199604⑤
幾多の名選手、名監督を生んできたドイツサッカー界にウト・ラテックという男がいる。
東プロイセン(現在のポーランド)出身の61歳は『優勝請負人』の二つ名を持ち、『日本サッカー界の父』と呼ばれるデットマール・クラマー氏と共に西ドイツ代表のアシスタントコーチを務めたこともある人物である。
クラブレベルではバイエルン、ドルトムント、シャルケ、バルセロナといった名門を率いて14のタイトルを獲得。UEFA主催の三大タイトルを全て獲得した事でも知られており、その実績はドイツサッカー界でも燦然と輝いている。
現場を退いた後はコメンテーターとして活躍していたが、今は娘婿のプレゼントでブンデスリーガ3部のディナモ・ドレスデンの代表を務めている。
ラテックには2人の娘がおり、その長女の名をサビーネといった。
「株式会社スポーツキャリアナレッジ代表取締役サビーネ・宮原? このロゴマークって……」
「Sports Career Knowledgeを略してSCK。出資したのは俺個人だからSC鹿児島と直接の関係はない。ただ、関連事業の会社の頭文字はSCKで統一してるし、カラーも赤で統一している。ブランディング戦略の一環だな」
あらためて渡された名刺を凝視した後、仲田は目の前の女性を見つめた。
外国の女性は外見から年齢を判断するのが難しい。柔らかい笑顔を浮かべる目の前の女性も20代後半に見える。しかし、話を聞くと30代半ば、一児の母であるという。
「僭越ながら代表を務めてます。主な業務はスポーツ選手のエージェント業務、強化コンサルティング、ライフプランニング、ファイナンシャルプランニングにセカンドキャリアサポート、著作権・肖像権管理といった所ね。欧州ではクラブとの交渉を代理人という人達が行うことは知っているかしら?」
流暢な日本語に驚きながら仲田が頷く。
「日本ではクラブとの交渉を選手一人一人が行っているわよね。けれど、これは知識も時間もない選手にとって極めて不利な状況であり、欧州では考えられないことだわ。そんな日本でのサッカー選手の地位を向上させたいという優太の話を聞いて立ち上げたのがこの会社なの」
誇らしげに、どこか照れくさそうに笑うサビーネ。親兄弟のいない遠い異国の地で育児をしながら仕事をするには周囲の理解と支援が必要である。その表情にはパートナーへの深い信頼と愛情が垣間見れた。
サビーネの話によれば、日本では「Nリーグ規約」において代理業務を行うことができるのは弁護士とFIFA公認代理人に限られており、株式会社スポーツマネジメントではドイツサッカー協会に代理人登録した人物が代理業務を行っているという。
父であるウト・ラテックの人脈を活かし、ドイツで活躍する他の代理人とも太いルートがあるという。
宮原との出会いも父のコネクションによるものだった。
ラテックは宮原がシャルケ所属時に監督を務めたことがある。当時、サビーネは欧州金融界の名門ドイツ銀行に勤めていた。
プロスポーツ選手という大口の顧客を複数担当して実績を上げており、父の紹介で宮原の担当となったことが出会いのきっかけであった。
仕事を通じて親交を深め、出会って1年後には結婚。その後、男児を出産。宮原の日本復帰を機に来日し、株式会社スポーツマネジメントを立ち上げたという。
「スポーツ選手の競技人生は極めて短いわ。その大切な時間を選手が競技に集中することのできる環境をいかに作るか、そしてその後の人生設計を共に準備することがプロスポーツの世界では大切なの」
その言葉に仲田は深く頷く。仲田自身将来的にスポーツ選手のコンサルティング会社の設立を考えていた。その一つのテストケースの話を聞くことが仲田の知的好奇心に火をつけるのは必然であった。
組織構成や人員のリクルート、収益分岐点や関連事業への展開等、様々な質問を仲田はぶつけた。
サビーネも答えれる範囲で丁寧に答えていく。そんな横道に逸れた話題を戻したのは宮原だった。
「オグもサビーネの会社とマネジメント契約を結んだんだ」
その言葉に仲田は当初の目的である小倉の怪我の件を思い出す。我に返った仲田に宮原が語る。
「日本国内での手術を望むクラブと本場である欧州での手術を望むオグとの間で意見が衝突した」
「その交渉に当たったのがうちの会社。全く譲歩を見せないクラブ側の態度を見て、日本のスポーツ界で選手達の置かれている現状、制度の未熟さにびっくりしたわ」
どこか呆れたような表情を見せるサビーネ。そして、本来は守秘義務があるのだけど、と断って話し出す。
事前に仲田に会うことを小倉に伝え、仮に経緯を聞かれた際にはその詳細を伝えてもよいと了承を得てきたのだという。
「けれどその未熟な体制というのが今回は役立ったわ。小倉さんとクラブが交わした契約書には選手生命を脅かすほどの怪我が発生した際、両者の見解に相違が発生した場合は契約解除することのできるという文言を入れてあったの。うちの旦那のアドバイスで最後の切り札として入れていた条件を使うことになったのは正直びっくりしたけど……今回はそれを適用して契約を解除。その後速やかにドイツルートで専門医を手配して手術を行ったの」
宮原の前世におけるNリーグの歴史で選手が初めて代理人を置いたのは1996年11月の中園と横浜の交渉であり、日本では交渉の実務が未成熟であったことを突いた手段であった。
宮原の前世において、スポーツ医学の観点からすると誤った手術を複数重ねて輝きを失っていったレフティモンスター。
頂点を極めることのできなかった巨大な才能を惜しんだサッカー好きは宮原だけではなかった。
練習中に事故が起きるから気をつけてくれ。そんな突拍子のないアドバイスを行うこともできず、仮に行ったとしても信じてもらえる手段のない宮原が考えたのが小倉とのマネジメント契約であった。
事故の発生を止めることはできないが、その後のフォローに関してはギリギリではあるがうまく立ち回れたと宮原は思っている。
「なるほど。これが宮原さんがサビーネさんとおかげと言った理由ですか。ただ、契約解除ってことは、怪我が治ったらまたチームを探さないといけないんですよね? そんな経緯があったら難しいんじゃ……」
不安げな表情を浮かべる仲田を安心させるかのようにサビーネは片眼をつぶる。
「そのための代理人でしょ。代理人は確かにクラブとの交渉を担うけど、選手の所属先を探すのも仕事の内よ。幸い手術も成功したし、経過は良好。最悪父か旦那の所に無理矢理つっこむだけの力が私にはあるのよ」
しゃれっ気たっぷりにしゃべるその表情には、自らの仕事に誇りを持つ一流の職人が浮かべる気品に溢れており、それを見た仲田の内には安堵が広がる。
五輪代表、日本代表に圧倒的な存在感を持ったストライカーが復帰する日は遠くない。そんな確信が仲田の脳裏に浮かんでいた。
「ちなみに仲田君は代理人と契約しているの?」
その後、話題は仲田自身に移っていく。仲田は海外で活躍するという夢やその計画に関して語る。
サビーネと宮原がアドバイスをし、その話に拓海が刺激を受ける。
夢や目標を客観的な視点からアドバイスを受けることのできる環境、日本から世界へ羽ばたつための環境が、静かに、確実に、史実より早く生まれ始めていた。
1ヵ月後、仲田は株式会社スポーツマネジメントとマネジメント契約を結ぶこととなる。
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