199506

 1995年6月。序盤ながらNFLで無敗街道を突き進むSC鹿児島。順風満帆なチームの戦いぶりの裏で、もう一つの戦いが佳境を迎えていた。


 Nリーグ参入にあたっては様々な条件を満たす必要がある。成績はNFLで2位以内、運営組織という観点でいえば、日本法に基づいて設立された公益法人または発行株式の過半数を日本国籍を有するものが保有する株式会社であることや常勤役員、スタッフの最低限の人数等も取り決めがある。


 それらの条件の中で、次に挙げる3点は地元行政との親密な関係が必要とされる。ホームタウン自治体からの承認、県サッカー協会からの承認、Nリーグ基準を満たすスタジアムの確保の3つである。


 自治体及びサッカー協会はSC鹿児島発足から協力関係にあることから既に承認を取り付けているが、問題となったのはスタジアム基準である。

 宮原はクラブ設立と合わせて新スタジアムの建設を発表しているが、スタジアムは数か月で建つようなものではなく、少なくともしばらくは鹿児島県所有の鴨池陸上競技場の使用が必要であった。


 鴨池陸上競技場は毎年数試合のNリーグの試合に使われているが、あくまでも「Nリーグクラブが存在しない地域にあるNリーグ開催可能スタジアム」という位置づけである。

 本当にNリーグ基準を満たすスタジアムであるかは、Nリーグの検査を受けなければ証明されないのである。


 この対策のため、SC鹿児島は発足以来Nリーグからアドバイザーを招き、事前にスタジアム改修のためのコンサルを受けていた。

 しかし、所有者はあくまでも鹿児島県であることから、問題点の改善については鹿児島県に動いてもらう必要があり、Nリーグ参入にあたっては行政と親密な関係を築くことは必要不可欠であった。





 株式会社SCKの溝口浩は多忙な日々を送っている。株式会社SCK設立に伴い、大口出資者である鹿児島県の総務部財政課から出向してきた人物である。


 総務部財政課は県の予算や財政、公有財産や公の施設管理を業務として担っている。SCK立ち上げの際、行政からの出資条件として県からの出向が条件としてあった。

 その後の折衝の過程で溝口の人柄、能力を買った宮原が彼の出向を望み、溝口自身も民間での経験が自分自身の成長につながると考えたこと、県や市を挙げての事業に参画できる仕事としての面白さから、望んでやってきた形であった。


 溝口にとってSCKでの日々は驚きの連続だった。公と民の違いは随所で見受けられ、例えば、コスト意識。溝口が外部から取った見積もりに沿った計画を社長である宮原や副社長の宮内が参加する会議の場に出せば、「相見積もりはとったのか?」、「見積もりの際の条件は? この項目に関しては削減できないのか?」というように追及を受ける。

 指定の業者への発注が一般的で、予算を年度内に消化することを念頭に行動していた行政時代の思考は、必然的に早々に捨て去ることとなった。


 また、報連相を求められる機会も非常に多い。少ない人員で業務を回していることから、経営陣も溝口の業務に関してもある程度把握しているのだが、常に期限、進捗、成果の状況を確認される。

 経営陣のトレースに備え、彼らに追いかけられるのではなくいかに先回りするか、そのためにどう効率的に業務を回し、その状況を把握するかという認識の変化は、溝口の仕事に対する姿勢を確かに変えつつあった。


 その溝口のメイン業務こそスタジアム基準対応であった。スタジアム検査において主に確認される主な項目は下記の通り。


・10000席以上の席数。

・メインスタンド中央部に屋根付き貴賓席50席以上。同屋根付き記者席80席以上。

・メインスタンド中央部に屋根付き、肘掛け付きカップホルダー付き個席100席以上。

・ピッチ内平均照明1500ルクス以上。

・テレビ放送用設備、スペース。

・競技設備。

・居室、控え室。

・エレベーター等、来賓の導線に支障のないこと。

・ハンディキャップ対応。


 1994年年末から開始された改修工事で主な項目の達成は可能であるとの見通しはたっていた。しかし、検査は細部に渡り、その総数は数十項目に渡っている。

 Nリーグより招いたコンサルタントによると、鴨池陸上競技場が現状で基準を満たしてないと思われる項目は2割弱。溝口にはこれらの項目の改修及びさらなる条件を県から引き出すことが求められていた。


 例えば、女性や小児用のトイレの拡充である。宮原は地域密着において女性や子供の間でのクラブの浸透は不可欠であると考えており、それには環境整備も必須であると考えていたためである。


 また、鹿児島特有の問題であるが、排水能力の拡充も挙げられる。鹿児島は頻繁に台風の通り道となることから、毎回その雨によってピッチが使用不可能な状態になれば、クラブ経営の根幹である入場者収入に大きな影響を与えることとなる。


 これらの問題に溝口が粘り強く対応していくこととなる。





 溝口は精力的に動いた。交渉先は元々自分自身が籍を置いていた部署である。

 年間予算の進捗も理解しているし、それぞれの担当者の人柄も理解している。新たに身につけた厳格なコスト意識で予算の範囲内に押し込めるよう計画を作成し、時に上司達の人脈を利用してトップダウンで改修計画を進行。


 工事はSC鹿児島の試合に影響を与えないよう厳密なスケジュール管理の元行われた。SC鹿児島の試合や観客に支障のでないよう進めることは極めて困難な業務であったが、溝口は逆にそのスリリングな状況を楽しんでいる自分を認識していた。


 溝口はこの時の経験を「正直無理だと毎日思ってましたが、なんとかなりましたね。SCKには凄い人達が揃っていた。その人達の能力や人脈を活用してスタジアム検査という目標に向かって突き進んでいく。やり方の違いに驚きもありましたが、目標を達成するための絵を書いて、そのために皆が動いてくれる。半端ないですね、達成感が」と語った。


 そして1995年6月12日。溝口の仕事の集大成とも言えるNリーグのスタジアム検査が実施された。


 鴨池陸上競技場は無事Nリーグ基準を達成。


 晴れて、Nリーグ参入の諸条件をクリアし、残すところは本業である成績(JFL2位以内)のみとなった。

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