199603③

 開始早々の先制点はサウジの本気を引き出した。アジア最強と呼ばれるその力を存分に発揮し、その後一方的にサウジがゲームを支配する展開となる。


 日本の両サイド、藤堂拓海と明弘はほとんどDFラインに吸収され、5バックのような形となっていた。伊東がサウジ司令塔K・ドサリを必死に抑え、広長は恵まれたフィジカルでロングボールを跳ね返す。

 白井、田中、上村のCBが必死の形相で食らいつき、GK川口が神がかり的なセーブを見せる。


 ピッチに笛が響き渡った瞬間、日本の選手達の表情に浮かんだのは安堵ではなく絶望であった。

 まるで1試合が終わったかと思うほどの量の攻撃にさらされ、重苦しい雰囲気の漂うチームの中、主将である中園は必死に仲間達を鼓舞していた。





 後半もサウジの一方的な展開で始まった57分、右サイドでスローインを受けた中園がペナルティエリア右にいた伊東へスルーパスを通す。

 そのままゴール前へ走りこんだ中園の元へ伊東が絶妙なタイミングで戻す。1トラップでシュート体勢をとる中園。飛び出したサウジGKを冷静に見ながら、左足でこの日2点目となるゴールを叩きこむ。


 試合の流れを再び日本へと戻す待望の2点目。エースを囲む歓喜の輪の中心で中園は叫ぶ。


「まだだ! ここからだ!」





 中園の言葉は現実となる。ここから更なるサウジの猛攻が始まり、日本にとって地獄のような時間は続く。サウジは右、左、中央、あらゆる方向から襲いかかり、日本がひたすら守るという構図が続いた。

 日本がボールを奪っても、周りの押し上げもなく、中園は孤立無援の状態で挑まざるをえなかった。


 それでも中園は果敢に前に突き進んだ。痛み止めを打って臨んだ右足は限界を迎えようとしていた。

 倒されようとも前を向き、相手をひきずってでもひたすらに突き進む。ボールを取られても、足の痛みを抑え必死に追った。


 彼はまさしく日本の象徴であり、魂であった。


 その姿を見て、心動かない者はピッチの上には誰もいなかった。





 72分。サウジのエースO・ドサリのヘディングシュートが日本のゴールを襲う。ファーポストに突き進むその弾道に、ニア寄りにいた川口は反応することもできず、誰もがサウジのゴールを確信した瞬間。

 ゴールラインぎりぎりのタイミングでそのボールが跳ね返される。前線からここまで戻った仲田のクリアであった。


 日頃から「守備は嫌いだ」、「サッカーだってそんなに好きじゃない」と公言している仲田の奇跡的なクリア。

 本当に守備やサッカーが嫌いであれば生まれるはずのないプレイ。誰もが必死に勝利を追っていた。


 77分。再びO・ドサリが放ったへディングシュートが今度こそゴールに突き刺さり、リードは1点差に縮まった。逆転の兆しにサウジがさらに圧力を強め、日本の選手達は歯を食いしばって守り続ける。





 83分。日本のサポーター達の脳裏には『ドーハの悲劇』が浮かんでは消え、進まない時間に焦りが募っていた。そんな中、久々にカウンターからゴール前までボールを運んだ日本。城が放ったロングシュートがサウジGKに弾かれ、日本がコーナーキックを獲得する。


 中園がボールをセットし、短い助走からキックモーションに入る瞬間、足を滑らせた。周りの観客はその姿を見て笑い、ピッチ上の仲間達は心配そうな表情で中園を見つめる。

 険しい表情で足の付け根をさする中園。痛みをこらえ、自らの足の状態を確認した中園は、ゆっくりと立ち上がり再びモーションに入った。


 ピッチ上の仲間も、サポーターも、誰もが中園を心配していた。しかし、彼の転倒は偶然でも披露でもなく、狙ったものであった。


 国際大会の出場をかけた大一番。最後のギリギリの瞬間に、少しでも仲間達が休息をとれるように、少しでも時間を進めることができるように。


 一世一代のマリーシアは日本に一瞬の休息を与え、最後の猛攻をしのぐ力を与えた。


 そして、試合終了を伝える笛が響き渡る。ピッチの上の選手達が泣き崩れ、スタンドではサポーター達が涙も拭かずに日の丸を振っていた。


『ゾノ! ゾノ! ゾノ!』


 現地で、テレビの向こう側で、エースを称える歓声が響く中、日本は28年振りの世界への扉をこじ開けたのだった。

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