199606
96年6月某日。クラブハウスの一室では宮原をはじめとしたSC鹿児島強化部の面々と、監督であるスキベ、コーチ陣が集まっていた。
強化部には大きく分けて2つのセクション――スカウト部門と強化部門が存在する。スカウト部門は新卒選手の獲得、強化部門が外国人選手と移籍選手の獲得担当である。
スカウト担当と強化担当は対象となる選手こそ異なるが、その目的は「選手を獲得し、クラブを強化する」ことである。
クラブとしてのベクトルを合わせるため、鹿児島では定期的に会議が開催されていた。
シーズン開幕前には「ポジションごとの補強の優先順位」や「補強すべきポジションを移籍で対応するか、新卒で対応するか」といったクラブの強化方針を決めており、両部門はその方針に沿って年間の活動を行っている。
Nリーグではシーズン前と夏と2回の移籍期間があり、今回の議題は「夏の第2登録期間」に対する対応であった。
Nリーグは前半15節を終え、鹿児島は10勝5敗で第4位につけていた。
96年のNリーグはアトランタ五輪開催のために8月末まで中休みとなっていた。ナビスコカップは開催されるものの、各クラブは後半戦を見据えた動きを取り始めている。
この当時のNリーグには引分けという概念はなく、90分間で決着がつかない場合はVゴール方式の前後半15分ずつの延長戦を行い、それでも決着のつかない場合はPK戦を行っていた。
同時期に昇格した福岡が僅か2勝しか挙げれていないことを踏まえると、鹿児島のこの成績は驚愕の躍進と言っても差し支えのないものである。
しかし、鹿児島首脳陣にその躍進に浮かれる者は誰一人いない。勝利を重ね、躍進を続けることで様々な問題が浮かびあがってきていたためである。
現在鹿児島が直面している問題には運営的な問題もあれば財務的な問題もあるが、その中で最大の問題、「選手の代表招集問題」に「夏の移籍」で対応することがこの日の会議のメインテーマであった。
現在鹿児島の所属選手にA代表は存在しない。しかし、今年最大のイベントであるアトランタ五輪代表には藤堂兄弟と窪の3人が選出されている。
代表選出とは選手の成長やクラブの知名度拡大を図ることのできる大きなチャンスである。
代表に選出されることで選手の名前が売れ、その選手を見ようとスタジアムに足を運ぶ人達が増える。集客を劇的に増やす起爆剤の一つになり得る。
選手にとってもより高いレベルでプレイすることで自信を深め、パフォーマンスの向上や強い向上心を得ることにもつながる。
選手が成長し、クラブの収入も増える可能性がある選手の代表選出であるが、大きなデメリットもあった。
主に挙げられるデメリットは3点。
1点目は傷病リスク。プレイが激しい上にピッチ状態が悪いことの多い国際試合は怪我も多い。代表での故障が原因で輝きを失ってしまった選手は少なくなく、練習での事例ではあるが最近では小倉の大怪我という例もある。
単純に代表との往復で疲労が蓄積していくことも無視できない。
2点目は精神的リスク。代表に選出されても試合に出場できないことは多い。
長期間に渡って拘束されながらも実戦を経験できず、試合勘を失い、自信を喪失した選手はどうなるのか?
クラブに戻ってからも精彩を欠き、再び代表に選ばれることなく、更に自信を失って負のスパイラルに陥ってしまう選手も多い。
代表選手にはエリートや雑草と呼ばれる選手達がいる。
昔から年代別代表に選ばれ続けてきたような選手とNリーグで活躍するまで陽の目を見なかった選手達。
両極にいる選手達であるが、彼らは仮に代表から落ちてもそれほどダメージを受けないことが多い。
エリートは幼き頃から幾多の競争を繰り返してきており、どれほど華やかな経歴を持っていても、実際の所数え切れないほどの挫折を乗り越えてきた選手が多い。
逆に雑草組は元々辛酸をなめながらも消えることのない情熱を胸に向上してきた人材達であり、強いメンタルによってすぐに開き直ることができる。
しかし、この狭間に属している選手の場合、中途半端な過去の栄光に縋ったり、開き直れることもできずにその輝きを失ってしまうことが多いのである。
そして最後のデメリットはクラブの戦力低下である。
A代表と異なり世代別代表とNリーグの日程は完全にはリンクしていない。5月に行われた五輪代表のチュニジア遠征中もNリーグは開催されていた。
鹿児島のようにレギュラー3人を引き抜かれたクラブは大幅に戦力を削がれることとなり、実際鹿児島は中断前2試合で2連敗を喫し、優勝戦線からの後退を招いてしまっていた。
Nリーグ初年度の鹿児島は異例の好成績を挙げているものの、まだまだその選手層は薄く、レギュラーとサブの実力差が激しい。
代表選出に伴うクラブの戦力低下。強化部の面々はこの問題に対し「夏の移籍」で梃入れしたいと考えていた。
「やっぱ有名どころは難しいな」
強化部で作成したリストを見ながら宮原が溜息を漏らす。
夏の移籍ではシーズン中ということもあり、他クラブのレギュラークラスを獲得するのは難しい。狙うべきは選手層の厚い強豪クラブで控えに回っている選手と外国人選手が中心となるが、現在の鹿児島の外国人選手は3名。3名とも主力としてプレイしていることから有力外国人選手の補強は難しかった。
「浦和の桜井に横浜の上野、川崎の広長を軸にあたっていこうか」
日本人選手の対象は若手で出場機会に恵まれていない選手達に絞られた。
プロ選手であれば誰であっても試合に出たいものである。試合に出て活躍し、成長することで自分自身の価値を上げていかなければならない。
出場機会が与えられない状況が続いた時、ベテランならば気持ちをコントロールすることは可能であるかもしれない。
しかし、若い選手でその状況に甘んじていられる人間は少ない。
選手を獲得するにあたって大切なのはその選手の「移籍したい」という気持ちである。本人に「よそでやりたい」という強い意思があれば多少クラブ間でごたついても落し所は見つかるものである。
宮原の挙げた選手達は確かな才能を持ちながらも現在のクラブではほとんど出場機会が与えられていない人材達である。
しかし、宮原は知っていた。時と場所がめぐり逢えば、彼らは大きな輝きを放つことを。
そして議題は『黄金世代』と呼ばれる下部組織の選手達にも言及された。
「小野と元山はトップでも使えるのでは?」
「確かに。レギュラーは難しいかもしれませんが、プレイスタイル的に途中での投入も問題ない。経験を積ませることもいいかもしれません」
「ユースのダブルエースを同時に抜くとU-18が困りませんか?」
「そこはタイミングを考える必要はあるだろう。そのへんは要相談だな」
プロ入り確実の逸材達により高いレベルでのプレイを経験させ、更なる成長を促す機会を与えるとともに自チームの戦力層に厚みをもたす狙いがあった。
将来の世代交代も見据え、着実に彼らは動き続けていた。
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