199407③

 河原勇は宮原優太の親友であり、中学、高校と共に戦った仲間である。

 俊足と左足のキック力が特徴的な右ウイングで、カットインからのシュートは何度もチームを勝利に導いた。宮原の最も信頼する相棒であった。

 高校卒業後はサンフレックス広島の前身であるマスダサッカークラブに入団。現在はNリーガーとして活躍しており、バスター監督率いる広島で不動のレギュラーを務め、1stステージ優勝に大きく貢献。

 優勝という栄冠を掴み取り、私生活でも婚約発表という幸せを掴み取ったことが先日ニュースに流れたばかりであった。目の前にいる鈴木恵美と。


「どういうこと? 私と勇の人生を預けてくれって……意味がわかんないんだけど」


 真意が分らない、とその表情は語っていた。


「そりゃそうだよな。言葉が足りなくてすまん。実はさ、さっき話したクラブ……お前も一緒にやってほしいんだ。広報としてお前をスカウトしたい」

「え、けどあんたのとこの渡辺さんは?」

「もちろん渡辺にも協力してもらう。けど、クラブを軌道に乗せるには話題作りが大切だ。どれだけ注目されるかで、スポンサー料なんて変わってくるからな。となると客寄せパンダとして俺を使わないわけにはいかないだろ? なんたって『悲劇の英雄』だからな、俺は。ただ、元々渡辺は実業面の広報だ。今までは忙しすぎて俺もサッカー選手としての広報活動をほとんど断ってたから問題なかったが、これからは違う。かといって渡辺にこれ以上の負荷をかけるわけにはいかない。だから、サッカーに関する広報活動は全てクラブを通したい。そのために、クラブにも俺の意向を酌んで適切な対応をとれる人材がほしいんだ」


 宮原は日本を代表するサッカー選手である。記憶に新しいドーハにおける『悲劇の英雄』としてその名は広く知られている。サッカー選手としての影響力は日本トップクラスであるが、これはあくまでもプロサッカー選手としての一面である。


 彼にはもう一つの顔がある。バブルの荒波を潜り抜け、莫大な成功を収めた実業家としての顔である。バブルの終焉前に渡独したことで、日本での経済活動は鹿児島、九州を中心としたものとなっているが、欧州へその身を移したことで国際的な動きはより活発になっている。


 各国の実業界は常に宮原の動きを注視している。彼の元には日本の主要新聞に始まり、世界各国のマスコミからインタビューの申込みが殺到し続けている。

 宮原の実業家としての動きで莫大な金額が動く。経済関係のマスコミや関係者からの自分達を優先しろという圧力で、サッカー関係のマスコミは鈴木が担当する南九州新聞のコラムを除いて、宮原に接触する機会を得ることは今までほとんどなかった。

 そんな宮原の広報活動を専属でマネジメントしているのが渡辺俊介である。


 宮原はブンデス挑戦以降、自身のサポートのためにプロスタッフでチームを結成していた。そのメンバーはトレーナーや管理栄養士といったスポーツ選手として求める人材だけでなく、弁護士や公認会計士といった実業面の人材も含まれており、それらの人材は、主に宮原率いるファンドから派遣されている。渡辺も広報のスペシャリストとして派遣されている人材であった。


 鈴木も渡辺とは面識がある。出会った頃はエリートサラリーマンといった風体であった30代半ばの男。宮原の経済活動が大きくなるに連れて彼の業務は加速度的に膨張し、今では窓際サラリーマン並の悲哀を感じさせる背中が印象的な人物である。


 確かにこれ以上彼の負担を増やすのはあまりに酷である、そう憐憫の情を抱いた鈴木に宮原は言った。


「そういう意味で能力、経験、人脈……何よりも俺を知っているという点でお前以上の人材は世界中探してもいないんだ」





 宮原の話を聞き、正直なところ極めて遣り甲斐のある仕事だと鈴木は思った。所属としてはクラブ運営会社となる。だがその業務はサッカークラブだけのものに留まらない。

 実業面でここ数年国際的な動きをとってきた宮原であったが、Nクラブ設立と合わせて鹿児島、九州での活動にしばらく注力すると言う。

 金融や小売といった様々な業種を買収し再編させ、九州の経済界を活性化させる。その動きの中でクラブを象徴として活用すしたいと言う。複数のステークホルダーとの利害を調整し、最大のリターンを得るための広報活動。


 今まで情報を取得していた側からの目線でも、その仕事は極めて難しく厳しいものであろうことが分かった。


 しかし、逆に鈴木は自分の内に生まれる熱いものを感じていた。

 極めて難しい仕事である。己の能力で対応できるのか?

 不安はある。足を引っ張ってしまうのでは?

 気おくれもある。自分はこいつの周りにいるスペシャリスト達のレベルにあるのか?

 だが、この男がこの話を持ってきたということは、自分の実力を認めてくれているということなのだろう。


 思い返せばこの男はいつも走り続けている。

 かつて全中優勝を目指した時もそうだった。夢物語だと人が言っても走り続け、実現させる。

 この男に追いつきたくて、努力した。それはきっと自分だけではなく、かつての仲間達も同じだろう。背中を追いかけ、可能なら共に並び、同じ景色を見たい。それは遠い昔に生まれた夢だったのかもしれない。


 答えは出ていた。しかし、すぐに飛びつくのは癪だったし、いつも周りを振り回す初恋の男を少し困らせたかったのかもしれない。何よりも聞きたい言葉があった。


「一つだけ聞かせて? この話は私とあんたの関係だから? それとも私の実力を評価したもの?」





 翌日。南九州新聞に掲載された「宮原のシャルケ退団」と「SC鹿児島設立」のニュースはすぐに全国を駆け巡った。鈴木はこのスクープを置き土産に、惜しまれながらも新たなステージへの挑戦へ踏み出した。

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