第14話 過去への回帰 I
今もはっきりと彼女は、覚えている。あの日々を。決して楽しいことばかりではなかったし、辛いことも悲しいこともたくさんあった。
だが、不思議と嫌な感じはしなかった。その中で培ったものは、今の私を形作る上で欠かせないものとなったのだから。
10年前。当時の私は両親を亡くし、近しい身内も両親を間接的に殺したのは緋那せいだと毛嫌いしていた。
そのため、彼女は養護施設をたらい回しにされていた。もちろん、養護施設でもそのことは広まり『愛』などというものを受けるはずもなく当然グレた。
「喧嘩上等! 文句があるやつがいたらかかってこい!!」
「生意気な!」
「ぶっ飛ばしてやるぜ!!」
同級生や上級生との諍いや衝突のせいで喧嘩に明け暮れる毎日。変に悪評が広まってしまったため、絶えず相手を真っ先に返り討ちにしていた。
「痛てぇ!?」
「クソっ! お、覚えていやがれ!!」
「こんな女に負けるなんて……」
といっても、養護施設に入った当初は当然ボコボコにされていたため、その時にできた傷が時々痛むことがある。身体には痣が残り、何回か先生が止めに入らなければ死にかけることすらあった。もはや養護施設としての機能を失ってここが本当に日本なのか? と疑うレベルの治安の悪さである。
「最近は私に挑むやつも少なくなってきたな。恐れをなしたか。ざまぁみろ」
ここでは弱肉強食。先生がいようといまいと喧嘩こそが全てであった。口だけの綺麗ごとを言うようなやつなど真っ先に洗礼され、淘汰されていった。
実際、緋那も大分手荒に洗礼を受けたがそれを耐え抜くだけの精神力と実力があった。今ではこの養護施設で緋那に逆らう者は誰一人としていなくなった。
悪くない気分だった。誰かを蹴落として自分の実力で掴み取った栄光というものは。だが、その栄光も長くは続かなかった。
ある日のことだった。なんの前兆もなく『ソレ』はやってきた。
「……っ!?」
声にならない声を出すと同時に、緋那は倒れた。
気づけば病院のベットの上であり、今起きている現実に脳の処理が追いつかず、事態を把握しきれない。飛び上がるように起きた緋那は医者から落ち着くように諭されて、深呼吸を何度か繰り返す。医者は大丈夫だと判断したのか、次の瞬間、耳を疑うような事実を口にした。
「緋那さん、非常に伝えにくいのですが……これだけは伝えておきます。あなたの余命はあと持って1ヶ月です。もしかしたら、もっと短いかもしれません」
「え…………?」
意味が、わからなかった。
ただでさえ、急に倒れて意識を失ったかと思えば、あと余命が1ヶ月? 下手をしたら、もっと短い? 緋那からすれば何を言っているんだこのヤブ医者は……というのが素直な感想である。
「あなたは不治の病にかかっています。我々も尽力はしますが、あなたの身体を蝕んでいるのはいわばエネルギーの爆弾。いつ破裂してもおかしくありません。私も医者をやっていて長いですが、こんなことは初めてです。よく今までこんな状態で生きてこれたのかと不思議でなりませんよ。倒れた時点で即死していてもおかしくないレベルですよ」
彼ーー如月と名乗る医者曰く。緋那のかかった病気というのは、発症率が1000万分の1とされる病気だ。身体の中にあるエネルギーの塊が破裂することで神経系や臓器がズタボロになり、二度と修復不可能なレベルまで損傷する。
この病気で厄介なのは爆弾の摘出が難しい上に癌の末期の症状のように全身に転移することにある。そうなってしまえば、完治させることはもう不可能になってしまう。そう考えれば、癌よりもよっぽどタチの悪い病気である。
特に何もしなくても激痛が走り、破裂した時の痛みは死に値する病気。加えて、死に近づくと筋ジストロフィーと酷似した症状が現れ、身体が動かなくなっていくそうだ。
「あ、はは……ねぇ、先生。私って前世でそんなに悪いことをしたんでしょうか。これでもかってくらい苦しんで私は死ぬんですよね」
「……あなたがどうしてもというのなら安楽死という手もあります」
安楽死は日本では例え相手が望んでいたとしても、禁止されている。だが、これには例外がある。『後天性エネルギー爆弾』を持つ患者には安楽死が認められている。つまり、今、ここで緋那が望めば少なくとも、耐えがたい苦痛からは解放される。
その誘惑に思わず生唾を飲み込む。だが、いざ死ぬと思うと身体から震えが止まらず、答えを出そうにも出すことができなかった。
「何も今すぐに答えを出せとは言いません。ただ、どうしても苦しくなったら、言ってください。その時は私が責任を負いましょう」
そう言うと彼は病室を後にしたのだった。
「…………」
彼女のいる病室は個室で医者がいなくなった後は、とても静かなものだった。聞こえてくるのは小鳥のさえずり。感じるのは太陽の暖かい光。病室の窓からは木々が見え、心なしか空気が澄んでいるようにも感じられた。
「あ、あれ……」
涙。
それは彼女がしばらくの間、流していないもの。いや、流してはいけないものだった。弱みを見せれば、そこからつけこまれる弱肉強食そのものを具現化したあの荒れ果てた養護施設では。涙一つさえ、命取りとなる。
だから、今までどれだけ辛いことがあっても緋那は涙を流すことはできず、泣きたくても歯を食いしばって我慢した。しかし、あの世界から解放され、その軋轢がなくなった今の環境下では。自然と力が抜けて行ってしまったのだろう。
否。
そんな大それたことではない。そんな大仰なことを今までしていないくせに。誰にも見られてもいないこに。こんなところでも自分を取り繕って。違うのだ。
今の彼女は。単純に。シンプルにーー
死ぬのが怖い。
これから来る苦痛に耐えたとしても、その先に何があるのかが分からない不安と死後の世界では一体どんな残酷な運命を背負わされるのかという恐怖。その2つが入り混じり、さらに追い討ちをかけてくるのだ。
辛くて、悲しくて、涙さえ流して。なのに思っていることを素直に口にもできなくて。
「私ってなんて弱いんだろう……」
今まで見てきたあの洗礼に耐えられず、泣き出した子となんら変わらない。彼女もまた1人の幼い少女だったというわけだ。
「ぐっ……!? あ、あ、あ……」
まただ。養護施設で倒れた時と全く同じ感覚。強制的に深い闇へと引きずり込まれるようなーーそんなことを思う暇もなく、彼女は意識を失った。
「ん……」
目が覚めた。だがここで彼女は違和感を覚えた。
身体が重い。
別に何が上に覆い被さっているわけではない。ただ、身体中に鉛がまとわりついたように重く、思うように身体を自由に動かせなかった。
と、そんな時であった。病室の扉がガラガラと開いた音がしたのだ。
「初めましてだな。私は
花山緋里と名乗った女性は一言で言えばーー超美人であった。
黒髪のミディアムに朱玉色の瞳。足の長いすらりとした長身。さぞかしモテるんだろうなぁ……と思った矢先、であった。
「よ、よろしくお願いします……」
「なんだぁ? 随分とシケた面してんなぁ……後天性エネルギー爆弾で倒れたんだって? そりゃお気の毒だ。前世でよっぽど悪いことでもしたんだろうな」
「なっ……!」
会って数分しか経っていない初対面の相手にーーそれも心身ともに弱っている病人に対してこんなデカい口を叩いたのである。
「ま、その歳でヤンキーの真似事だもんな。猿山の大将でいて、調子に乗ってたから頭に来た神様がちょっと厳しいお灸を据えにでもきたか」
「……本当にカウンセラーなの? 何も知らないくせにペラペラと……」
「ああ。知らないさ。今の情報だって書類での話だ。そんなもん、最初からアテにしてねぇ。こーゆーのは直接話して初めてわかるもんだ。だから、直接見に来た。ったく、神様とやらがいるなら殴り飛ばしたいくらいだぜ」
ぐいっと緋里は顔を近づける。
食い入るように見られた緋那は途端に恥ずかしくなってきて、視線を逸らした。
「あー目ぇ逸らしたなー。そして顔を枕で隠すな。見えないだろうが」
「い、いや……」
「ははーん。わかったぞ。今までこんなに真っ直ぐ自分を見てくれた人がいないもんだから、照れてんだろー?」
「〜〜〜!!」
「このこのー。図星かー? 照れんな。照れんな。でもまぁ、お前のことは少しはわかってきた気がするぞ」
顔を真っ赤にしている緋那を差し置いて、緋里は面白そうに反応を窺いながら観察を続ける。しばらくの間、舐めるように見ると緋里はある質問を投げかけた。
「緋那、だったか。こんなこと聞くのを野暮かもしれんが、親が死んだのはお前のせいじゃないんだよな」
「………………」
「ま、喋りたくないなら、喋らなくてもいいさ。今の反応を見て大体察した。悪かったな。こんな質問して」
「緋里さんは」
「あん?」
「どうしてカウンセラーになろうと思ったの?」
「何故って……そうだな。私は昔から聞き上手でな。誰かの相談事を聞くのが当たり前だったんだ。だからカウンセラーになった。こんな理由でいいか?」
「? 今の理由は嘘なの……?」
「半分嘘で半分本当だな。いいことを教えてやるよ。相手に嘘をつくときは真実もちょこちょこと混ぜた方が効果的だ。その方が嘘っていうのは通りやすい」
「じゃあ、どうして嘘だとすぐにバラしたの?」
「そりゃ、取引よ」
「取引?」
「そ。私のカウンセラーになったきっかけが知りたきゃ、そっちもそれなりの情報を話してくれないと割りに合わないだろ。何も全部話す必要はない。ちょっとずつ話しゃいい。それに応じて私も話す。これで対等ってもんだ。ま、お前がなんと言おうと今日はこの辺で帰るけどな」
「え……どうして?」
「あんま長話してるとお前の病状が悪化するからに決まってんだろ。あくまで絶対安静。それが一番だからな。本当なら何もせずに寝ていた方が利口なんだ」
「それじゃどうしてここに来てメンタルケアなんて……」
「ここの病院とは兼ねてから友好関係にあってな。それで今回は特殊な病気を持つお前を診てくれと言われてな。だから来た。それだけの話さ」
「あっ……まっ……」
「また来るさ。近いうちにな」
緋那の台詞を遮ると、緋里は病室を後にするのだった。
結局、花山緋里と名乗るカウンセラーはあの日以来、来ることはななかった。
それから、彼女は生きるか死ぬかの選択を迫られ、結果決められることもなく1週間の時間が過ぎた。
医者は最善を尽くしてくれているが、痛みは一向に引かず、むしろ悪化しているのがわかった。
「私、ここで死ぬのかな……」
ここ最近で気絶と苦痛を繰り返していた緋那は心身ともに完全に弱わりきって、生きる気力を失っていた。ここで目を閉じれば、もう二度とその瞼は開くことがないのかもしれない。でも、それでもいいとのかも、と思っていた。自分のことは自分がよくわかっているし、どうせ助からない。
もう、疲れた。
これから先、苦しむくらいならーーここで目を閉じて、終わりにしよう。
そう彼女は文字通り、人生の幕を下ろそうとした時に遠くから声が聞こえた。
「……もう、大丈夫だ。私が治してやる。お前はこれからも生きる権利がある」
声が遠すぎて、誰が何を言っているかが理解できずに緋那は意識が遠ざかっていった。あの言葉? は一体何だったんだろう。それが唯一の心残りだな、と緋那は思った。
ーーーーーー
ーーーー
ーー
それから、どれほどの時間が経っただろうか。そんな疑問がどうでも良くなるほどの時間が流れた頃に、緋那は半覚醒状態に入った。
(ん……あれ、ここはどこ……?)
微睡む意識の中で緋那は、そう思った。あれほど気怠くて鉛のように重かったはずの身体が羽根のように軽い……一体どうなっているんだ?
そう思い、彼女はゆっくりと目を開ける。そこには見慣れた病院の天井があった。どうやら本当にまだ天国ではないようだ。
「よ! 目が覚めたか?」
そう気さくに声をかけた女性は緋那の横でにこやかにしていた。黒髪のロングに朱玉色の瞳。見た感じ、長身の女性であることは窺えた。
その人はーーあの時来たカウンセラーであった。
「思ったより元気そうだな。治って良かったな」
「私、なんで生きてるの……?」
「そりゃ、私が治したからだな。今回の手術は大分長びぃちまってお前に負担をかける結果になった。悪いな」
「!? え、え!?」
この人カウンセラーじゃ……?
という以前に医者だったの!?
初めて会った時からただ者ではないと思っていたけど、不治の病を治すとか一体何者!?
と言った思考が緋那の脳内を駆け巡り、数秒してから彼女はとにかくお礼の言葉を言おうと努めた。
「あ、ありがとう! なんとお礼を言ったらいいのか……で、でも私お代なんて……」
「礼もお代もいらねーよ。私は世界中でお前みたいに苦しんでいる人を無償で助けるのが仕事だ。金ならその功績のおかげで国から貰ってるから安心しな」
「で、でも……」
「ガタガタ言うな。今日はお前にそんなことを言うために来たんじゃない。ちょっと用があってきたんだ」
緋那はぽかーんとしばらく放心状態であったが、一度は落とした命を救って貰った彼女はこの時にどうしても恩返しがしたいと強く思った。
「……その用って何?」
「あー実はな。『後天性エネルギー爆弾』の発症する原因って扱いきれないエネルギーが元で起きるって一説では言われててな。だから再発する可能性がある」
「え……?」
それが本当ならマズい。確かに医者はエネルギー爆弾は癌のように転移する恐れがあると警告していた。おそらく、緋里が言うのはその可能性なのだろう。一息しているのも束の間、まだ危機は完全に去っていないというわけだ。
「だから、今の段階では完璧に安全とは言えない。これからは正しい処置を慎重に行う必要がある。え、とつまりだな」
緋里の歯切れがここに来て少しだけ悪くなる。もったいぶらずに早く言えばいいのに……いや、もしかしたら、何らかの意図があるのか? とそう緋那が思考していると、
「いや、そのなんだ。お前……いや、緋那はこれから行く当てがないんだろ? だ、だから、良かったら治療も兼ねて私の元に来ないか?」
緋里は珍しく、たじろいでいるところを見ると、よっぽど言い出すのが恥ずかしかったことが見て取れた。しかし、緋那はそれ以上に彼女の言ったその言葉に惹かれた。
「はい。喜んで」
「お、おう……やけに素直だな……手術で余分なモノ取って毒気が抜かれたのか?」
「違う、とは言い切れないけど、私、なんだか……あなたなら大丈夫だと思ってさ。今まで私と対等に話してくれる人なんていなかった。短いやり取りだったけど、あなたは私をちゃんとみてくれた。だから、あなたなら信用できると思ったんだ」
「そっか。そう思ってくれるなら、私としても助かる。それじゃあ、退院次第、私と一緒に治療だ」
「はい……ってあれ」
ここに来て、彼女は自らの違和感に気づく。
手術を受けてそう時間は経っていなかったのか、口こそ動かせるものの、首から下は麻酔が効いていたらしく、思うように動くことができなかった。
「その前に緋那はリハビリをしないとな」
「あはは……そうだよね」
こうして、緋那のリハビリは始まった。
緋那のリハビリは困難を極めた。
無理もない。ベッドの上で寝たきりの植物人間同然の生活をしていたのだ。1人で立つようになるまでですらかなりの時間を要した。
「ぐっ……」
最初は看護師に手伝って貰いながら、立てるように頑張っていたが、なかなか上手くいかずに何度も転んだ。しかし、緋那は決して諦めなかった。一方的だったとはいえ、約束したのだ。彼女に元気な姿を見せる。それができるようになるまで絶対に諦めない。そう緋那は心に誓っていた。
第二段階では、車椅子から降りて、手すりを使って歩くというものであった。この時点で緋那は、自分の力で短時間だけではあったが立つことができた。医者や看護師からまだ早いと止められたが彼女はその制止を振り切った。それほど、緋那は一刻も早く元気になりたかったのだ。
第一段階と第二段階を経てようやく第三段階に入る。第三段階は病院の庭の散歩である。もちろん、看護師を1人付けて、途中までは車椅子という条件付きではあったが、久しぶりの外の空気に触れて彼女は生きている、という実感が徐々に湧いてきたのであった。
そんな過酷なリハビリが5ヶ月ほど続いた頃、緋那に初めて親友と呼べる人間が現れた。そう、氷雨だ。
今緋那がいる病院は珍しい体質を研究する機関でもあったようで、どうやら解明できない能力や体質を専門としているらしかった。
氷雨の『眼』もその解明できないものの一つだった。これは彼女に後から聞いた話だが、氷雨は研究機関をたらい回しにされて、この頃は特にグレていたとのことだった。
もちろん、当時の緋那はそんなことを知る由もなく、この病院に同じくらいの子がいたという事実に舞い上がってしまい、つい気安く話しかけてしまったのだった。
「こんにちは! あなたはここで何しているの?」
始めの氷雨は案の定、つーんとして緋那の言葉を聞こうとはしなかった。しかし、緋那はそれでもめげずに話しかけ続けた。
「ちょっとー! 待って!」
会う度に逃げる氷雨と追いかける緋那。ある日は車椅子で追いかけたり、ある日はゾンビのようにゆっくり近づいて追いかけたりした。
2週間、くらいだったか。あまりのしつこさに痺れを切らした氷雨は諦めがついたようで、ついに足を止めた。
「はぁはぁ……全く、何で私に付きまとってくるんですか。いい加減、しつこいですよ」
「だって、私、あなたと仲良くなりたくて……」
「私と仲良くなりたい、ですか」
「うん。だってこの病院で同い年っぽい子があなたしかいなかったから。仲良くなれると思ったんだ」
「…………それは、この眼を見ても同じことが言えますか?」
氷雨は普段の白眼から、3種類の瞳を順に緋那に見せた。
1つ眼は、
2つ眼は、
3つ眼は、
3つの眼の色を見せた氷雨は緋那の様子を窺いながら、問う。
「これで、わかったでしょう。私はこの『眼』のせいで研究機関をたらい回しにされて、周りからは差別されて。嫌われて。生きてきたんです。だから、あなたもこれ以上はーー」
「そう? 私はその眼、カッコいいと思うけどな」
「………え?」
それは氷雨にとって身体に電気が走ったかのような衝撃だった。この眼をこんな風に褒められたのは、生まれて初めての出来事であったからである。それでいて、今までのような冷たい視線ではなく、とても心地よくて、暖かい視線であったため、嘘やお世辞でないことはすぐに分かった。
さらに追い討ちをかけるように緋那は氷雨にこう言った。
「そんなんで差別する方が悪いよ。こんな綺麗な眼、私初めてみたもん」
その言葉を聞いて。氷雨は何故だか笑いが堪えきれなくなっていた。
「……ふふっ。あはははははは! 本当に、おかしな人です。あなた、名前はなんて言うのですか?」
「緋那。あなたは?」
「私は氷雨。相川氷雨です。よろしくです、緋那」
「……っ! うん! よろしくね!」
緋那は、初めてできた友達に精一杯の笑顔を見せた。
ーー数ヶ月後。氷雨の病室にてーー
「……そうですか。退院決まって良かったですね、緋那……ぐすっ」
緋那は最初に氷雨に自分が退院する旨と緋里についていくことになった経緯を話すと、露骨に寂しそうな顔をしながらそう言葉を絞り出した。はっきり言って泣く寸前だ。
「な、何も泣かなくても……」
「これが泣かずにいられますか! 私の最初にできた大切な友達がどこか遠いところに行ってしまうなんて……うぅ」
「二度と会えないわけじゃないから泣かないで氷雨……」
「嘘です! 他の人はみんなそうやって私から遠ざかっていきました!」
「私が氷雨に嘘をついたことなんて、一回もないでしょ。だから信じて?」
「ひっぐ……う、うぅ……」
当時の緋那や氷雨には携帯なんて便利な連絡手段がなかったため、これが今生の別れになったとしても全く不思議ではなかった。だから、緋那はこう提案した。
「あ、病院前の公園があるのって氷雨は知ってる?」
「え、ええまぁ知って、ますけど……」
「だったら、その場所が私達の目印にすればいいんじゃない? それなら氷雨も退院して、私が病院にもう一度来てすれ違わないが起きないでしょ?」
「それはそうですが……日にちと時間はどうするんですか?」
「え、と……日にちと時間は今ここで決めればいいじゃない? 織姫と彦星みたいに1年に一度……つまり、7月7日の何時に会える、みたいな感じで」
氷雨に日にちのことを聞かれて、少し動揺した緋那であったが、たまたま今日が七夕であることが幸いだから、まだよかったのだが。
「織姫と彦星……いいですね、それ! そうしましょ!それがいいです、いやそうするべきです。 私達が会うのも7月7日で時間帯は……せっかくだからゾロ目にしましょう!」
「ということは、7月7日の7時にあの病院前の公園で集まるってことになるね!」
「そうですね。でも、それだと次に会えるのは来年になってしまいますね」
「そう、なるね」
「ううっ……緋那ああああああああぁああっ!!!」
「わぁっ!?」
氷雨はもう堪え切れないといった様子で緋那に抱きつく。最初は緋那もあやす感じだったのだが、氷雨の泣きじゃくる顔をみていると緋那もなんだか悲しくなってきて、涙が溢れて止まらなかった。
この日、彼女はあぁ、これが貰い泣きというものなんだな、と心底思い知らされた。
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