【壱の2】 エンドレス桃太郎


「ただいまー…」


 玄関のドアを開けると同時に、弟の将猿まさるがすっ飛んできた。


「おかえりっ、にーちゃん」

「おう、ただいま」


 何やら目をキラキラさせる将猿の頭をポンと撫で、スニーカーを脱ぐと家に上がった。


「おかえり、桃汰。クラス替えはどうだった?」


 母さん、今の俺にその質問は禁句だ。

 とは言わず、「うーん」と適当にはぐらかしながら、俺は洗面所で手を洗う。その間も、将猿は俺の後をついてきて、キラキラした目で、じーっと俺を見ていた。


「新しい友達はできた?」

「んー。…昼ご飯、何?」


 キッチンカウンター越しに、台所で昼ご飯を作る母さんに聞いた。


「栞太くんとはクラス一緒なの?」

「…クラス離れたよ。やっと離れたのに、あだ名は変わんなかった。今年も俺は桃太郎のままだ」


 本当に、嫌だ。

 ソファの上にリュックサックを放り投げた。


「今までずっと同じクラスだったのにね」

「まさか離れてもあだ名が変わんないとはね。新たな発見だよ」


 俺はぼやきながら、ソファに座り、ため息をつく。

 同時に、視界に飛び込んできた将猿が、キラキラした目で俺を見ながら、何か言いたそうに口をもごもごさせた。


「?」

「でも、いいじゃない。桃太郎って、かっこいいし、栞太くんのネーミングセンスを感じるわよ」


 …デジャヴ。

 まぁ、母さんがこんなだから、俺の名前は桃汰なんだろうな。でなけりゃ、親父がこの名前つけるって言ったときに反対してるや。


「俺は嫌なの」


 絵本とかアニメのあだ名がついて喜ぶのは小学生くらいまでだろ。

 今になってもそういうあだ名がつくとか、本当に恥ずかしい。

 明日、クラスメイトがどんな顔で俺を見てくるのか…――考えるだけで怖い。


「にーちゃんっ、絵本読んでっ」


 俺の膝に手を置いて、将猿が高い声で言った。

 うわ、不機嫌オーラ全開の俺に、よくそんなこと頼むな。まさか、さっきからキラキラした目で俺を見てたのは、それでか!?

 なんていうか、小学校低学年ってのは、無邪気っていうか、俺が不機嫌だろうがお構いなしだから凄いよな。


「何の絵本?」


 まぁ、今更あだ名のことでむくれてても仕方ないし、気分転換に絵本を読み聞かせてやろう。

 それに、10歳も年下の弟っていうのは、可愛くて仕方がないもんだから、頼まれても断るなんて考えも浮かばない。


「これ」


 将猿が隠し持っていた絵本を、スッと取り出す。


「んー、どれどれ?」


 ……はぁー、日本おとぎばなし桃太郎……ね。

 あーはいはい、桃太郎…。


「マジかよ」


 タイミング悪いっていうか、なんつーか。

 でもまぁ、そうなるよな。だって、親父に似たのか知らないけど、桃太郎の絵本は将猿のお気に入りの絵本だし。


「読んでっ」


 あぁ、ダメだ。このキラキラの目で見つめられたら、嫌だなんて言えない。


「お、おう…」


 俺は抗えず、将猿から絵本を受け取った。


「その前に昼ご飯食べちゃって」


 母さんが言うと同時に、ふわっとチャーハンの香りが鼻をくすぐる。

 俺は絵本をソファに置き、立ち上がった。


「将猿も、昼ご飯食べてね。…あと、昼ご飯の後にリビングとダイニングに掃除機かけちゃいたいから、絵本読むなら桃汰の部屋行ってね」


 チャーハンを食卓に並べながら、母さんが言った。


「ん、わかった。…いただきまーす」


 ゆっくり昼ご飯を食べたかったけど、将猿に急かされて、急いで食べ終えると、荷物と絵本を片手に、俺の部屋に移動した。


「にーちゃん、早く早くー」


 俺のベッドに座り込み、将猿が急かす。

 俺はリュックサックを床に置き、近くに胡坐あぐらをかいた。


「ほら、おいで」


 手招きすると、将猿はベッドを下り、俺の足の間に座った。絵本を読むときのお決まりの位置ポジションだ。


「昔々、あるところにおじいさんとおばあさんが…――」


 云々。


「桃太郎は鬼を倒し、宝物を村に持ち帰りましたとさ。めでたしめでたし」


 あー、疲れた。

 胡坐をかいた体制で、足の間に小柄な小学1年生とはいえ弟が座っていると、姿勢を保つのしんどいな。

 なんて思いながら立ち上がろうとした刹那、


「にいちゃん、もっかい!」

「へ?」

「もっかい読んで!」


 え、もう一回…?


「読んで!」


 目をキラキラさせ、将猿が俺をじっと見上げる。そんな顔されたら断れない…。


「仕方ないなぁ。もう一回だけだぞ」


 俺は絵本を最初のページまでめくり、将猿に見せる。


「昔々、あるところに…――」



◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 結局、5回も読んだ。もう一回ってのは恐ろしい言葉だ…。

 まぁ別に、子供向け絵本だし、長い話でもないけどさ。同じ話を何回も読んでると、話の流れがわかっちゃうし、結末もわかってるし、つまらないんだよな。

 将猿は、よく飽きないなぁ。なんて感心していると、


「桃汰、ちょっと鶏肉買ってきてくれない?あると思ったらなくて。…この前買いそびれちゃったみたい」


 ドアの向こうから、母さんの声がした。

 もう一回、と言いたげな顔の将猿に


「ごめん、母さんが呼んでるから」


 と言い、立ち上がった。


「わかった」


 ちょっと面倒ではあるけど、スーパーは家から遠いわけでもないし、いいや。


「はい、これで買えると思う。ごめんね、お願いね」


 母さんからエコバッグと1000円札を受け取り、俺は家を出た。

 家からスーパーまではそう遠くない。栞太と別れたY字の道路を、学校方面に少し戻るだけだ。

 今日の夕飯は何だろうな、と考えながら歩いていると、


「あれっ、桃太郎じゃん」


 ギクッ。…この声は――

 振り返ると、俺と同じようにエコバッグを持った栞太がいた。


「何だよ、その顔は」


 栞太が笑いながら俺の肩をペシッと軽く叩く。


「桃太郎も買い物か?」

「そうだけど。…あだ名やめろって」


 小声で注意するが遅く、通行人が俺たちの方を見ながらクスクス笑った。


「桃太郎だって」

「ウケる」


 あー、ホントに恥ずかしいなぁ。

 俺は栞太を睨んだ。


「俺も買い物に来たんだよ」


 俺がちょっと怒ってるの気づかないな。

 スーパーの入り口でカゴを取り、店内に足を踏み入れた。店内はコミカルな音楽と共に、エンドレスでセールアナウンスが流れている。


「桃太郎は何買いに来たんだ?」

「鶏肉だよ」


 もう注意する気が失せて答えた。


「栞太は?」

「俺はな、豆腐と味噌とネギを買いに来た。今日の夕飯はカレーなんだ」


 ん?何言ってんだ?

 カレーには豆腐も味噌もネギも使わないだろ。その材料どっから来たんだよ。

 思わず顔が緩んで、笑ってしまった。


「え、何だよ。一人で笑って。笑う要素なかったろ」

「いやいやいや、笑うだろ」


 レジで会計を済ませ、スーパーを出た後も、栞太は暫く不思議そうにしていた。


「じゃあ、また明日」

「ん、また明日」


 いつもの分かれ道で別れ、俺はY字の左の道、栞太は右の道に進んだ。

 栞太は基本的にはいい奴だ。俺に変なあだ名さえつけなければ、もっといい奴なんだけど。

 ちょっとバカで、天然なところがあって、愛されキャラで、一緒にいるのは普通に楽しい。でもそういうキャラだから、人が嫌がっていることに鈍感だったりもする。

 夕飯時に、栞太からMINE《マイン》が届いた。MINEっていうのは、学生を中心に流行っているSNSのメッセージアプリだ。


「夕飯、カレーじゃなくて味噌汁だったわ(笑)」


 だろうな。俺はスマホの画面を見ながら苦笑いした。


「どうかしたの?」


 母さんが白米を食べながら不思議そうに聞いてきた。


「いや、栞太がさ…」


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