199605①

 5月4日のNリーグ第12節。鹿児島は前年12位ながらもここ最近で4連勝と勢いに乗る『太陽王』柏ソレイユをホームで迎え撃っていた。


 Nリーグ2年目の柏は昇格初年度の昨年、前半のサントリーシリーズでは最下位。その後監督交代等の紆余曲折を経て後半のニコスシリーズでは5位と躍進。

 1ステージ制となった今年は、昨年まで平塚でヘッドコーチを務めたブラジル人指導者ニカノールが就任し、序盤のスタートダッシュにこそ失敗したが現在中位まで巻き返している。


 昨年の雪辱を誓い、昇格組の先輩として鹿児島には負けられないと意気込む柏と、昇格初年度にも関わらず若い力の爆発で優勝戦線を争う鹿児島。

 鴨池陸上競技場を舞台に、互いの意地とプライドをかけた戦いの幕が上がる。





 ホーム鹿児島はいつも通りの4-3-3。3トップ中央に窪、ウイングは右が河原、左にシュナイダー。インサイドハーフを永井と妙神、アンカーにエレミース。少し疲労の見える藤堂拓海はベンチスタート。

 守備陣は左から藤山、前田、佐藤、藤堂明弘。五輪代表でWBとして活躍した明弘は自チームでもSBとして活用されつつあった。GKは不動のシューマッハという布陣である。

 妙神にとってはユース時代を過ごした愛着のある古巣との一戦。成長した姿を見せようといつも以上に気合が入っていた。


 対する柏の布陣は4-4-2。2トップにカレカ、エジウソン。中盤両サイドが左に加藤、右に酒井、ドイスボランチを下平と横山が務め、守備陣は左から片ノ坂、アントニオ、渡辺、沢田。GKに土肥という布陣である。

 ブラジル屈指のストライカーであり、マラドーナと共にナポリでUEFAカップ優勝やセリエA優勝といった栄光を掴んだカレカと、破壊的なドリブル突破を誇る快速FWのエジウソンは、Nリーグ屈指の2トップとの呼び声も高い。


 右SBを務める沢田は日本代表デビューを切っ掛けに自信に満ちたプレイを見せており、ニカノールの志向するサイド攻撃のキープレイヤーである。

 また、左SBの片ノ坂は鹿児島実業出身の25歳。勝手知ったる先輩後輩達との凱旋試合に臨む意気込みは鬼気迫るものがあった。


 サイド攻撃をチームの生命線に掲げるチーム同士の一戦は、激しいサイドでのバトルを生むこととなる。





 沢田は焦れていた。ゲームが開始されて既に20分が経過し、その間柏は鹿児島の猛烈な波状攻撃を受け続けている。

 スコアは1-0。開始早々ロングボールのこぼれ球の処理を、古巣相手に気負いすぎだ妙神がミス。その瞬間、エジウソンが圧倒的なスピードでかっさらって柏が先制。

 流れの中ではなく、完全にエジウソンの個の力で挙げた得点。それで流れを握ったかというと逆に目覚めたかのように鹿児島の猛攻が始まった。その尽きることのない波状攻撃は沢田の精神を尋常ではないスピードで削り取りつつあった。


 監督、助っ人外国人をブラジル人で揃え、どちらかと言えばスロースタイルの柏は、鹿児島の仕掛けるプレスの網に次々と絡め取られていた。

 1996年当時、どこか牧歌的なサッカースタイルが主流であったNリーグではなかなかお目にかかれない鹿児島のプレッシングサッカー。

 体感している柏陣営はリードしているにも関わらず、まるで蜘蛛の巣にかかった獲物のような気持ちになっていた。


 攻撃に移ろうとしてもすぐにボールを奪われ、なかなか有効な攻撃が展開できない状況が続く。

 柏の攻撃はSBのオーバーラップが攻撃のスイッチである。その役割を担い、日本代表として実力的にもチームの中核と認識されている沢田が上がることができない状況が続き、柏の攻撃は散発的なものとなっていた。


 原因は鹿児島の左サイドにあった。柏のストロングポイントである右SBの沢田を敢えて集中的に狙うかのように左ウイングのシュナイダーにボールを集め、再三再四のサイド突破を図ってきたのだ。


 シュナイダーは昨年までブンデス2部でプレイしていた無名の若手選手であるが、そのテクニック、フィジカル、サッカーセンスといったものを集約した総合的な実力は鹿児島でも一二を争う逸材である。

 両足から繰り出される高精度のクロスだけでなく、単独で切り込むことのできる切れ味鋭いドリブル、少しでもゴールへのコースを開ければ多少の距離は関係なく放たれる強烈なシュート。

 一瞬でもフリーにしてしまえば失点してしまう。そんな恐怖にも似た危機感を日本代表右SBに与えていた。


 加えて厄介なのは、高い位置に張る鹿児島の左SB藤山。豊富な運動量で攻撃参加を繰り返してサイド攻撃に厚みを持たせ、守備となるや鋭い出足で次々とインターセプトを繰り返す。


 藤山とシュナイダーが高い位置にいるということは逆に守備の穴が生まれるはずにも関わらず、一年前まで下部組織にいたはずの選手が驚異的な運動量と適切なポジショニングで埋め続けている。


「これも才能ってことか。あいつ一人で何人分動いてるんだ」


 思わずこの才能を見出せなかった自軍の上層部への怨嗟にも似た意識を振り切るものの、沢田が攻撃に転じたくても転じようがない四面楚歌の状態は続く。

 明らかに柏のリズムは狂っており、次第にGK土肥のファインセーブばかりが目立つ状況となっていった。





 迎えた35分。鹿児島の決定機がシュナイダーから生まれる。

 左サイドを深く抉り込んだシュナイダーからのクロスを元ブラジル代表CBアントニオと競り合う窪。

 187cmという長身を誇るアントニオをさらに頭一つ超える高い打点から放たれたゴール右隅へのシュートは、この日抜群の反応を見せていたGK土肥によってギリギリの所で弾かれる。

 超人的な反応を見せてくれた土肥に感謝しつつ、こぼれたゴールをCB渡辺がクリアしようとした瞬間であった。


 その視界に飛び込んでくる影――妙神であった。





 妙神は兵庫県神戸市出身。小学5年より千葉に引越し、高校から柏ユースに入る。

 基礎技術はあった。スタミナもあった。ただ、突出したスピードや類まれなパスセンスといった飛び抜けた武器がなく、なかなか評価されることのない日々が続き、卒業後の進学も考える中であった。

 打診を受け、それを伝えるコーチも戸惑っていた。SC鹿児島からアプローチは唐突であり、コーチ陣もどこを評価した打診なのか確信がない中会った鹿児島の社長兼GMである宮原。

 彼に見出された自分自身でも認識できていなかった己の強みは、確実にプロの世界でも通用しつつある。


 できることなら柏でプロになりたかった。しかし、妙神が求めたその時、柏は己を求めていなかった。


 晴れてプロとなった妙神は驚くことに開幕からスタメンを獲得し、周りの先輩達のフォローを受けながらも、チームのオーガナイザーとして確かな成長を遂げてきた。

 そして迎えた古巣との一戦。


 妙神は見せたかった。自分を育ててくれた人達に、成長した自分の姿を。

 感じてもらいたかった。自分を受けれてくれた人達に、俺を獲ってよかったと。





 古巣相手に気負ったあまり、ミスから失点を招いてしまった18歳の若者は、体ごとボールと共にゴールへ雪崩れ込む。


 チラリと古巣のゴール裏に視線を向けた後、鹿児島サポーター達に向けて駆け寄り、咆哮する。


 自分を築いてくれた人達、支えてくれる人達への感謝を胸に、鹿児島のダイナモは走り続ける。

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