199603⑦
試合の均衡を破る強烈な窪の一撃で、鴨池陸上競技場はお祭り騒ぎとなっていた。チームを信じる気持ちはあっても、初のNリーグの舞台、相手は王者川崎。綺羅星のごとく日本代表の集う川崎相手では苦戦は免れないという戦前の評価を開始早々覆す鮮烈なゴールであった。
ましてゴールを決めたのは鹿児島サポーターの誇る『ドラゴン』窪。NFL参入時のセレクションで高校卒業と同時に鹿児島に加入し、その成長を身近で見てきた生え抜きの選手。
ブンデスへと旅立ったスルシャールの後釜という立場、受け継いだ背番号『9』に恥じない今年二十歳を迎える若武者の見せた圧巻のプレイにサポーター達は沸き立つ。
野性味溢れるプレイ、冒頓とした人柄から窪が多くのサポーターに愛されていることを感じさせる光景であった。
もっとも遠路はるばる訪れた川崎サポーター達の雰囲気はどん底だった。日本代表の集う川崎が、全国的に全く名の知られていないFWにあっけなく失点したのである。
目の前の光景は果たして現実なのだろうかと、現実逃避を始める者が出始めるほどの混乱ぶりであった。
もちろん混乱状態に陥ったのはサポーター達だけではなく、選手達も同様である。河原に揶揄された中村はもちろん、自身を遥かに超える高さを見せつけられた守備の要――『闘将』柱田仁の表情も心もち青ざめているように見えた。
川崎を包み込もうとしたどこか重苦しい雰囲気を打ち破ったのはエースの声だった。
「みんな、まだ試合は始まったばかりだ! すぐに俺が獲り返す!」
ピッチに響き渡る『キング』カズの声で一転、川崎の選手達の目に火が灯る。窪のプレイは意外性、プレイレベルの高さから、試合を飲み込むほどのものを持っていた。しかし、川崎にも試合を支配することができる『キング』がいた。
カズこと三神知良は1967年2月生まれの29歳。宮原と同じ67年生まれであるが、早生まれのため学年ではカズが1つ上である。
15歳でブラジルへと渡り、0からのスタートの中、複数のクラブを渡り歩きつつ這い上がり、90年には名門サントスでレギュラーを得るほどの活躍を見せた。
その後Nリーグ開幕を控える日本に帰国。日本とブラジルの違いに戸惑った時期もあったが、順応した三神はNリーグで日本人トップクラスの活躍を見せ、Nリーグ初代MVPやアジア年間優秀選手賞を受賞。
94年にはジェノアへ移籍し、アジア人初のセリエAプレイヤーとして歴史を刻む、自他とも認めるスーパースターである。
代表には90年9月のバングラデシュ戦でデビューし、エースとして活躍。W杯アメリカ大会予選では『ドーハの悲劇』を経験し、その後も『日本のエース』として第一線で活躍している。
カズと宮原の出会いは日本代表でのことであった。大卒でシャルケに入団した宮原であったが、当時のシャルケは2部所属であり、一部を除き日本での認知度はそれほどのものではなかった。
その後、1部昇格に中心選手として貢献すると、一躍注目を集め、宮原の代表待望論が湧き上がる。
しかし、1部復帰後のシャルケは毎年優勝戦線に顔を出すクラブとなり、その中核を担う宮原をなかなか代表に送り出すことができず、代表としては親善試合数試合の出場に留まることとなる。
宮原の代表辞退の理由には、91年に結婚した後、妻がすぐに妊娠し、身重の妻を置いて行けなかったという家庭事情もあったとされるが真偽は定かでない。
数少ない宮原との代表でのプレイはカズにとって至上のものであった。世界を知る者ゆえ、カズに課せられていた周囲の期待やプレッシャーを宮原は軽減してくれる存在であり、何よりもそのプレイに魅せられた。
『アジアの壁』を中心とした守備陣とカズら攻撃陣を的確に繋げ、操るゲームメイク。屈強な外国人選手達にも当たり負けしないフィジカル。未然に相手の攻撃の芽を摘み取っていく守備力。何よりもブンデスの優勝戦線で鍛え上げられた『勝ち』にいくためのメンタル。
数えるほどしか共にプレイしていないにも関わらず、同世代で最も影響を受けたプレーヤー。
その古い友人であり戦友である人物とは現役引退の際に一悶着あったのだが、久々の電話が試合前日にかかってきていた。
『クラブでも代表でも「エース」はしんどいんじゃないか?』
『そうでもない。「エース」だからこそ期待されるし、それが俺の力になる。ま、お前がいてくれればもうちょっと楽になるんだけどな』
自分よりも早く現役を引退した戦友への恨み節が漏れる。ドーハの悲劇での大怪我が戦友の身体を蝕んだことは知ってるものの、残された者として多少の不満はあった。
『近い将来うちのチームの連中がお前の重荷を軽くしてくれるよ。それだけの人材がうちには揃ってる。下手すりゃ「エース」の座も取られるかもしれないぜ?』
『それは楽しみだが、誰だ? お前がそんなに期待をかける奴は?』
『それは明日のお楽しみだな。うちは逸材だらけだぜ、五輪組以外もな』
電話ごしに自慢げに話していた旧友の顔を思い出し、カズは笑った。
「あいつの言ってた通りだな……が、まだまだ俺も負けてない!」
試合は一転川崎の猛攻へと場面を変えた。王者としてのプライド、誇りをかけて日本代表に名を連ねる猛者達が躍動する。
ブラジル代表ヴェスマルクを中心とし、至る所に北沢が顔をだし、中央を突破。日本の誇る『エース』カズが再三ゴールを狙う。
鹿児島も真っ向から受けて立つ。永井、妙神がプレッシャーをかけ、エレミースが川崎の攻撃の芽を摘み取っていく。前田が身体を張り、佐藤が必死にカバーに走る。
そして最後の壁として川崎に立ちはだかるのはドイツを2度のW杯で準優勝に導いたGKシューマッハ。世界のワールドクラスを集めたNリーグでも数少ない『ワールドクラスの守備』がその実力を遺憾なく発揮。川崎の猛攻を跳ね返し、鹿児島リードのまま後半を迎えることとなる。
後半に入ると、名将ネルシーニは鹿児島のゴールをこじ開けようと両SBに攻め上がるよう指示を出す。
しかし、鹿児島の両ウイングがあえて高い位置に張ることでなかなか上がることができず、川崎は後半も中央突破を図らざるをえない状況とされる。
鹿児島もシュナイダー、河原の両翼を中心にカウンターを狙い、何度もサイドを突破するが、『闘将』柱田仁を中心とした鬼気迫る表情の川崎守備陣が、こちらも後一歩の所で防ぎ続ける。
中央突破の川崎、サイド攻撃の鹿児島という構図が続く中、試合は終盤戦を迎える。
王者対新参者の試合が白熱した展開を見せる中、土壇場で試合を動かしたのは主役の一発。78分。この日何度もシューマッハに止められ続けたカズが鹿児島守備陣との駆け引きに勝利し、一瞬の隙を突いたその動きにヴェスマルクが合わせる。
「頼んだ、エース!」
「任せろ! 決める時に決める! それがエースだ!」
飛び出してくるシューマッハを冷静に察知したカズは、丁寧にコースを突いて同点ゴールを流し込んだ。
主役による意地の一発は鹿児島の勢いを断ち、逆転ムードを醸し出した――かに見えた。
『エース』が同点ゴールを挙げ、『初参入のチームに負けるかもしれないという恐怖』から川崎が抜け出した瞬間であった。
緊張が緩む瞬間を待ち構えていたかのような鹿児島の攻撃。84分。それまで再三縦に抜けていたシュナイダーが中に切り込む。
先制点から川崎守備陣の警戒を集めていた窪が右サイドに流れ、空いたスペースに妙神が斜めに走りこむ。慌てて妙神につく川崎守備陣をあざ笑うかのようにそのまま走り過ぎる妙神。
意識とスペースを引き付けた絶妙なフリーランによって生まれた空白の瞬間を23歳の『いぶし銀』は見逃さなかった。
中に切り込んだ勢いそのまま一閃した右足から放たれたボールは、川崎GK菊地の手に触れられることなくゴール右上隅に飛び込んだ。
右利きながらも左ウイングに置かれた意義を充分に証明したシュナイダーの得点が決勝点となり、鹿児島はNリーグ初舞台で大金星を挙げることに成功。
若手が融合を見せたそのゴールはこの週のNリーグベストゴールに選出された。
この日三神は「若い力の活躍はお見事。勝ちに拘るメンタルは素晴らしかった! 代表で待ってます」と語った。その表情に浮かんでいたのは悔しさなのか楽しみなのか。
その内訳はキングだけが知っている。
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