199603①

 1996年3月16日。マレーシアの首都クアラルンプールでアトランタ五輪出場を賭けたアジア最終予選が幕を開けた。

 参加8カ国を2つのグループに分け、各グループ上位2カ国が決勝トーナメントへと進む。決勝戦に進出した2カ国と3位決定戦を制した国に出場権が与えられる。

 日本はグループAに入り、イラク、UAE、オマーンと対戦することになっていた。


 初戦の相手はイラク。今大会参加国の中でもトップクラスの実力を持ち、グループリーグで最も厳しい相手と考えられていた。

 この重要な試合を、日本はエースである中園不在で迎えていた。1次予選の累積警告で出場停止を受けていたためであり、西野監督は「負けないこと」をテーマに試合に臨んでいた。

 グループリーグは中1日で3試合を消化する非常にハードな短期決戦であり、一度の躓きが命取りなりかねない。

 28年振りの扉へ向けた最後の戦いが始まろうとしていた。





 スタンドから見守る中園の前で、日本は重要な一戦に臨んだ。日本の布陣は3-5-2。2トップに城(市原)、松原(清水)。トップ下は中園(横浜F)に代わって負傷から復帰の19歳の新鋭仲田(平塚)。左サイドに藤堂拓海(鹿児島)、右サイドに藤堂明弘(鹿児島)。伊東(清水)、広長(川崎)のドイスボランチに、3バックが左から鈴木(磐田)、田中(磐田)、上村(広島)、GK川口(横浜M)というメンバーである。


 兄弟出場となった拓海であるが、合流後の練習で再三素晴らしいプレイを見せたことによる抜擢であった。

 特に的確なポジショニングと豊富な運動量が、スペースへ早く厳しいパスを出してくる仲田と抜群の相性を見せたことが評価されたのである。

 複数の選手が負傷で欠場を強いられたことも要因であったが、初の国際戦に拓海の気持ちは高揚していた。


 試合は一進一退の進行となる。トップ下の仲田が両サイドの藤堂兄弟を自在に操り、日本が果敢に攻めるが数度の決定機を松原が決めきれない。

 イラクもその実力を遺憾なく発揮するが、伊東、広永のドイスボランチが機能的にイラクの攻撃の目を摘み取り、川口のファインセーブもあって無失点に抑える。膠着した状況が続いた27分であった。


 仲田が右サイドの明弘にボールを預け、縦に出て守備陣を引き付ける。そこで生まれた一瞬の隙を突き、明弘が大胆なサイドチェンジを通す。ボールを受けた拓海が縦に抜けると見せて中央へ切り込み、ミドルシュートを放つ。

 このシュートをイラクGKが必死な形相でかき出すが、そのこぼれ球を城が詰め、日本が先制。


 日本は58分に同点ゴールを許してしまうが、この日は仲田と拓海のホットラインが初めて組んだとは思えないほど効果的に働く。

 72分、仲田の絶妙なスルーパスからサイドを深くえぐった拓海のセンタリングを城が豪快に頭で叩き込み2点目。


 日本は大事な初戦を勝利で飾ることに成功した。





 続くオマーン戦では、エース中園が復帰。イラク戦の2トップから1トップに変更され、城を頂点にその後ろに中園と仲田が控える3-6-1となり、拓海、明弘はイラク戦での活躍を評価され、再び先発で出場。


 オマーン戦では復帰したエース中園が輝きを見せた。


 19分にPKを決めると38分には鋭く低い重心のドリブルでオマーン守備陣を切り裂き2点目。

 ピッチを掌握したエースに続けとばかりに49分には城が2試合連続のゴールを挙げ、トドメとばかりに67分。仲田が拓海の折り返しを右足ボレーで振り抜き4点目。

 最終戦を前に決勝トーナメント出場を決めることに成功した。


 グループリーグ最終戦のUAE戦ではDF上村のヘディングからの1点を守り切った日本が1-0で勝利。

 日本はグループリーグ1位で4日後の準決勝を迎えることとなった。


 相手はアジア最強の呼び声高いサウジアラビアである。

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