199509

 1995年9月。宮原と監督のスキベはクラブハウスの1室で、来期の構想について打ち合わせを行っていた。


 NFLは11月まで続く長く丁場であり、既に後半戦に入っている。

 SC鹿児島は開幕から引き分けを挟みつつも未だ無敗街道を歩んでおり、Nリーグ昇格の条件である2位以内をほぼその手中に収めていた。

 しつこく追走する福岡を9月後半の直接対決で降せば、ほぼ昇格確定というのが9月月初の状況であった。


 クラブ運営というものは中長期的な計画に、短期的な結果が絡む非常に難しいものである。

 来季の編成を考えるのはシーズン終了後からでは遅いし、あまりに早く考えても、シーズン終了までの結果が芳しくない場合そのプランを修正する必要が発生し、クラブ経営者を悩ませる。


 一般的には選手の契約に関しては11月末ごろに通知を行い、監督やスタッフの編成に関しては9、10月までに総括を行う。

 もちろんそこからシーズン終了まで時間があることから、あくまで暫定的な決定であり、最終決定ではない。


 特にSC鹿児島のような昇格を目指すクラブの場合、Nリーグに参入できるかできないかで来季の構想が大きく変わることから、策定時期の設定は非常に難しいものである。

 しかし、実質昇格を手中にしている現在の状況ならば、具体的な来季の構想に着手してもよいと宮原は判断していた。


 元々、宮原個人の考えとして、監督やスタッフをむやみに変えることはチームの継続性を失わせ、チーム力を落とすことにつながると考えている。スキベとの契約も複数年契約で結んでいた。


 監督と選手、GMと監督、そしてサッカー馬鹿同士という様々な関係を持つ2人組は、その日遅くまで語り明かしたのだった。





 スキベと宮原の出会いは宮原がシャルケに入団し、1年余りが経った頃であった。

 宮原は当時2部のシャルケのテストを受けて入団。瞬く間にレギュラーを掴み、とチームの中心人物として1部昇格に貢献したころのことであり、シャルケのホームタウンであるゲルゼンキルヒェンで著名な外国人の1人であった。


 彼らの出会いはシャルケユースの練習場である。


 元々シャルケで将来を嘱望された選手でであったスキベ。ケガにより目立った活躍を残せないまま現役を引退した後、シャルケの育成部門の責任者として精力的に活動していた。


 自身の管轄にあるユースの練習場で、気づかないうちにユースの練習に宮原が紛れ込んだのである。

 宮原は練習魔として有名で、過度の練習を慎むようコーチから指示を受けていることを知っていたスキベは、慌てて宮原の練習を切り上げさせた。

 本人に問いただした所、「練習なんてしてない。サッカーで遊んでいただけだ」とのたまう。

 どれだけサッカーが好きなんだと呆れたスキベに宮原は「死んでもサッカーやりたいくらい俺はサッカー好きなんだ」と笑顔で語ったものである。


 それ以降、不思議と馬があったのか、宮原は時折スキベの元を訪れ、サッカー談義をしたり、ユースの練習のサポートをしたりという日々を送った。


 個人的な人間関係を基に宮原がスキベに鹿児島の監督就任を打診に来た日。宮原は自身の望む監督の条件を次のように語った。


「GMとして監督を決める基準は2つ。クラブのコンセプトに合った手法、目標観を持っていること、長く続けること、この2つだ」


 宮原はクラブの理想形を語った。

 規律ある守備をベースに、前線は3トップでピッチを広く使う。個々が連動しながらサイドを果敢に突破するスタイル。

 かつて、スキベと宮原が理想のチームとして語り、当時ドリームチームと呼ばれたクライフ率いるバルサを彷彿とさせるもの。


 いつか目指そうと誓ったスタイルを形にしたいのだ、と。


 若手を積極的に採用し、育成する。積極的に若手を抜擢し、チーム内の競争を推進させ、チームとしての実力を上げていくには、実際に若手を試合で使う勇気を持った監督の存在が不可欠である。

 勇気だけではない。若手を評価し、気に掛けるような為人でなくてはならず、監督のこれまでのキャリアも重要であう。


 だからこそ、育成部門から指導者としての道を始めたスキベを選んだのだ、と。


 クラブのコンセプトを語り終えた後、宮原は言った。日本はサッカー後進国である。しかし、これから歴史を作っていける国だと。

 自身の考えとして監督には長く続けてほしいと思っており、複数年契約で「日本のファーガソン監督になってほしい」と熱のこもった口調で語った。


 英国の名将に例えられたことを謙遜しつつ、宮原の右手を握ったスキベ。宮原の言葉は夢を語ったあの頃のままであった。


「俺がGM、お前が監督。俺達でバルサを超えるチームを作ろう」





 そして、時は舞い戻る。信頼を置けるGMとの関係にスキベは監督冥利を感じつつ、来季の構想について意見を交わしていた。

 スタッフは現状を維持しつつ、指導者層の底上げを図るために日本人コーチを入れることが決定。

 人選に関しては条件を宮原に提示し、候補を探すこととしていた。話は選手構成へと移る。


「すまん。やはりスルシャールは来季はいないものと思ってくれ。水面下ではあるがシャルケから打診がきている」

「戦力的には非常に痛いが、元々そういう契約と聞いていたしね。幸い来季には彼の目途が立ちそうだよ」

「窪か……確かに成長著しいが……大丈夫か?」

「もちろん。不安材料はあるが、そこは私の腕の見せ所だ。今季中には仕上げてみせるよ」


 2人が語るのは今季加入し、主に左ウイングでプレイしている窪龍彦。高校時代はMFであったが、SC鹿児島入団後はFWへとコンバートされた選手であり、宮原も非常に大きな期待をかけている若手である。


 技術こそ荒削りでプレイにもムラがあるが、圧倒的なフィジカルと破天荒なそのプレイは日本人離れしたものを持っている。

 特にその左足に秘めた能力はまさにワールドクラス。時折見せるビッグプレイはゲームの流れを一変させるほどのものである。

 しかし、元々MFであったことからDFを脊に負った時のプレイが苦手であったり、運動量が少なく基本技術に難があること、メンタルにムラがあること等短所はいくつでもある。


 スキベは短所を埋めると同時に長所を伸ばすため、シーズンを通して久保を左ウイングでプレイさせていた。NFLでも潤沢な戦力を備える鹿児島であることからできたことである。

 サイドに置くことで前を向いてDFに迎える環境を作り、攻撃面での久保の有意性を自身に実感させ、試合を通して基本技術の向上も図ったのである。


 共にプレイするスルシャールの動きを学ぶよう宿題も出しており、1流のストライカーの動きに合わせる中で、その技術を少しずつ自分のものとし始めている。

 また、サイドの守備を通して課題の運動量と守備意識を向上させることも狙っていた。


 もっとも久保のサイドから相手に攻められることも少なくなく、チームの穴と呼ばれることもあったのだが、スキベは辛抱強く使い続け、その成果は着実に実ろうとしている。


 宮原の前世の記憶に残るよく似た人物は、ケガに苦しみ、W杯にこそ縁がなかった。しかし、そのポテンシャルは歴代の日本人FWの中でも最高のものであったと宮原は考えていた。


(せっかくやり直した人生だ。サッカー好きなら誰もがみたかったはずだ。ドラゴンの可能性を)


 メンタル面fr課題は残るが、スキベを信頼すれば大丈夫であろうと宮原は考え、話題を最大の懸案に切り替える。





 最大の懸案。それはポスト宮原であった。


 宮原には選手以外に運営会社の社長兼GMという肩書がある。それは単に肩書としてあるわけではなく、実際に重要事項の決裁権やクラブの戦略策定といった根幹を担う業務を宮原はこなしていた。


 しかし、選手として練習、試合と常に多忙な宮原は、もちろん可能な限りの努力は行っていたものの、絶対的な時間の不足が株式会社SCKひいてはSC鹿児島の問題としてくすぶっていた。

 その問題を解決するには宮原が社長業、GM業に専念すること、つまり現役を引退するか、外部から人物を連れてくるしかない。

 外部から人を連れてくるにしても、選手として宮原はクラブに残る。クラブ内での宮原の影響力は絶大であり、いかに宮原が協力的な姿勢を見せたとしても、その人物にとってはやりづらい環境であり、その能力を存分に発揮することは難しいであろう。


 なによりも、誰にも伝えてはいなかったものの、W杯最終予選で負った大怪我の影響が、少しずつプレイに出始めていた。

 完治したと周りには伝えていたものの、実際は以前のレベルには完全に戻らないと診断されるほどの怪我であったのだ。

 日常生活に支障が出るほどの影響は出ていないものの、これからもプレイを続ければ分からないと医者には言われていた。


 SC鹿児島の今後の発展を考えれば宮原の現役引退は避けては通れない問題であり、自身の健康も考慮すれば、今シーズン終了後の引退は規定路線であった。


 クラブ幹部としてはクラブ業務に宮原が専念することは諸諸手をあげて歓迎していたが、監督にとっては宮原は主力中の主力、要である。

 その穴をどう埋めるかという妙案はすぐに出ず、結局両者はその日以降も悩みぬくこととなる。

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