199604④

 宮原のインタビューから遡ること数日。鹿児島と平塚が鴨池陸上競技場にて果敢に攻めあった第9節の夜。この日、宮原は一人の青年と知己を得た。


 青年の名は仲田秀寿。Nリーグ2年目で平塚の司令塔として君臨する逸材。高度な技術と戦術眼を持ち、五輪代表予選でも活躍を見せる日本期待の若手MFである。

 独特な考え方やその発言で、傲慢とも変人とも呼ばれることもある。しかし、言葉とは裏腹に妥協を許さず、自分の仕事に真摯に向き合うその姿勢は、その本質を知る人間から高い評価を得ている。


 仲田と宮原が知己を得たきっかけはアトランタ五輪最終予選であった。最終予選には鹿児島から藤堂拓海と明弘の二名が参加しており、特に拓海は仲田と抜群の相性を見せた。

 攻撃陣の中核である中園や仲田、拓海は練習外でも積極的に親交を深め、宮原の話題が出ることも多かった。

 仲田は日頃から「サッカーしか知らない人間になりたくない」と公言しており、税理士資格取得を目指して簿記の勉強を始めていたり、将来的にはスポーツ選手向けのコンサル会社の設立を考えていた。

 そんな仲田にとってプロサッカー選手として海外で活躍しながらも実業家としても成功を収めている宮原は一種の憧れであった。

 自らの目指すべき一つの理想形との出会いを仲田が求めたのは必然であった。この出会いは後の日本サッカーの変遷に大きな影響を与えることとなる。





 ㈱SCKの運営するスポーツビュッフェSCK天文館店にて仲田との会食に臨んだ宮原。

 スポーツビュッフェSCKは鹿児島の郷土料理や名物である焼酎を中心にビュッフェスタイルで提供している。

 カロリー表示された素材を活かした料理が女性や子供に受けており、鹿児島市内及び鹿児島県内の中核都市に次々と出店している。

 SC鹿児島のファンショップとしての機能も兼備しており、鹿児島の試合映像やその他のスポーツの試合画像が流され、宮原の所属したブンデスリーガの試合配信も多いことで有名である。

 天文館店には個室も用意されており、宮原と仲田、紹介者である拓海を交えた会食は店舗最奥の部屋で行われたのだった。


 仲田を紹介した拓海には心配していることが一つあった。『仲田の話し方』である。

 仲田は「フィールドの上では選手は平等で上下はない」と言い、どれほど目上の先輩でも呼び捨てにする男であった。

 ピッチ内については拓海も共感していたが、ピッチ外できちんとした対応ができるのか不安だったのである。

 しかし、その憂いは杞憂であった。そこにいたのは礼儀正しい一人の純朴そうな青年であった。





 宮原は感慨深い気持ちに浸っていた。前世の記憶に残る孤高のカリスマ。常に先陣に立ち、日本を引っ張った男。激闘の末、表情を歪ませ、崩れ落ち、一人ピッチに横たわったその姿は宮原にとっても色あせることのない記憶であった。

 その男が目の前で、溢れる好奇心を抑えきれないかのように饒舌に語っている。


「宮原さんは実業家としても成功してますよね。正直もう働かなくても暮らしていけるのに、サッカーに携わり続ける理由ってなんですか?」


 サッカーを『仕事』であり『一番お金を稼ぐことのできる手段』であると公言する仲田にとってこの質問は最も聞きたかったことであった。


「確かに働かなくても生きていける。けど、人生はまだまだ続く。だから、今は夢を叶えるためにサッカーに携わっている」

「夢……ですか?」

「そう。サッカー選手になることも実業家として成功することも夢だった。鹿児島にサッカークラブを作るのも夢だった。全部俺個人の夢だな。けどさ、鹿児島にサッカークラブを作るためにたくさんの人達の力を借りて、俺の夢がいつのまにか俺達の夢になった」

「俺達の夢……」

「夢は続くし、また生まれる。鹿児島はNリーグに参入できた。これからたくさんの子供達がSC鹿児島に憧れ、目指し、努力を重ねてくれるだろう。その子供達のためにSC鹿児島を発展させないといけない。子供達だけじゃない。SC鹿児島が生まれるにあたってたくさんの人達が協力してくれた。ここにいる拓海を始めとしたプレーヤーや地元の行政、スポンサーになってくれた企業さん、何よりも熱烈に応援してくれたサポーター達にも恩返しをしたい。そう思うとどんどん新しい夢が生まれてくる」

「新しい夢……欲張りですね」

「そう。俺は欲張りなんだ。今目指しているのはSC鹿児島を象徴にして、鹿児島経済を活性化させて、ついでに九州全体を繁栄させることだ。最終目標は日本サッカー、日本という国自体の活性化だな」


 9割夢物語だけどな、と笑う奥に見える眼光は決して冗談で言っていないということが伝わってきた。

 仲田は10歳年上の目の前の男に圧倒されている自分を感じていた。


「サッカークラブの経営って難しい印象があるだろう? けどな、サッカークラブだからこその強みが2つあるんだ」

「強みですか?」

「それは『地域性』と『忠誠心の高さ』だ。サッカークラブ単独で見ると経営は難しい。けれど、クラブの持つ地域の象徴としてのブランド力はいくらでもビジネスで活用できる。それに一度クラブのファンになってくれた人はそう簡単に他のクラブに乗り換えない。SC鹿児島はグループ会社の象徴としても使わせてもらう。他を圧倒するブランド力を利用して、鹿児島から世界で戦える企業を生み出す。成功したら横展開。いずれ日本を変えるぞ」


 その言葉は仲田の芯を打ち抜いた。


「俺はまだそんなに大きいことも周りの人のことも考えれないです。チームのために、周りの人のためにプレイするなんて絶対言えない。自分自身のためにプレイして、世界の中で自分がどの位置にいるか確かめたい」

「若いうちはそれでいいんじゃないかな。我武者羅に目標に向けてストイックに全力を尽くす。それでいいんだよ」


 29歳とは思えないほどの落ちつきを湛えた目で、宮原は優しく仲田を見つめていた。





「オグのケガの件、宮原さんが動いてくれたってゾノから聞いたんですが、どういうカラクリなんですか?」


 その後も話は和やかに進み、五輪最終予選の練習中に大ケガを負った小倉の話へと移っていた。

 2月に小倉が負った右膝の後十字靭帯の完全断裂は全治6か月以上の大ケガであり、海外での手術を望む小倉とクラブ首脳陣の間で揉めているとの噂が広がっていた。

 しかし、小倉は3月に急遽海外へ渡り、右膝にメスを入れることとなる。小倉と親しい一部の選手達の間には、その経緯に宮原が関わっているとの噂が上がっていた。


「ああ。あの件か……おっと丁度いいな」


 その言葉と共にに個室の扉が開き、一人の女性が入ってきた。事前に拓海から一人遅れてくると聞いていた仲田であったが、その人物が女性であること、またその容姿に驚きを隠せなかった。


 黒髪のショートカット、小さな顔に大きな青い眼と鼻筋が通った美しい顔立ち、意思の強そうな唇が強烈な存在感を放っている。

 黒のスーツに白いブラウスというシンプルな服装が、逆にその美しさをより際立たせていた。

 宮原が立ち上がり、仲田に紹介する。


「彼女は俺の妻で、サビーネ・宮原。俺の人生のパートナーであり、ビジネスでのパートナーでもある。オグの件は彼女のおかげだよ」


 拓海は後に語る。仲田がその言葉を理解するのに要した時間は1分を超えたと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る