199510

 10月、柳一郎(62歳)は福岡を訪れていた。柳はSC鹿児島に2人いるスカウトの1人であり、主に中学生以下の選手を担当している。数年前まで強豪鹿児島城聖サッカー部の監督を務めていた人物である。

 昨年退団したFW赤崎の恩師でもあり、宮原も高校時代には何度も対戦相手の監督して接したことのある縁の深い人物であった。


 宮原は赤崎から柳の退職を聞き付け、スカウトとしての入社を打診。交通費、宿泊費クラブ持ちで様々な試合を観戦することができることから、『老後の楽しみ』として柳はそのオファーを快諾したのだ。

 高齢者雇用の助成金を活用してコストを抑えたことで、Nリーグクラブでも少ない専任スカウト2人体制を敷くことができている。


 スカウトという仕事は各地の指導者達との人脈が生命線である。いかに指導者達から生の情報を引き出すことができるか、密接な関係性を築くことができるかにかかってくる。

 年齢的な相対関係で相手の接し方が変わってくるという一面もあり、難しい仕事である。

 その点、柳は多くの選手を見てきた観察眼に豊富な実績と人脈、老成された人間性を備えており、スカウト業はまさしく理想のセカンドキャリアであった。





 SC鹿児島のユースは全寮制になっている。セレクション形式で全国から選手を集めることとしているが、一部の選手に関してはスカウトを行っている。

 ただし、スカウトするのは鹿児島以外の地域の選手である。これは地域クラブとの軋轢を起こさないための方針である。


 SC鹿児島のユース発足にあたり、一部地域の指導者層からは「『プロになれる』という甘言を使ってウチの選手を横取りするんじゃないか」といった懸念の声が挙がったのだ。

 特に小学生世代の指導者達からそのような声が大きく、彼らの立場から見ると、手間暇かけて育てても育った側から引き抜かれてしまえば、自分達のチームは強くならないし、結果も出ない。

 そんな悪循環に陥るのではないかと疑いの目を持つことは当然のことであった。


 それらの意見を考慮し、宮原は次のような方針を出した。鹿児島出身の選手に関してはセレクション形式のみで募集を行い、スカウトを行うのは県外の選手のみとしたのである。

 既存の町クラブとバッティングする可能性のある県内でのスカウティングは行わず、選手自身の意思に委ねたセレクションに特化することで各町クラブとの棲み分けを行ったのである。


 明確に方針を打ち出したことで地域の指導者達との軋轢は発生していない。もっとも地域指導者層の指導力底上げや関係強化はSC鹿児島の発展に必須なものと宮原は考えており、そのための施策を次々に打ち出している。


 その施策で重要な位置づけを閉めているのが宮原の持つ中高一貫校、維新館学園中等部・高等部。スポーツ及び学術分野のエリート教育を目的として1992年に中等部が、95年に高等部が開校された全寮制の中高一貫校である。


 鹿児島市北部と隣接する姶良郡姶良町に広大な敷地を持つこの学校は、人口芝の練習場を始めとして恵まれた施設を持っており、ここを会場に指導者向けの勉強会やGKスクールを開催している。


 元々サッカー部を強化指定部活動としており、既に中学年代では全国の経験も積んでいる。このサッカー部からも数人ユースに加入してもらうことになっており、ユース選手は全員この学校で寮生活を送ってもらうことになっている。

 学費、寮費は宮原が立ち上げた基金によって援助されており、実質負担なしでサッカーに専念できるという理想的な環境が準備されていた。





 スカウト活動は年間を通じて行っている。

 高校生の場合、まず1月のチーム始動の段階で、ポジションのバランスや年齢等を考慮して補強すべきポジションを見極め、有力な新人をリストアップする。

 2月から動向を伺いつつ4月にはある程度のメドをつけ、5月には正式オファー、遅くとも8月までには打診を行う。

 これは高校生が進路を決める時期に合わせた配慮であり、その後は完全に選手個々人へのアプローチとなる。


 高校生達が結論を出すのは9月の国体後、もしくは11月の選手権予選後、あるいは翌年1月の選手権後と大きく分かれる。

 クラブとしては来期の構想を練るに当たり、10月までには返事をもらいたいというのが本音の部分である。





 この日、柳は1人の選手から翌年度のSC鹿児島ユースへの加入の回答を得た。選手の名は金子聖二。

 中学生としては特筆すべき戦術理解を持ち、スペースを的確に埋めるポジショニングに高い対人能力も備えた逸材である。

 地元の名門東博多高校との競合となったが、棚木が早期からアプローチしていたこと、柳の前職での実績、経験と丁寧な対応が金子の両親の信頼を得たこと、その他経済面も評価され、SC鹿児島ユースが獲得に成功したのである。


 鹿児島行きの電車を待つ駅の中で、柳はいい仕事ができたという達成感と共に、一つの疑問が浮かびあがる。


「あいつの人を見る力……異常だな」


 柳の脳裏に浮かぶのは宮原の姿。基本的にはスカウト業務に宮原はそれほど口を挟まないが、数人個別に当たってほしいと伝えてきた選手がいた。

 彼らは全国的にはまだ無名にも関わらず、確かな才能を持った者達ばかりだった。


 今日の金子や先日加入を表明してくれた我那破和樹、第一期生の中でもその類まれなドリブルで評価を急激に上げている元山、『天才』としか表現できない選手も然り。

 選手、フロント業務で多忙を極めているはずの宮原がいつ若手のプレイを確認しているのか全く理解できない。


 実際の所、宮原は前世の知識を利用してリストアップしているだけなのだが、何も知らない人間からすればその能力は怪物的なものにすら映るのである。


 もっとも柳は宮原に対して恐れを抱いているのではない。そこにあるのは老人にはにつかわしくない熱い闘志。


 宮原の見つけた選手達以上の逸材を見つけてみせると内に秘め、柳は鹿児島への帰途に着く。


 その背中は充実した気概に満ち溢れていた。

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