【No. 111】またやらかした、そして後悔。そののち冒険

 そもそもは、僕が彼女の横顔に見惚れてぼーっとしていたのがいけなかったんだ。振り向いた彼女の呆れたような、咎めるような目つきに慌ててしまった。そして、あれほど触るなとマスターに注意されていたのに、それを無造作に手に取るなんて。


 最初はなにが起きたか判らなかった。

 僕の手の中のブローチというには大きすぎる装身具の中心の白く濁った石がとくんと脈打つ。周りの金属は冷たいままなのに中心の石が熱く鈍く輝き始めた。それは彼女の肌に触れた部分から体温が流れ込むかのようだった。流れ込んだ体温が光となり石は強く明るく輝き目を開けて居るのが辛くなってきた。


 眩しい光越しに見る彼女の口がゆっくりと開かれ驚きが畏れの表情へと変わってゆく。何もかもがひどくゆっくりだった。腕に押し付けられているブローチから僕へと彼女の視線が動いてきた。僕と目が合う。その責めるような目の光は僕の心に強い後悔の念を呼び起こした。

 僕の謝罪の言葉が声になることはなく。さらに伸びた時間で僕らは目を瞑ることも身動きすることもできず、何が起きているのか、ただ視ているだけだった。


 もう店内は石からほとばしる強い光で全く見えない。光を背景に僕らの周りを光の粒がうず巻き始める。粒ひとつひとつは天道虫ほどの大きさで色々な色がある。それがどんどん増えてだんだん大きくなるに従い輪郭がぼやけて白くなってくる。


 やがて全てが合体し視野全体を覆い何も見えなくなった。


 突然全てが逆転する。

 僕と彼女を包む光は一点に向け急速に収束していく。最後に目に見えない点となり、僕は暗闇のなかで意識を失った。




 …………

 北の龍のお姫さま、

 ご機嫌いかがと優しく笑う。

 …………


 どこからか歌声が聞こえてくる。クリスタルガラスのグラスが立てる高く澄んだ音のような歌声が僕の意識を呼び覚ます。聞いたことのない音韻だった。その異国風のおもむきに興味が湧く。好奇心が定まらない意識をつなぎ合わせ思考が段々はっきりしてきた。


 地面に横たわっているようだ。頭の後ろに土の感触がある。おかしい、さっきまで床はフカフカの絨毯だったはず。


 目を開けると最初に見えたのは、高く広がる透き通るような青い空。空の青は藍色に近くどこまでも澄んでいた。


 頭の芯の痺れが取れない。こうべを巡らすと、どんなボケた頭でもこれだけはハッキリ判った、さっきまでいた場所とは全然違うということが。


 ふらつく足で立ち上がり見回した。いま居るこの場所は、小高い丘のようなところだった。地面はほとんどが丈の短い草で覆われている。


 土を払おうとして気がついた。

「えっ、なんで。

 なんで、こんな服を着てんの?」

 さっきまで、着ていたグレーのパーカーは跡形もない。いまは麻袋のような色合いに赤や緑や黒などの幾何学模様が染めこまれた外套を羽織っている。インナーも見たことないデザインで、肩からカバンを下げているがこんなものは持ってたことない。いつの間に着替えたんだ、と益のない疑問が浮かぶがそこで我に返った。


「そんなことより。ここはどこだ?

 なぜこんなところにいるんだ?」

 疑問を声に出すことで頭がはっきりしてきた。といって現実感のなさが払拭されたわけじゃない。


 試しに手の甲を抓ってみた。

「痛っ。やっぱり夢ってわけじゃなんだ」

 意識が明瞭になると、ありえない事態に次々疑問が浮かぶ。

「どうして?なぜ?なにがあったんだ?どうやってここへ?」


 浮かぶ疑問を口にしてみるものの、答えはどこからも返ってこない。

 さらに叫んだ。

「誰でもいい教えてくれ」

 場違いな僕の声は、遠大な風景の中に吸い込まれるように消えていった。

 遥か彼方に灰色に切り立つ険しい山々が壁のように連なっている。湿気が少ないのか明瞭に細部が判る。そのせいで距離感が掴めない。その山脈の向こう奥には分厚い雲が頂上を越え、あたかもこの世界を覆い隠すが如く見える。


 山脈のふもとは湿気のため霞んでいて、そこから手前に向かって平原や小高い山々や深い森が続いていた。自分のいる高台の下の方に人が歩いて押し固めたような道が右手の森から茂みを通り、遠くでY字に合流しているのが見える。そこから先に流れる小川には、石橋がかかっていた。


 暮らしの痕跡を発見して安堵する。

 とはいえ、これが夢でなければ、魔法か何かでどこかに飛ばされたとしか思えない。そんな魔法は聞いたことがない。もしも地球上のどこかでなければ、

「『異世界?』

 はは、まさかね」

 思わず呟いてしまった。


 空気は澄んでいて微かに花の香りを含んでいる。ただ、五感では捉えきれない特有の雰囲気を持っていて、心がざわつく感じが拭えない。

 でも何か起きるわけでもなく、しばらくするうちに生来の呑気な性格が顔を出す。空は青く澄んでおり、花の香りで「いい香りだなあ、こんな世界ところなら大丈夫だろ」なんて能天気な気持ちも浮かんでくる。だんだん気持ちが落ち着いてきた。


 気持ちが落ち着いてきたことで、現実が否応なく押し寄せる。僕の心に忘れていた後悔の念が戻ってきた。悔しさが心を締め付け苦しげな声が漏れてしまう。


「僕は、またやってしまったのか、

 また、彼女に迷惑を……」

 ずいぶん昔、僕は事故とはいえ彼女を傷つけてしまっていた。

 やっと許してもらえたのに……


「はっ。彼女は?」

 そこで僕はやっと気がついた。


「彼女はどこ?」

 僕には確信があった。これは彼女の魔法だ。彼女もこの世界ここに来ている。必ず来ている。周りは見渡す限り大自然の風景しかない。人の気配は全くない。

 心を締め付ける後悔の中で、彼女にとにかく謝ることしか浮かばない。――許してくれるかは判らないけど――


 自分に言い聞かせ僕は決心した。

「ここがどこかは関係ない。

 まず彼女を見つけ謝らなければ、そうしなければ自分を許せない。

 もし、見つからなければ?

 その時はその時だ、戻れる方法を探すだけだ」


「ふーん。

 見つからなかったらどうするって?」

 突然、耳元で声が聞こえた。僕は、これ以上は無理というくらいの速度で振り返って驚嘆した。そこには身長15cmくらいの見たことない女の子が宙に浮いてる。纏うオーラは怒りの色、腕を組み僕を睨みつけていた。


 僕の冒険は、剣呑な表情の妖精ピクシーとの出会いから始まった。

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