第3話 火種

 日本が広いと言っても、飛行能力を持つ能力者はそれでも数少ない存在だ。しかし、この霧峰学園は全国から選りすぐりの能力者を集めたエリート集団なだけあって飛行能力を持つ者はこの学校に限ってしまえば、そう珍しくない。

 故に学校の全ての屋上には飛行能力者向けに登下校用の着陸、離陸用のヘリポートにも似た場所がある。今日は氷雨が緋那の能力を使って空を飛んで帰りたいと言ってきたので、今日は屋上から下校することにしたのだ。


「それにしても、空を飛んで帰りたいだなんて珍しいね。普段は歩きで帰りたがるのに」

「今日は気分転換をしたい気分なのです。それに普段私達が暮らしている街を気軽に上空から見るなんて、能力を使うくらいしかないですしね」


 確かに緋那からしてみれば、空はいつでも好きな時に飛べるものだが、能力の関係上飛べない人にとってはやはり空を飛ぶということは特別に移るのだろう。緋那が逆の立場だったら、同じことを言っていたかもしれない。


「それに、少し確かめたいことがあるのです」

「確かめたいこと?」

「はい。私の未来予知が本当かどうかを上空から確かめたいのです」

「未来予知……」


 氷雨の能力は『記憶する俯瞰図メモリーマップ』。正確には能力ではなく、生まれつきの体質なのだが……その能力は眼の色によって変化する。


 朱玉色ルビー……自分の危険及び自分の大切な人の危険を察知するときに変わる色。虫の知らせと似ている。


 蒼玉色サファイア……目を閉じていても、周りの気配や音などで周りの状況を手に取るように分かる。超直感。目隠しをしてスイカ割りをするときは百発百中。


 翠玉色エメラルド……過去を見るときに変化する色。一度でも見た場所であれば何年でも遡ってその光景を見ることができるが、神経をすり減らすため、20〜30年が限度である。


 以上の能力と普段の白眼にも完全記憶能力が備わっている。白眼については常時発動型のため、本人でもオンオフの切り替えができない。なので、氷雨はテストのときはエネルギー基礎とエネルギー実技以外は能力が使用できなくなる特別な部屋で5教科のテストを受けている。

 能力で事前に完全に記憶をしたとしても、無意味になるため、素のありのままの成績が出るというわけだ。


「未来予知って……翡玉色と朱色のオッドアイになったときにできるっていうあれ?」

「はい。まだオッドアイに自分の意思ではできないのですが、ついさっきにオッドアイになってーーその時に私は少し先の未来を見ました」


 オッドアイ……片目ずつにそれぞれ違う色の瞳が浮かび上がり、別の色の瞳の能力が同時に発現している状態のことでその氷雨のオッドアイは不定期に現れるという。



「それってどんな未来?」

「はい。それはーー今から5分後に、この今私達がいる校舎で火事が起きます。その光景だけが目に浮かんだので、はっきりとした原因はわかりませんが……」

「うーん……5分でこの校舎をくまなく捜索して犯人を見つけるとなると大元の原因を消すのは無理だよね。他には見えなかったんだよね?」

「ええ。私達が空を飛んで帰ろうとした矢先にこの校舎が一気に燃え広がった感じですから。緋那には空からその燃える校舎を消して欲しいのです」

「なるほど……しかもこの校舎はエネルギーを専門とする学科の学生ではなく、普通の学生がいるところだから完全に燃え広がれば、その生徒達の大半は助からない可能性がある。そこで私が死傷者が出る前にその炎を消せばいいのね」


 緋那の能力の真髄は『モノを動かすこと』にある。それは炎とて例外ではない。炎を消せすのではなく、投げ飛ばす感じに近い。炎を緋那の能力で遥か上空に投げ飛ばし、鎮火させる。それをやること自体は容易だが、問題は他にあった。


「それだと確実に氷雨が危ないよね……火傷するかもよ?」

「だから私を火の手が及ばない場所である校門まで飛んで運んで欲しいのです。時間まであと3分ほどしかありませんし、あまり猶予はないです」


 なるほど、氷雨が空を飛んで帰ろうとした理由がこれではっきりした。実際に空を飛んで帰ろうとしたわけではないが、緋那を屋上まで誘導し、事情を説明。未来予知のことは緋那しか知らなかったため、話が最も通じやすく、なおかつ迅速に自分を安全圏に運びつつ、消火もこなす応用力を持つ彼女こそが適任だったわけだ。


「じゃ、校門まで連れていくよ」

「お願いします。あとは炎を少しでも早くーー」


 その時。焦げ臭い匂いが辺りの空間に漂う。


「……思ったより速かったようです」

「! わかった。氷雨、振り落とされないように思い切り私に掴まってて。あと喋ると舌噛むから気をつけて」

「はい!」


 そう氷雨が応えると同時に緋那は空へ飛んだ。校門までとはいえ、その速度は初速にして時速200キロメートルを超え。実に登校時の4倍の速度である。


「ッ……!!」

「はい、到着。氷雨の身体が耐えられるように加減はしたけどびっくりしたよね。……さて、次は」


 緋那は飛んできた方向にある校舎に視線を向ける。すると、氷雨が言っていた通り、校舎には炎が燃え広がり、生徒達はパニックに陥っていた。


「!」


 緋那は再び飛行能力を使い、急いで校舎に向かう。炎の元は、広がりが速かったためよく分からなかったが、どうやら3階辺りが特に炎の勢いが強いのが見て取れる。


「こんのっ……!!」


 緋那はエネルギーを解放し、炎を投げ飛ばそうとする。が、思っていたよりも炎が強力だったためか手から「じゅっ……」という聞こえてはいけない音がした。


「なんの……!」


 緋那は負けじとエネルギーを増大させて炎を遥か上空へと投げ飛ばし続ける。校舎がデカいことがここに来て裏目に出ているようで、消火するのにどうしても時間がかかってしまう。加えて、緋那の能力は繊細さと精度を高く要求されるため、少しでも見誤ると校舎ごと上空へ吹き飛ばしかねない。


(くそ……校舎ごと上空に吹き飛ばせれば楽なんだけど、それだと本末転倒だし……)


 炎は徐々に弱まり、燃え広がった火の手も完全に消えた。氷雨の未来予知のおかげで3階だけに被害が止まった。


「おい。何してんだこんなところで」

「む……八条」


 緋那に話しかけてきたのは、この学校の風紀委員長である八条悠星はちじょうゆうせいだった。黒髪の鳥頭、黒眼が特徴的で身長は緋那よりも10センチほど高く、好青年の印象が強い。どうやら、彼も火事のことを聞きつけてか急いで来たらしい。


「んで。火事を止めたのは緋那か。よくこんな迅速に対応できたな」

「まぁ、偶然居合わせた感じだったから」

「ま、詳しい話は後だ。俺は生徒会のやつらと一緒に怪我人の手当てとかしなきゃいかんしな」

「そっか。後処理は任せる」

「おう。お前はさっさと保健室いけよ。手、火傷してんだろ?」

「……バレてたか」

「当たり前だ。俺を誰だと思ってやがる。そんなことを見抜けないようじゃ、風紀委員長は務まらないさ」

「八条先輩ー! 早くー!」

「あぁ! 今行く! それじゃあな」


 そう言い残し、悠星は同じ風紀委員と思しき生徒と一緒に走り去って行った。


「緋那ー! 大丈夫でしたかーー?」


 悠星と入れ替わるように氷雨がこちらへ駆け寄ってくる。よほど緋那を心配しているのか、走ってきたようで息が上がっていた。


「はぁ……はぁ……さっきの人達は風紀委員長ですか?」

「うん。彼らも火事を聞きつけてきたみたい」

「そうですか。それよりも緋那、その手……」


 緋那の両手は少し、赤く腫り上がっていた。能力で熱自体は軽減しながら炎を投げ飛ばしていたとはいえ、若干の調節ミスしたせいでこうなってしまったらしい。


「ああこれね。さっき八条にも言われたけど、保健室に行けってさ。待たせるのも悪いし、氷雨は先に帰っていても大丈夫だよ?」

「でも……」

「大丈夫大丈夫。どの道、誰かがやらなきゃ行けなかったことだしね。今回はそれが私だっただけ。氷雨は何も悪くないよ。それに、私から」


「……分かりました。こういうことなら、先に帰っています。緋那もくれぐれも気をつけて。あの火事は消して事故などではなく、明らかに第三者が仕組んだものです。まだ犯人がいるかもしれないので気をつけてください」

「それも、未来予知?」

「ええ。緋那が火を消している間に視えました。さっきの火事より断片的にしか見れなかったので、絶対とは言い切れませんし、犯人の顔が分かったわけではありませんが……」

「あい、わかった。用心する」


 緋那と氷雨はそう言って、逆方向に別れた。




 ーー保健室ーー



「随分と腫れてるわね、これは」


 保健室の先生ーーではなく、先輩にあたる人物である乾青色いぬいあおねは緋那の両手をまじまじと見つつ、そう呟いた。銀髪碧眼で眼鏡をかけ、白衣を羽織っているからか、よく本人も保健室の先生と間違われるらしい。


「ふぅん。それで火の手から生徒を救った感じなんだ。理由はわかったけど、もう無茶はしないことね」


 緋那は青色に手を火傷した理由を説明した。氷雨の未来予知によって不審火が起こることを事前に知ることができたことや氷雨の能力についても話した。未来予知能力については2人の間の秘密だったが、彼女に言い訳は通用しない。何故ならーー


「貴女の能力は非常に不安定。まるで心の状態を表しているかようね。


 彼女は、氷雨以外で緋那の目的を知る人物だ。それも、能力を使わずにただの洞察力だけで緋那がこの学園に入学した理由を見抜いたのだ。今更言い訳が通用するわけがない。であれば。最初から話してしまった方が楽だと緋那は考えた。


「……正直に言ってそうですね。私がここにいる理由は復讐ですし」


 緋那は7年前に仇敵に母親を殺されている。その復讐をすべく、手がかかりがあるとされる霧峰学園に入学した。しかし、その手がかりは今まで見つからず終いである。


「復讐、か。それが貴女の動力源なのね」

「はい。私はそのためにこの学園に来ました。一刻も早く手がかりを掴まないと……痛ッ」

「はいはい。焦る気持ちも分かるけど興奮して動かないこと。一応治療中なんだから」


 治療を受けているのを完全に失念していた緋那は、思い出すように痛みを感じた。


「そういえばずっと前から先輩に聞きたいことがあったのですが」

「ん? なあに? 答えられる範囲でなら、答えてあげるけど」

「どうして常に保健室にいるのかなって思いまして。前に来た時も先輩ここにいましたよね? 逆に保健室の先生に会ったことがないくらいです」


 そう。緋那が保健室に来る時は絶対に青色がいるのだ。保健室の先生はなぜか毎回いない。


「保健室の先生はね、生徒に手を出して退職処分を受けて今は不在よ。まあ、返り討ちにしたのは私なんだけどね」

「手を出された生徒って先輩かよ……」


 青色の強さは緋那も知っている。学園で彼女に勝てる可能性があるのはそれこそ、緋那が知る限りでは霧峰学園の生徒の中で実力が最も高いと先生や学園長に認められた5人の怪物集団、『五英将』くらいのものだ。


「私はちゃんと警告したのよ? それを振り切って襲って来たからつい、ね」

「その言い方だと正当防衛っていうより過剰防衛な気もしますけど……」

「ま、そんな話はどうでもいいのよ。ほら、治ったんだからさっさと出てく。あまり長居されると他の生徒達も入り浸りかねないですからね」


 青色の言った通り、緋那の赤く腫れた両手が嘘のように治っていた。本人曰く、治癒させる能力ではなく、純粋なエネルギーだけを使い、自己治癒力を促進させることで怪我が治るそうだ。


「自己治癒力で治しているから後から疲労感が襲ってくるかもしれないけど、半日くらい安静にしていれば生活に支障はないから家でちゃんと養生することね」

「………………」

「ん? どうかしたの?」

「……なんか先輩妙に慣れているというか、治療も丁寧なのはいいんですけど、学校の単位はどうしたんですか?」


「ああ。それなら1年生の時に全部取ってしまったの。で、ただ家でのんびりしているのもアレだからこうして保健室にいたのだけど、先生での件はもう1年半ほど前になるから、大体1年半くらいはここで保健室の代理として勤めている感じね」

「単位を全部1年の時に……?」


 霧峰学園は名門かつ実力主義であるため、全ての生徒は例外なくふるいにかけられる。単位を取るにしてもその7割以上が取得困難。故に留年や中退が続出し、その年によっては実に学年の半分もの生徒が退学や中退、留年を強いられたという。

 実際に緋那もフル単はできていない。学年1位の氷雨ですら、学園が指定する全ての単位のうち8割ほどしか取れていないくらいだ。


「まあ、私はその代わり1年の時にかなり苦労したわね。実際、空き時間が殆どない状態だったわけだしね」

「それでも凄いですよ先輩……」

「学園トップクラスのやつも必然的にやっていることだけどね。例外はあるだろうけど」


「それで、話は変わるんですけど、青色先輩に実は相談が……」

「いや、皆まで言わなくてもわかっているわ。模擬戦についてでしょう?」


 模擬戦とは、学園内で腕に自信がある者がバトルロイヤル方式で勝ち抜いたたった8名が本戦の模擬戦で熾烈なバトルを繰り広げるというものである。その倍率は凄まじく、学年を超えて繰り広げられるため、本戦に進めるのは真に実力がある者だけである。

 そして、その模擬戦こそ青色のいう例外が発生する。のだ。

 仮に成績が絶望的だったとしてもそこでめまぐるしい活躍をしたり、学園長や学園トップクラスの者の目に止まれば留年や退学の回避はもちろんのこと、その他にも多数の高待遇が約束されるため、模擬戦はある種の一発逆転装置のようなものと言える。このシステムを通して霧峰学園がいかに実力主義であることかが窺える。


「! どうしてそれを……」

「お見通しだからよ。知っている……青色さんはなんでも知っている……」

「え、なんか怖い……」


 素直な感想が緋那の口から溢れる。考えていることを本当に全部見透かされているかのようだ。


「冗談はさておき、知ってはいたけど、私は立場上、『貴女から協力を仰がれたので協力した』という建前が欲しいの。だからその建前がないと学園長にあれこれ言われて面倒でね。バトルロイヤル中に突然力が抜けてその原因が自分自身でもわからないし、解決しようにも心配をかけまいと誰にも言えず、相談してきたというところかしら」

「そ、その通りです。」

「まあ、貴女の気持ちは分からないでもないわ」


 緋那は過去に模擬戦に2回参加している。が、そのうちの2回とも全て力が抜けて敗北を喫している。原因がわからないまま参加するのは危険だと判断し、青色の指示を仰ぐことにしたというわけだ。


「何者かが貴女をマークしてて、力を上手く出せないように能力で妨害ジャミングしてるのだと考えられるわ。その犯人の目的までは分からないけどね。……貴女、怨みを買われることでもした?」

「してないですよ。私が覚えている限りでは、ですが」

「そっか……なら、私がその犯人を特定してみるわ。だから遠慮なく参加してきなさいな」

「! 本当ですか!?」

「ええ。可愛い後輩の頼みだもの。無碍にするわけにはいかないわ。だから、貴女のすべてを見せてきなさい」

「はい! ありがとうございます!」


 緋那は目を輝かせながら、そう元気よく返事をした。


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