199603②
静寂が室内を支配していた。
国際大会では試合の前日か前々日に対戦相手のスカウティング映像を見ることが一般的である。スタッフの編集した映像を通じて対戦相手の長所や短所、個々人の選手の特徴を確認し、監督からゲームプランが伝えられる。
U-23は個性的な選手達の集まりである。特にこのアトランタ五輪への出場を目指す世代はNリーグ開幕の恩恵を受け、歴代のU-23とは比較にならないほどの実力者達が集まった集団であり、彼らは自信に溢れていた。
彼らの中には「フル代表にだって勝てる」と豪語する者さえいる。実際彼らの大半は「俺達は強い」という認識があった。
今までのミーティングでは映像が終わると選手達から様々な意見、アイディアが上がったものであった。
しかしこの日、そのような声は誰からも上がることはなかった。
映像の中のサウジアラビアに圧倒されていた。
低調に終わった意見交換を終え、選手達はそれぞれの部屋に戻った。主将を務める中園もその一人であり、その中園を訪ねた選手がいた。藤堂拓海である。
二人は狭い部屋の中、ベッドと床にそれぞれが座り込み、サウジアラビア戦について互いの感想を伝え合う。
鹿実では1年から互いにレギュラーを務め、共に戦ってきた戦友である。その言葉にはいささかの飾りもなく、互いの率直な想いか込められていた。
「俺らサウジに勝てると思うか?」
ポツリと中園がつぶやく。主将としてメディアの注目を浴び、小倉の離脱後は一人エースとしての重圧に耐えてきた男が、気心知れた友人に弱音を漏らす。
「あれはやばいな。マジで強いわ。明らかに今までの相手とレベルが違う」
「だよな……けど、あいつらに勝たないとアトランタ行けねーし……3位決定戦もあるけど……」
「イラクか韓国か……どっちでも勝てる保証なんてないな」
アジアの出場枠は3つであり、逆の山はイラク対韓国。イラクとはグループリーグで対戦し、勝利こそ収めたもののその実力はアジアトップクラス。韓国には前年1月に行われたオーストラリア国際トーナメントで負けていた。
「とにかく勝つしかないわけだ。出れるか分かんねーけど、俺も出たら全力を尽くす。サウジは確かに強いけど、俺らだって強い。エースに負担かけちゃうかもしれないけど、お前が思いっきりプレイして、俺らを引っ張ってくれれば、それでいんじゃね?」
「なんか俺には考える頭がないって言われてるような気もするけど……そうだな。とにかく勝つしかないんだから、全力でやるしかないよな」
弱気な気持ちに引きずり込まれそうな中園を拓海は強引に引き上げた。飾る必要のない友人がこの瞬間に傍にいてくれたことに、中園は心から感謝を覚える。
「右膝……大丈夫か?」
中園はグループリーグのUAE戦で右膝を痛めていた。前年7月のNリーグで右膝を痛めて以来、だましだましでやってきた右膝はすぐには回復せず、練習も休んでリハビリにあてていたものの、実際は依然痛みの残る状態であった。
「やるしかないさ。あと一回勝てば世界なんだぜ」
「お前の夢にも近付くしな」
海外でプレイすることが中園の夢であった。五輪本大会で活躍すれば現実味を帯びてくる。
「そういや海外行きたいんなら宮原さんが相談にのってやるって言ってたぞ」
「マジか。お願いしますって言っといて」
拓海の所属するSC鹿児島で社長兼GMを務める宮原はかつてブンデスで活躍した選手であり、ドイツから選手を獲得できるだけの人脈もある。
二人にとっては鹿実の先輩であり、恩師である松下を通じて親交もあった。
「ま、まずはサウジだな。俺の夢への踏み台にしてやるよ」
「あんま調子のるとまた松下監督に怒られるぞ」
その拓海の言葉で、二人の話題は高校時代へと移る。二人の顔にはリラックスした表情が浮かんでいた。
そして迎えたサウジアラビア戦。先発は1トップに城(市原)。その後ろに中園(横浜F)、仲田(平塚)。ドイスボランチに伊東(清水)、広長(川崎)。両ウイングバックに藤堂兄弟(鹿児島)。3バックは左から白井(清水)、田中(磐田)、上村(広島)。GKに川口(横浜M)という布陣である。
「どんな相手でも自分達のスタイルで戦う」と常に言ってきた西野監督が、この一戦では動く。サウジのエースであるO・ドサリに白井をマンマークにつけ、司令塔K・ドサリに伊東をぶつけた。サウジホットラインの分断を試みたのである。
試合はその効果を確認する間もなく開始早々に動いた。
前半4分。広長からのパスを中園がダイレクトで戻すと、すかさず広長はそのボールを再び城に預ける。城がそのボールをヒールパスでゴール正面に残した瞬間、トップスピートで中園が進入。
1トラップで2人のCBの間をすり抜けた中園はそのままスピードを落とすことなくGKとの1対1を冷静に制す。
28年ぶりの五輪出場に向けた戦いは、エースの芸術的なゴールで幕を開けたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます