの作戦の指揮官だった。いまや、中央政府でそれなりの地位を得ているという。依頼者は誰か知らない。きっと政権内でそいつを疎ましく思っている誰かだろう。


 信じられなかった。ターゲットが探していた相手だったこと、祥雲が生きていたこと、そして親友が護っていること。仇を討てるという期待で胸が高鳴る。と同時に、親友と戦うことになるという陰鬱な影を彼に落とす。

 彼は自分に驚いていた、まだ人間的感情が残っていたことに。依頼ころしの中で感情を失って行った。もう人間的感情が戻ってくることなど期待していなかった。


 彼はいまターゲットが出席する国際会議場の隣の建物ビルの屋上に立っている。周辺を自分の目で確認していた。ターゲットの動きのタイミング、別働隊の動き、建物の構造、事後の離脱方法全てが頭に入っている。

 胸のロケットを開く。唯一彼がもつ家族の写真を眺める。中には両親と姉、自分、弟、祥雲が笑っている。これは、ルーティンだ。しかし、今日は精神の揺らぎを抑えきることができないでいる。彼は首を左右に振る。目を瞑り、開いた時には顔から表情が消えていた。


 時間だ。足取りはいつもの彼の揺らぎのない滑るような足取り。佇み歓談する人々の間を踊るようにすり抜けて行く。もう、迷いはない。依頼殺しをこなすことだだけを考える。人々の波の中に彼の姿が消えた。

 そして、彼の姿は二度と人々の前に現れることはなかった。その後の消息を聞いたものはいない。知るものも口を閉ざし開くことはなかった。

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