KZTO

 砂糖に塗れた珈琲を啜りつつ、道路に行き交う人々を屋上から見下ろす。

「苦い。」

 彼女は更に角砂糖を落とし、宙に浮くスプーンを手に取る。

「今日は苦い日なんだね。」

「今日も、だよ。」

 ふてくされる彼女に僕は苦笑する。

 僕のドリップが下手なのか、それとも彼女が極度の甘党なのか、未だに僕は答えを見つけられていない。案外こういうときは、どちらも正解だったりする。

「どうだい、見つかったかい?」

「ううん、今日は不作。」

「今日も、じゃないのかい?」

「うるさい。」

 再びふてくされる彼女。しかし、彼女はその手、いや、目を止めない。

 彼女には見える。何が見えているのかは僕もよく知らないが、見えているらしい。金曜日の昼下がり―いわゆるプレミアムフライデーの定時である―に、こうしてビルの屋上に陣取って、眼下の大通りを見ては、給湯室で僕が淹れた珈琲に文句を付けている。

 なんとなしに僕も見下ろしてみる。ありふれた、夕方のニュースで一二、三秒映るような往来の光景だ。


「飛んでみる?」

 不意に、彼女がそんなことを言い出した。

それは決して残業をサボる、という意味ではなく、本気で宙を舞うという意味の「飛ぶ」であった。

「いやいや、まさか。」

「でも本当は飛んでみたいのでしょう?」

「そんなことは、」

 ない、の二文字は喉仏につっかえてしまった。

「じゃあ、飛んでみましょう」

 そういって彼女は僕の腕を掴む。どこからそんな力が出ているのかと聞きたくなるくらい強く握られ、僕は逃げることもできなかった。いや、案外乗り気なのかもしれない。

 彼女が立ち上がる。つられて僕も立ち上がる。

 落下防止のフェンスは、とうの昔になくなっていた。


「あのね」

おもむろに彼女が切り出す。

「なんだい?」

「私ね、鳥になりたかった。」

身を乗り出した彼女が、伏し目がちにそう言った。

「なれるとも。」

間髪入れずに僕は返していた。

「なれるとも。君なら、何にだってなれる。何だってできる。」

自分でもどうしてそんなことを言うのか、思うのか、全くわからない。けれど僕には、そう言うしかなかった。そうとしか、思えない。

「そっか。」

彼女はこちらを見て、笑っていた。見たことのない、笑顔だった。

「きっと、あなたがいてくれるからね。」

「それは、どうかなあ。」

ふふふ、と二人して笑った。

「じゃあ。」

「うん。」

そして、僕たちはコンクリートを思いきり蹴った。

「おい君!何やってるんだ!」


誰かの声は、聞こえなかった。

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KZTO @Kzto_K

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