199601②

 前年末をもって宮原が引退したSC鹿児島。サポーターの間では『次のエース』を探す話題で盛り上がっていた。


『やっぱ実績から言えば河原だろ』

『いや、実績はこれからだけど窪だろ。あのフィジカルと意外性100%のプレイは将来日本代表まで行くぞ』

『宮原からボランチの極意を叩きこまれた永井しか後継者はいないやろ』


 圧倒的な実績、強烈なカリスマ性でチームを牽引してきた宮原が引退し、次元の違う得点力を見せつけたスルシャールも移籍。サポーター達は次のエースを探し求めていた。

 そんな中、サポーター達が最も期待を寄せるのが、SC鹿児島で10番を脊負う男、藤堂拓海であった。


 拓海は今年23歳になる。幼少よりサッカーを始め、桜島中学を経て名門鹿児島実践高校へ入学。現在のチームメイトである新田や藤山、横浜で活躍する中園と共に、1年時の高校選手権大会県予選からレギュラーを獲得し、全国で名を馳せる。

 1年時に選手権ベスト8、2年時には準優勝、3年時はベスト8という成績を残し、3月から五輪最終予選にU-23のエース中園を差し置いき、拓海は鹿実の10番を脊負ってきた。


 高校卒業後は周りの勧めから地元の鹿屋体育大学へと進学。Nリーグ発足時にプロ入りを検討するも、両親の反対を受けて断念した過去がある。

 Nリーグ入りの断念から、夢へ踏み出すことのできない環境や自分自身に対する負の気持ちを生み、サッカーへの情熱を失いかけたこともあった。

 だが、拓海はある鹿実OBの勧めでSC鹿児島の前身であるSCKに参加し、真剣勝負を通してかつての情熱を取り戻し、今に至る。


 このSCKへの参加という人生の転機を勧めてくれたのが宮原であった。シーズンオフに帰国した宮原が恩師である松下を囲む会に参加。後輩である拓海の話を聞き、「一助になれば」と、SCKへの参加を促したのだ。

 元々SCKはかつての宮原のチームメイト達が中心となって結成されたチームであったことから、トントン拍子で話は進み、拓海はSCKの一員となったのである。


 拓海はSCKの中心選手として活躍し、その活躍はSCKがSC鹿児島となり、舞台を九州リーグからNFLへと移しても変わらなかった。

 宮原も拓海をチームにかかせない選手として考え、プロ契約を結ぶ際には宮原自身が同行し、両親の説得にあたったほどである。


 懸念していたような両親の反対はなく、逆に両親からは息子にプロ入りのチャンスを与えてくれたこと、サッカーへの情熱を取り戻させてくれたことに対する感謝の言葉をもらうこととなった。

 拓海もまさしく同じ気持ちであり、SC鹿児島を必ずNリーグに導くと、その日誓ったのだった。 


 NFL加入に合わせたプロ化により、SC鹿児島にも実力のある選手が複数加入したが、拓海は引き続きレギュラーを獲得。

 トップ下を任され、高いテクニックと豊富な運動量で相手守備陣を翻弄した。天性のサッカーセンスと戦術理解度、献身的な姿勢からリンクマンとして局面局面で他の選手をサポート。自身で点を取りに行くこともでき、ベストイレブンにも選ばれた。


 NFL所属であることが懸念され、前年のアトランタ五輪の一次予選に呼ばれることはなかったものの、U-23の選手達になんら劣る所のない能力があるとみなされている。


 そんな拓海だからこそ、サポーターは期待する。Nリーグでも変わらず中心選手として活躍し、SC鹿児島を牽引してくれると。





 1月下旬。Nリーグという大舞台へ初挑戦するSC鹿児島は鹿児島県奄美大島で1次キャンプに入っていた。


 キャンプ地を奄美大島にしたのは、海外と比較してコスト面で優れていることや温暖な気候を評価したということもあったが、SC鹿児島の地域戦略によるものも大きい。

 鹿児島県全域で活動するSC鹿児島にとって地域での知名度向上は必須である。

 あえてキャンプ地に離島を選び、サッカースクールの開催や交流を促進することで、サポーターの獲得や将来的な人材の発掘にもつながれば、という期待もあった。


 1次キャンプの目的はフィジカル強化とコミュケーションの向上。この当時としては珍しい科学的トレーニングを導入し、各自の身体状況を把握し、個々人の限界まで鍛え上げる。


 SC鹿児島では選手の健康を最重要項目としており、常に身長、体重等の基本的なデータを含め、健康状態のチェックを行っている。

 ケガや病気でプレイできないことこそが、クラブ、選手にとって最も不幸なことであるという宮原の考えによるものであり、体調に不安のある選手は原則試合には出さないことが周知されていた。


 データ収集は健康面の管理において大きな貢献を果たしていたが、フィジカルトレーニングでも活用されていた。

 それまで感覚的に把握していた身体能力の成長や減退を選手具体的な数値を持って説明し、トレーニングへのモチベーションや成果の向上に寄与することに成功していた。


 新加入の選手達は今まで経験してきたものとは全く異なるその指導スタイルに驚きながらも精力的にトレーニングに勤しんでいた。





 キャンプ中盤、拓海は相部屋となった今シーズンより加入した弟の明弘と語りあっていた。


「どうだ? 鹿児島は?」

「ビックリだね。いろんな意味でレベルが高い。今年からNリーグに参加するチームとは思えないよ」


 明弘がまず挙げたのはフィジカルトレーニング。SC鹿児島ではただ鍛えるのではなく、何故このトレーニングを行うかについて丁寧に説明する座学のような時間があり、具体的なイメージを描いた上でトレーニングを行うことを徹底している。


「一人一人のフィジカルバランスまで把握して鍛えるなんてフィジコさん大変すぎない?」


 サッカーにおいて必要な筋肉というものがある。Nリーグ黎明期でまだまだトレーニングも手探りで行っていたこの時代、フィジカルトレーニングの分野はまだまだ選手個々人に任せられていた。

 選手によっては個人トレーナーと契約して科学的な分析を踏まえて鍛える者もいたが、組織として専門のフィジカルコーチを雇用し、一元的に取り仕切っているチームは少数であった。


「このチームは強くなる。理論に基づいた練習を、一人一人が理解して限界ギリギリまでトレーニングする。兄貴が伸びたはずだよ。先輩らに追いつけるよう俺も頑張らないと」


 『先輩』という部分を意図的に強調した明弘に拓海は苦笑いを浮かべる。


「お前がU-23でも監督はそのへん全く考慮しないからな。常に実力を示さないとレギュラーも厳しいぞ」

「いや、それは俺だけじゃなくて兄貴もだろ? 五輪だって兄貴にもチャンスはあると思うよ」


 明弘は3月からマレーシアで行われるアトランタ五輪アジア最終予選のメンバーに選ばれている。拓海は九州リーグ、NFLを主戦場としていたことから選考に上がったことすらなかったが。

 時期的に厳しいが、Nリーグで活躍できればまだ選考される可能性があった。


「選ばれるのは厳しいさ。中園に小倉、城と前は揃ってるしな。それよりも、まずはチームでの競争だ。宮原さんがわざわざドイツまで行って連れてきた二人を見れば分かるだろ?」


 今シーズンから加入した二人のドイツ人。MFのシュナイダーとエレミース。日本でもドイツでも無名というこの2人の選手は、Nリーグにいるブラジル人のように圧倒的な個人技を魅せるタイプではない。

 しかし、その技術は極めて高く、全ての面でサッカー選手として高いレベルを誇っており、周囲を驚かせていた。


「できることをやるだけさ。まずはポジションを守らないといけないからな」


 今季のSC鹿児島のレギュラー争いの最激戦区は中盤である。

 昨季はトップ下に拓海、ドイスボランチに宮原と永井という布陣が基本布陣であった。


 今季は主軸であり、要であった宮原が現役を引退。その代役に新加入の明弘やシュナイダー、エレミース、高卒新人の妙神が検討されていた。

 CBの佐藤や新加入の左SB藤山もボランチ経験がある。誰が抜擢されてもおかしくない状況である。

 さらに、昨季ボランチでレギュラーを務めた永井は、元々攻撃的MFである。拓海がふがいないプレイを見せれば、すぐさまポジションを奪われてしまうだろう。


「紅白戦の感じだと、今年のメインは1ボランチっぽい気もする。生き残らなきゃな、俺もお前も」


 シーズン開幕はあと2か月と迫っていた。

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