199607④

 最強の呼び声高き王国ブラジル。


 対戦が決まって以来、日本のスタッフ達は懸命に彼らの弱点を探ってきた。最強、最高と言えども同じ人間。つけ入る隙はゼロではないはず。

 彼らはビデオが擦り切れるほど見続け、ブラジル守備陣に微かな光明を見出していた。


 CBのアウダイールは世界的な名手であり、その実力は極めて高い。しかし、彼はオーバーエイジで招集された選手であり、GKジダとの連携には不十分な点があった。


 そしてもう一人のCBロナウド。彼にはボールウォッチャーとなってしまうことがあった。

 また、左側へのターンは得意だが、右側のターンは苦手であり、自分の左手からのボールに対しては素早く対応できるが、右手からのボールに対してはぎこちなさから対応が遅れてしまうシーンが確認されていた。


 日本はこのブラジルの弱点を突くべく、左サイドの藤堂拓海を起点とし、連携の悪いジダとアウダイールの間を再三狙い続ける。

 ブラジルの猛攻にさらされながらも何度かチャンスを作るものの、ロベウト・カルロスのカバーリングによって防がれること数回。


 それでもブラジルに勝つためにはこれしかない。日本の選手達は愚直に挑み続け、迎えた後半27分のことであった。





 この日、中園は苦闘していた。


 ワンタッチでかわしてもフィジカルで潰される。完全にかわし、ドリブルのスピードに乗ったのにもかかわらず後ろから追いつかれることもあった。仕掛けて簡単にボールを取られたもあった。


 それでも中園は嬉しかった。肌で感じる圧倒的なブラジルの力。己の全てをぶつけても跳ね返される現実。世界最強の壁は高い。


「俺一人では勝てないかもしれない……けどな、俺達は勝つ!」


 左に開いた中園に井原からのフィードが通る。スピードを緩めることなく、アウトサイドで前にボールを出した中園は、ためらうことなく中に切り込んだ。

 中園が引きつけ、左サイドにつくったスペースを駆け上がった拓海にボールが渡る。


 拓海の視線に前線で機を待つ城の姿が入った。


 城を見失ったロナウドのカバーにアウダイールが入ろうとしている。GKジダとの間にはちょっとしたスペース。


 あの二人の中間点にボールを落そう。


 瞬間的にそう判断した拓海の左足からふわりとしたクロスが上がった。


 ゆったりとしたボールは城とアウダイールの間に吸い込まれていく。


 城とアウダイールが競り合い、一瞬ボールを支配下に置いたかに見えたアウダイールと――ジダが交錯した。






 ドイスボランチの一角を担う服部は、己の思考が鈍ってきているのを感じていた。


 己が全力で抑え込んでいると見なしていたいた相手は、実力の何割かを温存していたようだった。相手も全力だと思い込んでいた。しかしそれが間違いであったことが無理矢理に理解させられつつあった。


 加速度的にギアを上げていくジュニーニョ。ついていくだけで必死、肉体的にも精神的にも極度の疲労感に襲われていた。


 だからその瞬間、服部は己の目を疑った。


 井原のロングフィードが中園に渡った瞬間、自分同様守備に奔走し、疲弊しきっていたはずの相方の伊東が、マークする選手はおろか守備のバランスすらかなぐり捨てて走り出したのである。





 突如として伊東は自陣を飛び出した。しかもあろうことか伊東の動きに釣られるように右WBの明弘もタッチライン際を駆け上がる。


 城は拓海のセンタリングに届かなかった。


 しかし、神は愚直な挑戦者達にほほ笑んだ。


 ボールを支配下においたはずのアウダイールとGKジダが交錯。


 ブラジルの中盤、最終ラインは猛烈な勢いで突っ込んでくる二人の日本人に全く気付いていなかった。


 ジダとアウダイール――二人のブラジル人の間からこぼれたボールを伊東が押し込む。


 極めてシンプルなシュート。しかしその価値は計り知れないものであった。


 後半27分、日本先制。





 予想だにしない事態に茫然自失といった表情のブラジルの選手達。


 ブラジルに残された時間は15分余り。彼らの表情からは余裕が消え失せ、必死の表情で攻め立てる。その猛攻は熾烈を極めた。


 刻一刻と試合は進み、後半35分日本が動く。


「前からボールを追え。隙あらば止めを刺してこい」


 西野は城に代えて窪を投入。あえて攻めの姿勢を見せた采配は、日本の選手達全員に『勝利への意思』として伝わり、彼らの目に光を灯す。


 42分、リパウドのクロスにアウダイールが頭で合わせる。シュートはバーを越えていく。


 44分、ブラジルは後半11本目のコーナーキックからロナウジーニョがシュートを放つ。井原が身体を投げ出してて弾き、再びコーナーキックへ。


 45分、ゴール前に上がりっぱなしのアウダイールのヘッドをGK川口がキャッチ。川口のパントキックは唯一前線に残っていた窪目掛けて一直線に飛んでいく。


 体力十分の久保がCBロナウドとの競り合いを制する。抜け出した窪が左足を振りぬき、その軌道を主審が見届けた。


 46分、日本が予想外の追加点を挙げ、主審はホイッスルを口に運んだ。


 日本対ブラジル――2-0で日本が勝利。


 日本サッカー史上空前の快挙であった。

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