199605②

 妙神の同点弾に盛り上がる鴨池陸上競技場。咆哮を上げる妙神の姿を見下ろす二人の男がいた。

 SC鹿児島の社長兼GMの宮原とアトランタ五輪代表監督――西野明である。


「どうですか、先輩。うちの連中は?」

「ああ、いいね。拓海のプレイが見れなかったのは残念だが、明弘もまた成長している。妙神のあの運動量も魅力的だが、窪……あいつ本当に日本人か? 空中戦でアントニオに完勝じゃねーか」


 西野は宮原にとってサッカー界最大派閥と呼ばれる早稲田大学の先輩にあたる。共にプレイしたことこそないが親しい間柄であった。

 一回りも年齢差のある二人であるが不思議とウマが合い、西野が五輪代表を率いる以前より、ユース代表を率いている頃から散々愚痴を聞いてきた仲であった。

 二人の間には先輩後輩というよりは親しげな友人同士という空気が漂っていた。


 この日、西野は間もなく訪れるチュニジア遠征に備えて視察に来ていた。軽い口ぶりとは裏腹に疲れ切った表情を見せる西野。その姿に、五輪代表を取り巻く環境を知る宮原は胸を痛ませていた。





 この当時西野は2つの敵と対峙していた。協会とマスコミである。


 最終予選後、西野は五輪代表監督として自分の考えた強化プランに沿ったスケジュールを協会に要望していた。しかし、その要望が認められることはなく、協会から命じられたのはチュニジアへの遠征。

 チュニジアの理事が2002年W杯開催国決定の投票権を持っていたためであった。


 現場ではなく協会の都合優先。このような扱いとなったのは、西野をサポートすべき協会の強化委員長がアジア最終予選後に替わったことの影響が大きかった。

 前強化委員長は積極的に西野をバックアップしてくれたのだが、賀茂A代表監督の進退題問題で辞任。

 本来強化委員長は西野側に立ってNリーグと交渉すべき役割を担うのだが、後任者は利害関係が対立するはずのNリーグ理事からの選出。

 さらに協会専任ではなくサラリーマンとしての顔も持っており、西野と意思疎通する時間すら割かないという状況が続いていた。

 結果として西野の要望はほとんど叶えられず、孤立無援の状態で闘う西野の苦悩はその容貌に影響を与えるほどのものであった。


 また、五輪出場を決めた後のマスコミの報道もチームに悪影響を与えつつあった。特定の選手ばかりを取り上げるその姿勢が、攻撃陣と守備陣の不協和音を生もうとしていたのである。

 マスコミはゴールを挙げた選手、攻撃面で活躍した選手ばかりを取り上げ、スター選手を生み出そうと躍起になっていた。

 攻撃陣は過信を強め、攻撃陣のコメントばかりを読まされる守備陣の不満は高まっていく。

 未だ表面化してこそいなかったが、選手間の雰囲気が少しずつ険悪なものになりつつあり、西野の苦悩は深まるばかり。口から出る言葉も愚痴ばかりとなっていた。





 前半が終わり、選手達が控室に戻っている間も西野の愚痴は続く。


「なんでW杯招致のためとはいえ同じチームと2回もやらないといけないんだよ。しかもアフリカまで行ってこいって……やってられん」

「最後の新戦力テストということで、開き直るしかないんじゃないんですか? まあ、あんまり選手を取られるとうちも困りますけど」


 その言葉に西野はお前もか、というような表情を浮かべる。複雑な笑みを浮かべた宮原であったが、宮原自身Nクラブを代表する立場である。

 西野の心境、置かれている状況は十分に理解しているが、まずは自分のクラブを最優先に考えなければならない。


 五輪代表に選ばれ、注目を浴び、得難い経験を積んで成長することは選手にもクラブにも確かなメリットがある。しかし、純粋に戦力を引き抜かれるというデメリットも存在する。


 チュニジア遠征中もNリーグは続く。


 若い選手達の活躍するSC鹿児島だからこそ、五輪代表で選手が抜けることは切実な問題であった。





 西野と宮原が重苦しい空気を共有する中、後半が開始された。鹿児島は前半の勢いそのままにサイドを攻めまくる。


「ほんと鹿児島は気持ちいいくらいに攻めまくるな」

「それがうちの売りであり、クラブのスタイルですからね」

「やっぱサッカーは攻めないとな……」


 どこか辛そうな表情で呟く西野。


「ま、相手がブラジルじゃなければ攻撃的にいってもいいと思いますよ、俺は」

「本気か?」


 怪しむような雰囲気の西野に軽い口調で宮原は言う。西野の心が少しでも晴れることを祈りつつ、五輪本選での対戦国であるブラジル、ナイジェリア、ハンガリーに対する楽観的な分析を述べ始める。


「本気のブラジルは別次元です。もう固めて固めてカウンターにかけるしかないと思います。けど、ナイジェリアとハンガリーは攻めてもいいかもしれない。相手の方が格上なのは変わらないですけど」

「ナイジェリアはジュニアユースの優勝国。ハンガリーだって名門だぞ?」

「確かにそうですけど、そのナイジェリアと仲田達は2-1だったんでしょ? アフリカ勢は身体能力に頼ってる奴も多いから意外に伸びてなかったりしますよ。ハンガリーだって強敵とはいえ他に比べればマシですし。それに……」


 面白そうな表情を浮かべる宮原。


「仲田や中園だけじゃない。あいつら皆世界に挑戦したがってる。自分の活躍で日本のサッカーを変えてやる、それくらいの気持ちありますよ。そのへんうまいこと転がすのも監督のモチベーターとしての仕事でしょ?」


 ピッチでは鹿児島が高いラインからのプレスでプレイエリアを限定し、右SB藤堂明弘がボールを奪いとる。明弘がすぐさま裏を狙い、そのロングパスに反応したのは窪。元ブラジル代表CBアントニオを純粋な力と加速で振り切る。


「なんてフィジカルだ……化け物か」


 ぽつりともらす西野。

 アントニオを置き去りにして独走態勢に入った窪が、ゴール前30m以上の距離から左足を振りぬく。

 日本人離れした強烈なシュートはGK土肥の手をすり抜けて柏ゴールに突き刺さる。日本人では三浦に次ぐリーグ9点目のゴールであった。


「あいつの規格外なプレイは間違いなく世界をびびらせれますよ。固定化されたチームに競争原理を持ち込んで危機感を煽れば……チームをまとめるきっかけにもできますよね?」


 その言葉にニヤリと笑みを浮かべる西野。


「ただし、一応あいつうちのエースストライカーですからね。酷使してケガなんてさせたらタダじゃすませないですからね」


 釘を刺すNクラブ社長に対して何度も頷く五輪代表監督。その表情にはどこか晴れやかなものが浮かびつつあった。





 鹿児島はその後エレミース、明神、永井と繋いだボールを窪がダメ押しで決め、3-1で逃げ切ることに成功。

 柏を率いるニカノール監督は、試合後次のように語った。


「窪選手について話したい。彼は素晴らしい可能性を持っている。いずれ日本のサッカーファンは窪という存在を持ったことを幸せに思うでしょう。日本サッカー界にとって窪は宝石そのもので、財産です。これから大切に育ってほしいと思っています」 

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