199603④

 サウジ戦の夜、㈱SCKが運営するスポーツビュッフェSCKには、世紀の一戦を見ようとSC鹿児島の選手やその家族が集まっていた。

 そこには兄弟揃っての出場となった藤堂兄弟の両親だけでなく、中園の母、明子の姿もあった。

 関係者の多い鹿児島にはマスコミから多数の問い合わせが来ることが想定され、それならば関係者を一ヶ所にまとめることで情報をコントロ-ルできるという判断から招待されたものであった。


 明子は中園が4歳の時に離婚して以来、息子2人と母、祖母の一家五人の生活を一人で支えるため、工場で遅くまで働く日々を続けてきた。

 母は中園が中学2年の時、祖母も中園が高校に入学すると寝たきりとなり、2人の介護を続けながら家計を支え、2人の他界後も朝から晩まで働く強い女性であった。


 その明子の見つめる先には雄々しい表情を見せる息子の姿があった。


『この喜びを一番最初にだれに伝えたいですか?』

『おかんです!』


 即答した画面越しの息子に思わず笑ってしまったが、胸からこみ上げる熱いもので視界がにじむ。必死に目元をぬぐう明子の目に入ったのは日の丸の旗を背負い、サポーター達に満面の笑顔を向けながらグラウンドへ向かう大きな後ろ姿であった。


 この日、日本は28年ぶりの五輪本選出場を決めたのだった。





 試合後、選手達は親しい人達へと喜びの電話をかける。最終予選直前の負傷で出場することのできなかったチームメイトや大切な家族達に。

 そんな中、藤堂兄弟は宮原から激励の電話を受けていた。祝福の言葉や一通りのアドバイスを受け、宮原から告げられた言葉。


「いいか、予選はまだ終わってない。アジア『突破』で満足してないよな? 気を緩めたら韓国にボコボコにされるぞ! アジア『制覇』して帰ってこいよ!」


 その言葉はすぐさま他の選手達にも伝えられた。途方もない達成感に包まれ、どこか緩んだ雰囲気を醸し出していた選手達の表情を変えさせることとなる。





 3日後の決勝戦。先発は1トップの城(市原)、その後ろに中園(横浜F)、仲田(平塚)。ドイスボランチは伊東(清水)、広長(川崎)。両ウイングバックに藤堂兄弟(鹿児島)。3バックは左から鈴木(磐田)、田中(磐田)、上村(広島)。GKに川口(横浜M)という布陣である。

 西野監督は出場権を確保できたことで、新戦力を試すことも考えていたが、選手達からの要請もあり、DF白井を鈴木に変えるのみに留めてほぼフルメンバーで挑むこととなった。


 しかし、試合は終始韓国ペースで進むこととなる。ここまで12日間で5試合というハードスケジュールの影響で動きの鈍い日本に対し、韓国は闘志むき出しで挑んできた。

 再三再四ロングボールを放り込んでくる韓国のプレッシャーで日本はDFラインを上げることもできず防戦一方。それでも絶え続けた日本であったが、後半79分。韓国が右サイドでFKを獲得し、セットプレイからヘッドを叩き込まれ先制される。


 だが、日本の選手達は諦めなかった。キックオフされるやいなや中園からパスを受けた仲田がサイドでドリブルを開始。先制で気を緩めた韓国DFを突破するが惜しくもスローインとなる。

 するとすぐに投げ入れられたボールは、大きな放物線を描きながら最前線で苦闘を続けていた城の元に届けられる。

 城は胸で軽くトラップすると、そのまま振り向くこともなくオーバーヘッドを叩き込む。韓国GKはボールに触れることもできず、ボールはネットに吸い込まれた。

 そして城が、拓海が、仲田が叫ぶ。


「まだだ! ここからだ!」


 その言葉は主将である中園がサウジ戦で叫んだ言葉。諦めることなく勝利を求める姿勢がエースから皆同に伝播していた。


 そして、この言葉に最も力を得たのは日本のエースであった。


「ちくしょう。俺のセリフとりやがって……」


 抑えきれない野生を佇ませたその表情が一瞬緩み、エースは走りだす。勝利の女神を引き寄せてこそエースの証明。


 左サイドを仲田とのワンツーで突破し拓海がマイナス気味のクロスを上げる。そのボールをトラップと同時に絶妙なコントロールでマークしていたDFを振り切り、地面に接する前に右足を振りぬいた。


 僅か5分ほどの間で繰り広げられたシーソーゲーム。





 試合後の表彰式に並んだ日本の選手達の胸には金色のメダルが輝いていた。

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