199602③

 その日、マレーシアに降り続いていた雨がやみ、U-23の選手たちはスパイクに履き替え、グラウンドに立った。

 久々に降り注いだ陽光を楽しみつつ、順調な仕上がりを感じていた選手達は明るい表情で、笑顔もこぼれていた。

 その笑顔が凍るような出来事が起きることを予見できた者は誰もいなかった。





 U-23には二人のエースがいた。


 一人は横浜フェルプスに所属する中園真清。もう一人が名古屋クランパスに所属する小倉隆文。


 中園は鹿児島桜島の出身。鹿児島実践高校を経て横浜に入団。アルゼンチン留学で本場のサッカーに揉まれたことでその実力を飛躍的に伸ばし、A代表召集の実績も持つ。

 U-23では主将を務め、切れ味鋭いドリブルを武器に一次予選では活躍。

 フル代表とU-23、Nリーグの試合に出場し続ける中園の疲弊を心配する声も少なくなかったが、「日本の五輪出場は中園にかかっている」と周囲の期待を一身に受けるエースであった。


 小倉は三重県出身。四日市工業を経て、1992年に名古屋グランパレスに入団。翌年オランダ2部リーグのエクセルシオールにレンタル移籍し、ゴールを量産。1部からのオファーもあったが、五輪出場を優先し、名古屋に復帰した経緯を持つ。

 名古屋では当初不慣れなポジションでのプレイも求められたが、後にアーセナルの指揮を執る名将ベンガルの薫陶を受けて徐々にその実力を発揮し、1995年の名古屋の躍進にエースとして貢献。

 元日に行われた天皇杯決勝では先制ゴールを含む2ゴールの大活躍で、クラブ史上初のタイトル獲得をもたらした。


 中園と小倉。28年ぶりの五輪出場を目指すU-23において、実績、実力共に飛び抜けた二人のスターは、日本が世界に誇る両翼であった。





 その瞬間を中園はどこか夢心地のような感覚で見ていた。


 中に入れたボールを小倉がヘディングしようとしていた。ゴールキーパーと競り合った時である。練習も終盤の時間。厳しい対人練習ではなかった。


 その動きはスローモーションのように見えた。


 小倉が空中でバランスを崩す。右足から落下したカカトが地面にめり込み、ダイレクトに右ひざへ伝わった衝撃にのたうち回る小倉。

 その右足は人体の構造を無視した形に曲がっていた。


 全ての時が止まったかのような錯覚に陥るほどの静寂がグラウンドを包み、小倉の絶叫がほとばしった。

 痛み故か怒り故か。何度も、何度も、何度も地面へと叩きつけられる拳。


 グラウンドから病院に運ばれる小倉に言葉をかけることのできる者は誰もいなかった。響くのは小倉自身の言葉だけ。

 痛みに耐え、虚空にむかってつぶやく小倉の言葉に応える者はいなかった。


「神様、俺何かしましたか?」





 小倉は右ひざの後十字靭帯を断裂。この日、U-23は片翼を失った。


 残された片翼は、鎖のように自身に課せられる重圧がさらに増したことを感じつつ、友のため、最終予選の勝利をあらためて誓うのであった。

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