199603⑤

 時は少し遡り、3月16日。1996年のNリーグ開幕日である。SC鹿児島のホームスタジアムである鴨池陸上競技場には期待に胸膨らませた観客が押し寄せ、活況を呈していた。


 鴨池陸上競技場に続く道には赤い川が生まれていた。鹿児島のチームカラーは桜島のマグマをイメージした赤である。


 赤をベースにしたユニフォームに、桜島から出る煙をモチーフとした雲状の線がアクセントをつけている。

 エンブレムは円をベースに桜島と島津十文字を組み合わせた意匠であった。


 赤い戦闘服に身を包んだ彼らは、待ちに待ったNリーグの開幕を今か今かと心待ちにしていた。





 この日より開幕するNリーグの主な変更点は2点。


 1点目は前年までのサントリーシリーズ(1st)、ニコスシリーズ(2nd)に分けた2シーズン制ではなく、年間通じての1シーズン制がとられること。2点目はマルチボールシステムの導入である。


 サッカーのルール上、今までは試合で使用できるボールは1つと決められていた。そのためボールが観客席に入ってしまったり、競技場外に出てしまった場合、そのボールを回収する必要があり、結果として試合の中断を発生させてしまうこととなっていた。


 これに対しマルチボールシステムは複数のボールを用意し、状況に応じてボールを提供することができる。試合をスピーディーに展開させる効果があり、前年のFIFAの試験導入の結果を踏まえ、今年度よりNリーグでも適用されることが決まったものである。


 スピーディーな試合展開は集まった観客を楽しませることに繋がり、ボールボーイを勤める少年達には夢を与えることになるだろう。





 試合開始を控えたピッチ上には1匹のブタがいた。SC鹿児島のマスコットキャラ『くろぶー』である。

 他のNリーグクラブのマスコットキャラと異なり、メタボな体型にとぼけた表情のゆるいキャラクターである。


 宮原が某くまキャラをリスペクトした結果生まれたキャラクターであり、鹿児島県内では若年層を中心に絶大な人気を誇っている。

 地元テレビ局の夕方ニュースの中でSC鹿児島のPR活動を定期的に行っているのだが、その活動はサッカーだけに留まらず、月に1回の『くろぶー月1ちゃれんじ』が好評を呈している。

 緑の恐竜をリスペクトした宮原による鶴の一声で、メタボな『くろぶー』がスキューバダイミングやハングライダーに挑戦する様は鹿児島のお茶の間の光景に溶け込みつつあった。


 この日『くろぶー』は大量にある特技に新しい項目を追加するべくパフォーマンスを行っていた。「二の刀要らず」で有名な薩摩時源流の演武である。


 着ぐるみから漏れてくる聞こえてはいけない声で盛り上がる観客席。『くろぶー』はしゃべらない。故にどこからともなく聞こえてくる「チェストー!」という叫びは幻聴なのである。


 くろぶーの頑張りもあって、赤で染まった観客席の興奮はボルテージを迎えようとしていた。鹿児島の開幕戦。福岡と並んで九州初のNリーグクラブとして臨む舞台。


 その相手は93年のNリーグ開幕から2年連続の年間優勝を果たし、前年サントリーシリーズ2位、ニコスシリーズ優勝。惜しくも年間優勝は逃したが、今年はその雪辱を心に誓うエリート集団――『王者』ビクトリー川崎であった。

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