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 11月、SC鹿児島はNFL最終戦を迎えていた。相手は昨年NFL昇格を争ったブライル仙台。SC鹿児島は既に優勝及びNリーグ参入を確定させていた。

 消化試合の位置づけであったが、この1年エースとして活躍したスルシャールの最終戦であったこともあり、たくさんの観客が鴨池陸上競技場に集っていた。


 会場ではSC鹿児島の広報担当である鈴木恵美が朝から1秒を惜しむほどの忙しさで業務に勤しんでいた。


 鈴木はSC鹿児島の右ウイング河原勇の妻であり、SC鹿児島発足時、宮原に当時務めていた南九州新聞社からヘッドハンティングされ、現在広報担当を務めている。

 宮原とは鹿実サッカー部からの仲間であり、卒業後も南九州新聞でのコラムの担当者といった形で仕事上の関係も強い女性であった。


 街中ですれ違えば10人中7人は振り返る彫の深いその顔立ちは薄化粧に包まれており、絹のように美しい黒髪と細身のスーツに包んだその姿は「SC鹿児島の美人広報」として既に鹿児島では有名である。

 旦那である河原には一部のサポーターから怨念じみた応援が投げかけられるほどであった。


 外見や私生活に注目されることが多い鈴木であるが、極めて高いコミュニケーション能力、事務遂行能力を持っており、宮原が全幅の信頼を置く人物でもある。





 広報の仕事は各種情報の発信、取材のコーディネートが主な業務であるが、非常にハードな仕事である。

 この時代、少しずつインターネットの活用も始まっており、SC鹿児島でも公式HPを活用した広報活動を始めていた。

 そのため情報発信だけでもプレスリリースに始まり、ウェブサイト、メールマガジン、イヤーブックやオフィシャルマガジン等多岐に渡り、それらを鈴木が一手に管轄していた。


 取材のコーディネートに関しても日々の練習後の囲み対応から個別取材の日程調整、試合後の記者会見の進行役まで務める。

 選手への取材依頼を調整するケースだけでなく、SC鹿児島のような新興クラブの場合、広報から選手を売り込むようなケースもあるのだからその業務量は殺人的なものとなる。


 そんな多忙な広報という仕事。シーズン中、最も多忙となるのはホームゲーム開催日である。


 キックオフ6時間前にはスタジアムに出勤し、記者会見場や報道控室、ミックスゾーンの設営を実施。

 その後、報道受付、試合イベント対応をこなしつつ、試合中は試合速報入力、後半開始後には両チーム監督のハーフタイムコメントを報道関係者へ配布。試合終了後のヒーローインタビュー対応、監督記者会見、選手インタビュー、会場撤去等まで行う。

 SC鹿児島では公式HPに試合速報も載せており、元新聞記者である鈴木の試合速報は「日本一早く」、「日本一臨場感のある」試合速報としてSC鹿児島の認知度アップに一役買っている。


 通常のホーム開催日でも多忙を極める鈴木であったが、この日は試合後にスルシャールの退団セレモニーと記者会見が予定されており、その準備とスケジュール調整で獅子奮迅の活躍を見せていた。


 もちろん事前に綿密な打ち合わせと下準備を行っており、当日は進捗管理と突発事象への対応がメイン業務なのだが、鈴木には一つ大きな不安要素があった。


 試合終了後のヒーロインタビューである。


 SC鹿児島には現在鈴木の頭を悩ませる問題児がおり、その選手が活躍した時のことを考え、鈴木は胃を痛ませていた。





 最初に動いたのはアウェイの仙台であった。


 昇格初年度の仙台は今シーズン下位に沈んでおり、この試合でも鹿児島が主導権を握るものと見なされていたが、5分、FKのこぼれ球をFWがシュートし、クロスバーを叩く。マークを振り切られたDF前田に対し、GKシューマッハの怒声が飛ぶ。


 シューマッハの怒声に押されたかのように、鹿児島は圧力を増し始める。ドイスボランチの宮原、永井が仙台の攻撃を誘いこみつつ、切り替えのスピード、局面の激しさで仙台を圧倒し主導権を握りだす。

 トップ下の藤堂が中央のイヤなスペースに顔を出し始めたことで仙台DF陣を焦らせ、余裕を奪っていくとサイドにスペースが生まれ始める。


 そして、24分。右サイドの河原がアーリークロスを上げると、マークしていた選手を遥かに上回る高さから左ウイング窪がヘディングを叩きこんで1点目。


 試合を見つめる鈴木の手の中のボールペンがピシリと音を立てた。


 先制し、試合の主導権を握った鹿児島はペースを変えてカウンター狙いへと移行。続く後半13分には再び右サイド河原がチャンスメイク。

 河原がゴール前に上げたクロスは微妙なタイミングのものであった。ターゲットの窪がトラップしても、すぐさまDFに詰められるだろうと大多数の観客が残念がった瞬間であった。


 窪はそのボールをトラップすることなくジャンピングボレーで叩き込んだ。ワールドクラスのビッグプレイに鹿児島サポーター達の盛り上がりは頂点に達した。


 この瞬間、鈴木の手の中のボールペンが再びピシリと鳴った。


 試合はその後、スルシャールがお別れ弾とも言うべき今季39点目をマークし、3対0で勝利。

 試合後のヒーローインタビューに立ったのはルーキーながら今季を主軸として戦い、この日も試合を決定づける2点を挙げた男――窪龍彦であった。


 窪のインタビューでの返答は基本次の通りである。「知らん」、「分からん」、「よかったです」、「頑張ります」そして無言。

 鈴木は久保の意識を変えようと再三再四の教育を実施中であったがその成果が出ているとは言えない現状。 

 今日こそまともな発言をしてくれ、と祈る鈴木の願いは、今日も裏切られることとなる。





『本日は2ゴールを決めてくれました。特に2点目はすごかったですね。なぜトラップせずにダイレクトで打ったんですか?』

『トラップするのがめんどくさかったんで……』

『さ、さすがですね……で、ではスタジアムに来てくれた子供たちに一言お願いします!』

『……勉強、頑張ってください』


 窪の発言に会場は大盛り上がり。「めんどくさボレーの窪」という異名をつけられ、子供たちへのコメントについては「お前が頑張れ」、「いや、頑張ったからいいのか?」とそこかしこからツッコまれ、スタジアムは笑いに包まれた。


 なお、この日、SC鹿児島はスルシャールの退団会見に合わせて宮原の天皇杯後の引退を発表。

 窪のビッグプレイと面白発言に持っていかれた雰囲気は否めなく、周到に準備を行ってきた鈴木の胃は深刻なダメージを受けた。


 その後、明らかに窪を意識したものであったが、SC鹿児島では定期的にメディア対策研修を実施することとなった。

 窪の意識はなかなか変わらなかったが、他の選手には確実に効果があり、クラブのイメージアップにつながっていったことは窪のおかげかもしれない。


 鈴木の苦難はまだまだ続く。

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