★雪が溶けたら何になる(弐)

 起きるとそこは、雪国であった。

 トンネルを抜けるまでもなく、雪国であった。


 そんなことをぼんやり思いながら、都は呆然と外を眺める。朝の支度を終え、食事の前に帰る準備までしておこうと思っていた矢先である。実結が「おそとしろーい!」とはしゃいだのは。あらあら雪でも降ったのかしら冷えたものね、と言いながらカーテンを開ければ――――

 塗りつぶされたかのような白。見るからに重そうな雪が山の一面を覆っていた。初めこそ感激していた都だったが、ある可能性に思い当たり口元に手を当てる。それから慌てて部屋を出て、宿の受付カウンターへ急いだ。すでにタイラと本橋が女将と話しているのが見えた。


「いやぁ今日は動きませんよ、鉄道」


 やはり。やはりそうか。

 こめかみに手を当てて、都はため息をつく。だが都にとってはそこまで痛手ではない。今日は柊の診療所に顔を出す予定だったが、連絡を入れれば柊はどうでもよさそうに了承することだろう。

 本橋とタイラがカウンター前のソファに腰を下ろし、突っ立っている都を手招きした。

「どうする?」

「どうするも何も、さすがに鉄道が無理なら無理ですよぉ。あーあ、警部補に休みの連絡入れなきゃなぁ。いいですよぉ、有給は有り余ってるし。警部補も温泉饅頭を持っていけば許してくれるでしょ」

「そうか。先生は?」

「私も……柊さんに連絡さえ入れれば許してもらえると思う」

 腕を組んだタイラが難しい顔をして、しかしパッと手を広げ「帰れないものは仕方あるまい。もう一泊するか」とまたカウンターに向かった。


 手続きを終えたタイラが「美雨はどうした」と尋ねる。「まだ寝ていたけれど」と答えれば、「スケジュールの問題だとあいつが一番ヤバいと思うがな」とタイラは呟いた。それもそうだろう。起こしてあげればよかったわ、と都は思った。




☮☮☮




 ようやく起きた美雨に状況を説明すると、なぜか高笑いをして電話をかけに行った。どうやら休暇を勝ち取ったようで、意気揚々と戻ってきては「清々しい朝ですわねえ」と笑う。「オーナーにも休みをやれよ」とタイラが呆れた顔で肩をすくめた。


 朝食は素朴ながら最上級の質であることがうかがえるもので、カツトシが「お米美味しい~~~」と何度もおかわりしていた。「旅館の朝ご飯ってどうしてこんなに美味しいんでしょうね」と本橋も目を丸くする。本当ですね、とその横で章が呟いた。


「しかし1日どこへも行けないのか……。気が滅入るな」

 そんなことを言うタイラに、ユウキが「やることならありますよ」と胸を張った。

「雪合戦です」

「いいじゃん雪合戦」

「ミユもおそとでる!」

 オレは中にいてもいいですか、と言うノゾムがユウキたちからブーイングされた。




☮☮☮




 言い出した手前なのか、とりあえずついて来たという風のタイラが自動販売機の近くのベンチに座る。「寒ぃよ」と呟いて頬杖をついた。はしゃぐ子供たちを眺めている。


 そんなタイラの右側頭部に、雪玉が直撃してそのままべったり髪に絡みついた。面倒そうに視線をやれば、美雨がけらけら笑っている。

「ごめんあそばせ、手が滑りましたわぁ。でもそんなのが当たってしまうなんて、あなた、ちゃんとお目目はついてらっしゃいますの?」

 ため息交じりに立ち上がったタイラは両手に雪をすくって、美雨に近づいた。それから美雨の頭上でその雪の塊を落とす。裏声で「ごめんあそばせぇ、手が滑りましたわぁ」と吐き捨てた。

 人肌で溶けてきた雪が額を垂れて流れてゆく。半目でタイラを見た美雨は、すぐさま間合いを取った。


「死ぬがよろしくてよォォォォ」

「お前が死ねェェェェ」


 光速で飛び交っていく雪玉を見ながら、「何すかあれ」とノゾムは呟く。「羽目を外していらっしゃるのではないでしょうか」と章が顎に手を置いた。「いや、だとしたら羽目の外し方下手くそ選手権の方たちでしょ」とノゾムは思わずツッコむ。

「テメェふざけんな! 雪玉に石を仕込むやつがあるか!」という言葉を聞いて、ノゾムは巻き込まれないように子供たちを避難させた。


 自分が誘ったにもかかわらずなぜか美雨とじゃれ合っているタイラを見て、ユウキは少し拗ねているようだった。まあ無理もないと思い、ノゾムはそんなユウキに声をかける。

「ユウキ、どっちが遠くに雪投げられるか勝負っすよ」と言いかけた瞬間、ユウキは足元の雪を固めて右足を一歩前に出した。そのまま思い切り振りかぶって、雪を投げる。それを呆気に取られて見て、「わあ……フォームがきれい」とノゾムは呟いた。


「立派な野球選手になれるっすね」

「別になりません!」


 ノンちゃんの番ですよ、とユウキが胸を張る。「ええ……」と言いながらノゾムも足元の雪をすくった。と、前の方からユメノと実結がスキップで歩いてくる。「雪だるまつくろう~」と歌いながらノゾムたちの前で止まった。

「ドアをあけて~」

「いっしょにあそぼう~」

「ドアも何もないんですよね、もう外なんで」

 ノリが悪いぞ! とユメノが憤慨する。「わるぅいのよ!」と実結もユメノの真似をした。テンションたけえな、と思いながらノゾムは頭をかく。確かに住処のある街ではここまでの大雪は見られない。ノゾムも、ここまで見事な銀世界を見たのは小学生の時スキー教室に行って以来だ。それにしても、である。


「見て見て見て見て」と言ってユメノがその場で仰向けに倒れた。綺麗にそこだけ窪みになって、人型が取れる。きゃっきゃとはしゃぎながら実結も同じようにした。「あーあー、ママに怒られるっすよ」と実結を抱き起そうとすると、隣のユメノに腕を引っ張られノゾムもつんのめって顔面から雪に倒れこむ。何とか起き上がると、横にユウキもちょこんと座っていた。


「楽しいっしょ?」とユメノが笑う。「楽しいっつうか顔が痛い。冷たすぎて痛い」と文句を言っても聞きやしない。

 起き上がってぶんぶんと頭を振った実結が、難しい顔をして「ミユわかったのよ」と言い出した。「かきごおりってこうじょうでつくってるんじゃなくて、おんせんでつくってるんじゃない?」と目をぱちくりさせる。ノゾムたちはこらえられずに笑った。


 ユメノが実結とユウキを率いて雪だるまづくりに精を出しているのを、ノゾムはぼんやり見る。暇だな、と呟き伸びをした。

 そうだ、先輩を落とし穴にでも嵌めるか。


 旅館でシャベルを借りて、せっせと穴を掘る。「マジでどんだけ降ったんだこれ。掘っても掘っても雪なんですけど」と言いながら汗を拭った。ようやく土が混ざったころ、思いのほか深い穴ができた。人ひとりくらいは難なく収納できそうな穴だ。こんなにガチで掘るなんて、正直自分でも引く。

 申し訳程度に雪を被せて穴を隠し、ノゾムはタイラを呼ぶことにした。

「せんぱーい」と言って探していると、タイラと美雨が取っ組み合いの喧嘩をしながら罵り合っているのが見えた。タイラの体力が尽きてきたのか、かなり泥仕合の様相を呈している。「マジか……あの人たち、止めないとずっとああなのか……」とノゾムは呆れた。

 そこに涼しい顔をした章がやってきて、「お母さん、あちらから山をご覧になってはいかがです。綺麗ですよ、写真を撮りましょう」と声をかける。息を切らした美雨がタイラを思い切り突き飛ばして、「今日はこの辺にしておいてさしあげますわ。覚えておくことね!」と捨て台詞を吐いて章と歩いて行った。タイラも肩で息をしながら「お前がな」と短く答える。


「どうしてそんなケンカになるんすか? オレらが見てた時はまだ“雪合戦”でしたよね」

「さっぱりわからん。何も覚えていないが、あの女が気に入らないということだけはわかる」

「同族嫌悪って知ってます?」


 そういや、とノゾムは横目にタイラを見た。「向こうでユウキが拗ねてましたよ。『せっかく誘ったのにタイラは僕と遊んでくれない』って」と言えば、「それもそうだな」とタイラが頷く。

「どこにいるんだ?」

「向こうっす。早く行ってあげた方がいいですよ。ユウキは拗ねると機嫌直すのに時間かかりますからね」

 違いない、と喉を鳴らしたタイラが歩みを速めた。それをノゾムは後ろから眺める。


 数秒後、ノゾムが作った落とし穴に足を取られてタイラは姿を消した。あまりにも美しい落ち方だったのでノゾムは吹き出してその場で腹を抱えた。


 ノゾム、と怒気をはらんだ声が聞こえて真顔になる。それから穴の中を覗き込み、タイラを睨んだ。

「あんた何こんなのに引っかかってんだ。普通こんな気を付けてればすぐわかるような罠に落ちないっすよ。あんた最近たるんでるよ」

「なんでお前が怒ってんだよ……! いいから出せよ早く」

 仕方ないな、と腕を差し伸べようとすれば、その上から雪が舞った。驚いて顔を上げると、美雨がシャベルでせっせとタイラの頭上に雪を被せて埋め立てようとしていた。


「えっ、あの……何をしてるんですか」

「こういう趣旨ではなくて?」

「いやそういう趣旨ではあるんですけどそこまではする気がなくてですね、さすがにこれ以上の悪ノリはオレも怖いんでちょっと」

「あなた、男なら中途半端なことをしてはダメよ。埋めましょう。ここがこの男の墓場です」

「いやいやいや、スミマセンした!! さっき『そういう趣旨』って言いましたけど全然違いました!! ストップストップ!! つうか坊ちゃまもうちょっとお母さまのことちゃんと見てて!!」


 見たこともないような真剣な目で美雨は「お亡くなりあそばせ」と言って穴を埋め立てようとする。「そんな物騒な言葉この世にないでしょ」とノゾムは必死に止めようとした。


 そんな攻防を尻目に、ユメノが「ねえノンちゃーん」と話しかけてきた。「今ちょっと取り込み中なんですが、てか助けてください」と言いかけたが、ユメノの困り顔を見て一旦美雨の腕を離す。

「あのさぁ、あたしのスニーカー知らない? さっき雪に埋まっちゃってさぁ。見つかんないの」

 確かにユメノの右足にはぐっしょり濡れた靴下しか装備されていない。さすがに寒そうというか、それだけ濡れていたら冷たいだろう。先ほどノゾムも言ったが、“冷たい”というのはほとんど痛みなのだ。

「あー、こんなに雪降ると思わなかったから油断した。スニーカーじゃなくて長靴にすればよかったぁ」

「スニーカーで来ても全然いいんですけど、問題はスニーカーで雪遊びしようって思ったことなんですよね」

 仕方なくノゾムはユメノの肩と腰に手を回して、そのまま持ち上げた。驚いたユメノが「おおっ!? なに!?」と騒ぐ。

「旅館に戻りましょうよ。靴はちゃんと探しておくんで」

「自分で歩いてくよ!」

「えっ、なんで? 足冷たくないすか? あっ……おんぶの方がよかったっすね……?」

 ユメノはちょっと顔を赤くして、「そこの自販機の横のベンチにおろして。靴が見つかったら、歩いて旅館に帰るから」と小さな声で言った。「とにかくで旅館に入るのは無理。てか早くおろしてよ」と目をそらす。

 言われたとおりにベンチにユメノを下ろし、ノゾムはスニーカーを探した。途中で、一仕事終えた様子の美雨も「あら、ユメノちゃんの履物? 私も探しますわ」と手伝ってくれた。


 探索時間はそう長くなかった。ついでに実結の靴も見つけたので履かせてやったが、実結は「おくつないのきづかなかった」と言っていた。「シンデレラみたいっすね」と言うと実結は喜び、その様子をユウキがじとっとした目で見ていた。


 それからユメノの元へ靴を持っていくと、ユメノは素直に「ありがと。ごめんね」と言ってはにかむ。先ほど実結にやったように片膝をついて靴を履かせようとし、あんまり靴下が濡れているので「靴下脱ぎません?」と顔を上げれば、ユメノは言葉を失くした様子で赤面していた。

「こんな濡れた靴は履かない方がいいっすよ。やっぱおんぶして戻りましょうか」

「ちょっ……ちょ、なっ……なんで履かせようとしてんの? しかも靴下まで脱がせる気でいる? 女の子の靴下、パンツと同じぐらい重要な装備なんですけど」

「いやこんなに濡れてたら防御力ゼロだと思いますよ」

「そういう意味じゃねえから!!」

 何をそんなに怒っているのか、と眉根を寄せたノゾムは、ようやく「ああ」と手を打つ。


「はいはい、シンデレラシンデレラ」

「は?」


 もう、と言ってユメノはノゾムの手から靴を奪取し、何か言う暇もなく自分で履いた。「戻ったらちゃんと乾かすよ」と言ってそっぽを向く。

「ったく、ノンちゃんのくせに生意気だぞ」

「ええ……」

「そんなんだから彼女できないんだ」

「ユメノちゃんにまでそんなこと言われんのか……死にてえ……」

 いいから早く戻るよ、と言われてノゾムは頭をかいた。ちょっとムッとした様子のユメノの後を追う。

 そういえば何かを忘れているような気がするが、と小さく首を捻った。




☮☮☮




「へえ、ここの囲炉裏ってただのモニュメントかと思ってましたけど、実際に使えるんですね」

 と、ノゾムは呟いた。囲炉裏の真ん中には薪がくべられており、炎が宿っている。温かい。

 その前で震えているのはタイラだ。戻ってきたノゾムたち――――主にノゾムと美雨を見て、顔をしかめる。


「もうお前たちと遊んでやんねえ」


 横で美雨が「あっはっはっは」と笑っている。「何したん?」とユメノが耳打ちしてきたので、「埋めた」とノゾムは短く答えた。

 ため息をついたユメノが近づいていき、タイラの背中から首に腕を回して抱き着く。

「どうしたの、寒かった? 体冷たいよ」とユメノが言えば、「お前も冷たいよ」とタイラは仏頂面のままユメノの手を掴んだ。ノゾムもタイラの隣に座り、「怒ってます?」と尋ねる。

「怒ってる」

「自力で出てきたんですか? さすがっすね」

「お前なぁ……」

 タイラは眉をひそめているが、それが怒りではないということは何となくノゾムにもわかった。それが本当に“怒り”という感情であればノゾムはタイラに近づきもしなかっただろう。怒りと言うのはもっと激しくて、燃えるようなものだ。例えば先ほどまでタイラと美雨が取っ組み合いの喧嘩をしていたのは怒りをエネルギーとしたものだと思う。だけれど今のタイラはもっと気の抜けた、萎んだ風船のような感情で目の前に座っていた。「寒かったんですね」とノゾムも思わず言って、ちょっと目を伏せる。「スミマセンでした。今度はあったかい時期にやります」と。「反省してるか、それ」とタイラは言うが、少し笑った。

 タイラの膝には実結とユウキが座っている。恐らく囲炉裏の火と子供らの体温で暖を取っていたのだろう。そこにブランケットを持ってきた都が来て、タイラの隣――実結が座っている方に腰を下ろした。

「楽しかった?」と都が尋ねる。「たのしかった!」と実結が答え、「そうか」とタイラが呟いた。「それなら、いいか」と。

「あのね、おんせんはね、すごいのよ。かきごおりつくってる」

「かき氷なら俺も作れるよ」

「ほんとう!?」

「本当。ミユちゃんはかき氷作ったことなかったか」

「ミユにもつくれるの!?」

 作れるよ、とタイラは言って実結の髪を撫でた。「君にできないことなんて何もない。今からやりたいことのリストでも作っておくんだな」と目を細める。


 不意に「みなさーん」と明るい声が響いて全員振り返った。お盆に何か茶碗を載せて、本橋とカツトシが歩いてくるところだった。

「旅館の方が、お汁粉を作ってくれましたよぉ。へっへっへ、やっぱり雪の日にはお餅ですよねぇ」

「あんこの甘い匂いって、テンション上がっちゃわない? 上がっちゃう」

 カツトシが都の隣に座ると、ユメノも膝立ちで歩いてカツトシの横に腰を下ろす。茶碗を受け取って、「あったかーい。あまくておいしー」と舌鼓を打った。ノゾムも一口食べて、「おしるこ、たまに食うとありえないほどうめえな……」と感激する。


 ふと、都が実結の口元を拭ってあげるのを見た美雨が「いいですわね……」と呟いた。「何だか親子っぽくて」と続けてため息をつく。それから章を見れば、大変美しい所作で餅を咀嚼していた。口の端を汚すなどとんでもない、という雰囲気だ。

 じっと見ていると、章がこちらを見てふっと笑った。

「お母さん、失礼します」とハンカチを握り美雨の顔に近づける。それからさっと美雨の口元を拭い、「ふふ、ついていらっしゃいましたよ。お可愛らしいですね」と言ったきりまた姿勢を正して自分の汁粉を食べ始めた。

 その場に置いていかれた美雨は、呆然と宙を見る。

「うちの息子が……」と口から声がこぼれた。「うちの息子が、モテないわけがないのですわよねぇ」と言うと、隣の本橋が「大丈夫ですか? 日本語ちょっと下手になりました?」と肩をすくめた。




☮☮☮




 いいお湯だった、とため息をつきながら都は椅子に腰かける。冷えた体を温めようと全員で温泉に入った帰りだ。

 廊下の途中、窓際にあるテーブル席に座っている。談笑でもしながら少し休憩する席なのだろう。廊下にはほとんど等間隔に置かれている。大抵近くに自動販売機があり、飲み物を購入することも可能である。

 都はそこで何をするでもなく、窓の外を見ていた。


「お嬢さん」といきなり頭上から声が降ってきて飛び上がってしまう。恐る恐る顔を上げれば、後ろからタイラがこちらを覗き込んでいた。


「御髪が濡れていらっしゃる。風邪引くぞ」


 熱い、と思った。首から頬にかけて、じわじわと熱い。この感覚を知っていると思った。アルコールの強いお酒を飲んだ時、一瞬で顔が火照る時と似ている。そうだ酩酊する直前。暴力的なまでになすすべもなく、酔って感覚をなくしていくあの瞬間だ。温泉でのぼせたのだろうか。さっきまで平気だったのに。

「えっ、なんでフリーズしたんだ? どうした?」

 ハッとして、都は空咳をした。「大丈夫。私は髪が短いから、放っておいてもすぐ乾くのよ」と言いながら、ズボラな女と思われただろうかと心配になる。「でもちゃんと寝る前には乾かすし」と下手な言い訳を重ねた。

 タイラは興味を失くした様子で「ふうん」と言って都の向かいの椅子に腰かける。それから何かをテーブルに置いた。

「やるよ」

「それは?」

「コーヒー牛乳。もう飲んだ?」

「いえ……いえ。コーヒー牛乳? それはいわゆるカフェオレとは違うの?」

「飲んだことすらねえのか。あんた好きだと思ったんだけどな」

 都が手を出さないでいると、わざわざタイラが蓋をはがしてまた都の前に置く。そこまでしてもらって飲まないというのも失礼かと、都はその瓶に手を伸ばした。

 一口、啜るようにして飲む。「おいしい」と言ってまた飲む。二口で半分ほどなくなってしまった。

 その様子を、微笑ましげに見ていたタイラが何か缶の飲み物を煽る。都は咄嗟に「またビールなんか飲んでる」と見咎めた。


「やっぱ温泉の後のコーヒー牛乳とビールは最高だよな」

「じゃあビールではなくコーヒー牛乳にしたらどうかしら」


 ふっと真面目な顔をしたタイラが、「乳飲料ってさぁ、なんか飲んでるのか吐き出してるのかわかんなくならねえ? ガブガブ飲むの苦手なんだよな」と言う。彼が“苦手なもの”に言及するのは大変珍しいので、都は目を丸くしながらも「わからない」と答えた。

「じゃあ、さっきの“温泉の後はコーヒー牛乳とビールが最高”というのは?」

「一般論の話だ」

「あなたは人と話を合わせるためによく一般論を使う」

「そうじゃないやつがいるのか?」

「私はいつだって、を聞きたい。だってあなたと話しているんだもの」

 タイラは一瞬だけ途方に暮れたような顔をして、それから「俺は」と何か言いかけた。しかし思い直した様子で口を閉ざし、いつもの調子で笑う。


「君は、綺麗だなぁ」

「え……?」

「俺が何をどう話そうと俺の自由だ。嘘など一つもついていない」


 なぜいきなり、そのように突き放されたのかわからなかった。都は戸惑い、下を向いて押し黙る。


 だけど私は。それでもあなたのことが、知りたい。


 あの夜。都が両親についての想いをタイラに吐露したあの夜、都の中で何かが変わってしまった。

 今まで誰にも言えずに抱えていた汚い想いを共有したから? 違う。

 彼が都の卑怯さ、傲慢さ、自分勝手さを“強さ”だと評価してくれたから? たぶんそれも、違う。


『俺も今、同じことを考えてた』


 あの言葉を反芻するたびにダメだった。


 彼が何かを隠したがっていることもわかっているし、できればそれを尊重したいとずっと思ってきた。だけど今では、全てを暴いてしまいたいと思う。

 そしてそこに何が隠されていようとと。

 ああ、綺麗な言葉で表せない。もっと激しい。“寄り添いたい”なんて優しい想いじゃない。もっと熱くて、激しい想いだ。


 あなたの家族は? あなたの友人は? あなたの大切な人は? あなたは何を奪われて、何を奪って、何を憎んで、何を許して、どうしてそんなに疲れ切ってまで人を愛そうとするの?

 これは、欲だ。それ以外にこの衝動を言い表す言葉を知らない。真っ当な人間が持つべきでない、醜い欲だ。


(彼の人生は私なんかが興味本位で消費していいものではないのに。私が彼のことを知りたがるのは彼にとってきっと煩わしいものなのだろう)


 なあ、と声をかけられて顔を上げる。

「今日は月が大きくて明るいな」と。

 都も窓の外に目を移して、それを見た。確かに月は丸く大きくて、少し赤みがかっているようだった。そうね、と頷く。タイラは頬杖をついて、「綺麗ですね」と囁いた。


「今夜は月が、綺麗ですね」


 ――――かつて。“I love you”をそう訳した文豪がいたらしい。らしい、というだけで本当にそうであったかは定かではない。なぜそう訳したのかも、はっきりとはわからない。

 口を開けたまま何も返せずにいる都を尻目に、タイラはぽつりと「どうして君が俺を見捨ててしまわないか不思議でならない」と呟いた。さらに驚天動地。都の頭はクエスチョンマークで埋め尽くされ、しばらくタイラの顔を見つめるしかなかった。


 まったくもって。

 まったくもって、彼の言葉は的外れと言わざるを得ない。見捨てられると言うなら、それは都の方であるはずなのだ。彼はすでに酔っているのだろうか。


 都は気を取り直し、月を見た。

「本当だわ。とっても綺麗なお月さまね。冬の満月は夏のものより貴重だから、運がいいと言えるわ」

「へえ、そうなのか」

 会話が途切れた。向こうでカツトシとユメノが何か楽しそうに話しているのが聞こえる。何か話そうと口を開いたが、その前にタイラが「俺は」と言った。

「月よりも星が好きなんだ、本当はな。昔からそうだった。月は自分から光を放つわけでもないのに偉そうにしてるからな」

「そう……かしら」

「それから山より海が好きで、人がいない海が好きで、紅茶よりかはコーヒーが好きで、甘ったるいもんは大抵苦手で、縁起のいいもんが結構好きだ。神なんかいてもいなくても一緒だが、験を担ぐと気合いが入るからな」

 ぽつりぽつりと、彼は呟く。都はそれを静かに聞いていた。

「なあ、つまんねえだろ。そんなもんだよ」とタイラはため息をつく。都は顔を綻ばせた。確かに彼の話したことは、取るに足らない情報だったかもしれない。その場限り、吹いて飛ぶような事柄だったかもしれない。だけれどなぜだろう。自分の中で、何かが埋まっていくような満足感があった。


 私も、と目を細める。

「人のいない海が好き。紅茶よりコーヒーが好きで、コーヒー味のお菓子も好き。験担ぎはあまりしないけれど、あなたの言うことはわかる気がする。だけど甘いものは大好きだし、私はね……お月さまが好きよ、とっても。確かに恒星ではないけれど、あれはとても優しい星なのよ。太陽が姿を隠しても、人に光を与えてくれるの。だから、好きよ」

 

 何とはなしに笑いあって、「君らしいな」とタイラは言った。それから「そうだ」と真顔になる。

「君が前に作ってくれたホットミルクは美味かったよ」

「ただあっためて、ハチミツを入れただけなのに?」

「牛乳が嫌いなわけじゃないからな」

 難しいことを言う、と思った。だけれど嬉しいのは間違いなかったので、帰ったらまた作ろうと都はうなづく。


「この前買った本、持ってくればよかったわ。こんなに時間ができるとは思わなかったから」

 そう言うと、タイラが「ああ」と言いながら自分の懐を探った。どうやら彼は持ち歩いていたようで、「ちょうど読み終わったから貸してやる」と差し出してくる。それを受け取って、都は中身をパラパラ開いてみた。

「犯人が誰か言ってもいいか?」

「いくらあなたでも許しません」

「冗談に決まってるだろ」

 新刊書のはずの本から、微かに煙草の香りがする。呆れた。彼はこれを読んでいる時もずっと煙草を吸っていたのだろう。


 煙草もお酒も程々にと言おうとした時、タイラの後ろから「ねえあなた」と美雨が顔を出した。

「小銭を持っていませんこと? そこの自動販売機、カードが使えないのですが」

「いい大人が小銭をせびりに来て恥ずかしくねえのか。我慢して水道水飲んでろよ」

 そんなことを言いながらタイラは財布を出す。あら、と美雨が都の存在に初めて気がついた様子で目を丸くした。


「こんなところにいましたの、あなた。娘さんがアイスを食べたがっていましたよ。もうスズキ少年辺りが買い与えているかもしれませんが」

 ハッとして、都は立ち上がる。一息つくだけのつもりが随分長居してしまった。「ごめんなさい」と言いながら席を離れ、その場を後にする。


 早足で駆けていくと、美雨の言った通り、実結はノゾムたちに囲まれてアイスクリームを食べていた。

「ごめんなさい、お金を払うわね」と言うと、「いいっすよ。オレらも食いたかったんで」とノゾムが手を振った。横でユメノもカツトシもアイスを食べている。


 都は呼吸を整えて、娘の口の周りをタオルで拭いた。「よかったわね。アイス美味しい?」と尋ねれば、実結は満面の笑みでうなづいた。


 少しほっとして、都はまたぼんやり窓の外を見る。何だか妙に顔が火照ってダメだった。

 都は思わず、「月が綺麗ね。今日はとっても」と声に出す。すると隣でノゾムが、「ほんとだ。満月っすね」と言い、ユメノとカツトシも同意した。

 ほら、と思う。ほら、どうってことないんだわ。きっとタイラも、ただの世間話として言っただけ。本当に何でもない、日常にありふれた会話だったのだ。

 そう自分を納得させて、都は実結を抱き上げた。




☮☮☮




 そんな都たちのやり取りを少し離れたところで見ていた章が、ふと「“月が綺麗ですね”というのは、不思議な言葉ですね」と言い出した。アイスキャンディーをぺろぺろ舐めながら、本橋は「そうですねぇ」とうなづく。

「夏目漱石でしたっけ? アイラブユーをそうやって訳したとかいう」

「ええ、そういった話を聞いたことがありますね。なぜ、“月が綺麗ですね”なんでしょうか」

 たとえば、と目を細めた章の表情は真っ直ぐで、からかいの色など欠片も隠されてはいなかった。


「僕は本橋さんのことを月より美しいと思っていますが、アイラブユーを“あなたは月より綺麗だ”と訳すのはあまり品がありませんか?」


 本橋はしゃくしゃくとアイスキャンディーを食べ進め、「もう一つ買ってこようかな」と呟く。「お腹を冷やすといけないので、その辺でよしておいた方がよろしいかと」なんて章は真面目な顔で注意した。

 たっぷり3秒程度の沈黙。本橋は「ははっ」と下手くそな笑い方をし、「本当に章くんはおばさんをからかうのが好きですねぇ。やだやだ、口が上手いったらまったく」と章の肩を叩く。


「じゃあ、私は部屋に戻るので夕飯の時にまた」

 そう言って立ち去ろうとするも、章に腕を掴まれて動きを止める羽目になった。振りほどくには、決定打に欠ける。拒絶するには何より自分の態度がどっちつかずすぎる、と本橋は後悔した。


「本橋さん、僕は」と章が言う。真剣な声色だった。

「子供の時から欲しいものは全て与えられてきました。今更になって、我慢などできない」

 すっと息を吸い、章は顔をしかめる。

「そうですね、僕が一人前の男になったらと考えたこともありました。だけれど、どうにも……あなたに“いい人”ができたらと考えるだけで気が狂いそうになります。今すぐにでもあなたが欲しいな。いえ、必ず手に入れます。必ずです。僕の本気がわかっていただけていないならそれでも結構です。むしろその方が、やりやすいですから」

 本橋は目を丸くし、「いや! いやいやいやいや!」と手を横に振った。

「わ、わたし……本官? も、本橋は! もうアラサーですよ!? 三十路なんですもうすぐ! 章くんとは十も離れてて、そんなこと言われても! ゼッタイゼッタイ、本橋よりいいコがいますって!」

「では年齢を理由に、僕にこの恋を諦めろと仰るのですね? 酷いひとだ」

「そういうことじゃな……そういうことです!!」

 腕を組んで本橋はそっぽを向く。「つまり間違いなくそういうことで私と君の間には何も起こりようがありませんので」と言って歩き出そうとすれば、思いのほか強い力で引っ張られた。


「欲しいものなんて何もなかったんですよ、本橋さん」


 ダメだ、と思った。その目を見たら金輪際冗談で済ますことはできない、と。しかしその声を茶化すことなど、今更無理と言うものだった。

「与えられるものばかり愛でてきて、僕はそれで十分だったんです。十分すぎると思っていました。だけど、」

 奇妙な沈黙。章は息を吸い、「あなたが僕に与えてくれたものに僕は何と名付ければいいんです? こんなに形容しがたいものがこの世にあるとは思いませんでした」と囁いた。


「死んでもいいと思ったときあなたの顔が浮かんだ。何がどうというわけではないけれど、“勿体ない”と思ったんです」

「わ、私は君に何か特別にしてあげた覚えもありませんし。勘違いじゃないですか?」

「僕にもわからないんです。わからないけれどあなたじゃないとダメなんです。どんなに論理的に考えたって無性にあなたが欲しくなる。僕に諦めろと言うのなら、どうすればいいかあなたが教えてください。僕の想いを否定したんです。代案がなければ建設的な意見と言えませんよ」


 蛇に睨まれた蛙よろしく縮こまった本橋は、「そんなこと言われたってぇ」と両手で自分の頬を覆う。「僕のことがお嫌いですか」と章は首をかしげた。

「別に嫌いじゃないですよ。でも、君の言っているのはつまり色恋の話なわけでしょう? 情欲の絡む類の愛について話しているんでしょう? なら、その……本橋は突っぱねざるを得ません。犯罪ですので!」

「なるほど。では行為を抜きに考えれば僕は“アリ”ですか?」

「本橋はもう大人で薄汚れてしまったので、行為を前提としない好意はすなわち友情と識別しますし、それは問題なく“アリ”ですよ」

「それは僕の尋ね方がよくありませんでしたね」

 頷いて、章は言い直す。


「将来的に、僕が大人になってこの国の情操教育的に何も問題ない年齢になったら、あなたは僕と情を交わせますか? 1ミリも考えられませんか?」


 ぐっ、と押し黙った本橋はため息をついて「そんなのわかりませんよぉ」と呟いた。

「じゃあ君は、それまで本橋に“待っていろ”というわけですか?」

「いいえ。本橋さんに何かを我慢していただくなど、そんなおこがましいことは言いません。ただ、」

 パッと章が本橋の腕を離す。

「僕は今ここで僕の本気を語りました。覚えておいていただければ幸いです。僕は自分で思っていたよりも大変欲張りであるようですので、と」

 それからスタスタと歩いて行ってしまった。ぽつねんと残された本橋は、どっと疲れて近くの椅子に座る。


「な…………な、なん……なんなんです、あの子…………!」


 真っ赤になった自分の顔をペタペタと触って、「ひぇん」と小さく呻いた。

「逃げられる気がしないよぉー! たすけて神様ぁー!」



 歩いてきた章をふと見咎めて、ユウキは「アキラくん」と呼ぶ。「どうしたんですか、顔……赤いですね。のぼせちゃったんですか?」と尋ねれば、章はとっさに手で口元を隠し、「……ええ」と首肯した。

「のぼせていたようです。自分で思っているより、ずっと」

「アイスあげます。すわってください」

 そう言ってユウキは章に団扇を向ける。心地よい風だ。「ありがとう」と言いながら章はしばらく両手で顔を覆っていた。




☮☮☮




 慌てて去って行く都の後ろ姿を見送りながら、「あら」と美雨はわざとらしく瞬きをした。

「お邪魔だったかしら?」

「いや」

 目を細めたタイラがうつむきがちに「渾身のフルスイングが空振りしたところだ。問題ない」と短く答える。「あらあら」と美雨は尚もわざとらしく小首をかしげた。

「ちなみにあなたの基準でホームランはいずこ?」

「……からかってやったんだ。それなりの反応が欲しかっただけだよ」

 ふうん、と言いながら美雨は先程まで都が座っていたタイラの向かいの席に腰かける。


「自販機で飲み物を買うんじゃなかったのか」とタイラがどうでもよさそうに言って、「なら早く小銭をお出しになって」と美雨は手のひらを向けた。

「随分高圧的なおねだりだな。もっと可愛くできねえのか」

「これはおねだりではありません。搾取です」

「カツアゲかよ、返せよちゃんと」

 貧乏くさいこと、と言えばタイラはムッとした表情を見せる。大袈裟に肩をすくめてやれば、タイラも呆れたように真似をした。「やっぱりお前は水道水飲んでろ」「まあ別によろしくてよ、じきにお夕飯ですからね」と言ってお互いに姿勢を崩す。


「都幸枝という女性」と美雨はわざとタイラの顔を見ずに口を開いた。「大変でしょうねえ、女手一つで娘さんを育てるとなったら」と自分の毛先を弄ぶ。

「縁談でも組んで差し上げましょうか? あの容姿です。玉の輿も夢ではなくてよ」

 横目でタイラを見た。男は心底興味のなさそうな熱のない目で「それを俺に言ってどうする」とだけ吐き捨てた。いえ、と美雨は意地悪く笑う。

「もうすでにあなたの息がかかっているのなら、お声がけするのも申し訳ないと思っただけですわよ」

 腕を組んだタイラは緩く頭を振り、「まさか」と眉根を寄せた。「いかんせん彼女は……まあ、一緒にいると調子が狂うからな」と言い放つ。あらそう、と美雨は頬杖をついた。


 不意に辺りが静まり返る。恐らくただの偶然で、あちらでもこちらでも会話が途切れたというだけだろう。ぽつりと、タイラが言った。

「いい男が、いるのか」

 美雨は髪をかき上げながら「いい男、というと?」と聞き返す。タイラが少したじろいだ様子で、「だから」と空咳をした。

「お前はさっき、“玉の輿”つったろ。金を持ってて、娘ともども彼女のことを面倒見る性格破綻者じゃない男がお前の知り合いにいるのかと聞いたんだ」

「大変難しいオーダーをありがとう。理想が高くいらっしゃるわね。それともあなたが嫁入りするつもりですの?」

 舌打ちをしたタイラが「いないんじゃねえか」と顔をしかめる。


「縁談だなんて言ったけれど、女は……貧乏だろうと甲斐性がなかろうと性格破綻者だろうと、結局は愛した男と添い遂げるのが一番でしてよ」

「さすが性格破綻者と結婚した女は言うことが違うな」

「殺しますわよ」


 由良さんもあなたにだけは言われたくないでしょうね、とタイラを白い目で見た。

 それからこほんとわざとらしい咳をして、「彼女……都さんは、どうなのかしら」と目を伏せる。

「今、好意を抱く男性はいらっしゃるのかしら。私、応援して差し上げたいわ。いわゆる“ママ友”というやつのよしみで」

「知らん。ママ友ってお前、年代が違いすぎない?」

「失礼ですわね。そう変わりませんわよ」

 タイラは肩をすくめるだけにとどめた。美雨も「まあ章はもう14ですし、彼女の娘さんはまだ未就学児ですが」と渋々認める。お互いに、こんなところで喧嘩をしたいわけではなかった。

 そうだ、と美雨は思い付きのように呟く。


「そういえばイマダクルヒトが彼女にモーションをかけているらしいじゃありません? なんとかあてがって大人しくさせられないかしら」

「来人にくれてやるぐらいなら、俺が囲うが……」


 思わずという風に言って、タイラはすぐにしまったという顔をした。自分でも失言であるとわかったらしい。すぐに取り返そうとして「来人には勿体ないだろ」と言って更に焦った様子で「だからといって俺がどうこうとかそういうことじゃなくて、彼女の自由だ」と言葉を重ねる。

「あなた、何ひとりですっころんだ末に三段自爆なさってるんです? 見事ですわね、さすがですわ」

「…………だからお前と話すのは嫌なんだよな」

「あらあら。あらあらあらあら」

 嘲るように笑って、美雨はタイラを指さした。何だよ、とタイラは仏頂面だ。美雨はふっと眉をひそめ、「こんなに面白いこと、もっと掘っていきたいところですけど……わたくし、麗美さんのこと応援しているのよねえ」と独り言ちる。


「なんで今、麗美の名前が出るんだ?」

「だれもかれもどうかしているのですわ、こんな男」

 美雨が毒づけば、タイラは顔をしかめて「せめて誰に対する悪態かはっきりしろ」と言った。「主にあなたですわよ、決まってるでしょう」と美雨は吐き捨てる。


「そういえばお前、来人の名前もいきなり出してきたが。どうして今更大人しくさせたいんだ?」

「ああ……。あの人、何とかなりませんの? いや困っているわけではないのですけど」

「また何かやらかしたか」

「やらかしてはいませんよ。ただ……その……」


 何だよ、と言われて美雨は空咳をした。

「私どもと若松裕司が手を組んで以来、目下の課題は何だと思います?」

「お前の自由奔放さだろうな、どう考えても」

「そういうんじゃなくて」

 いやそれしかないだろ、とタイラは頑なに言い切る。美雨は嫌そうな顔をして「あなたは何もわかっていないだけですわ」とタイラを小突いた。


「人材不足なのです、圧倒的に」

「人材不足ってお前……オーナーのグループと元々の荒木派とお前の組織が手を組んで……なんで人材が不足するんだよ」

「まず、荒木派の面子は論外です。老害しかおらず未だに駄々をこねているだけなので。それから私の部下ですが……その、少々場が悪いというか……」

「ただのチンピラの寄せ集めだからな」

「言葉にお気をつけあそばせ。私の愛しいペットたちですわよ」


 ムッとしながらも、美雨は話を戻そうと片目をつむった。

「このままでは、というより順当にいけば、少なくとも荒木グループは若松グループに吸収されるのが一番よいかと思ったのですが」

「が?」

「よりによって若松裕司が反対を示していましてね。『いずれ章くんが継ぐかもしれないんだから、アラキの名前は残そう』とか言い出して」

「あのおっさんのそういうところ、気持ち悪いよな」

「他人事だと思って……。今アラキの代表は私なのですから、アラキの老害と私の可愛い部下たちをよしよししながらまとめなければならないのですわ。本当に腹が立ちましてよ」


 ため息をついて、美雨は自分の爪を見る。「見て。昨日ユメノちゃんが磨いてくれましたの」と言えば、タイラはそれを覗き込んで「へえ、綺麗だな」と呟いた。


「そうは言っても、オーナーだって人を寄越したりしてんだろ?」

「そりゃそうですわよ。それどころか、『逆にウチがアラキグループの傘下に入る形で一つにならないかい?』とか言い出す始末ですわ」

「いいじゃねえか」

「冗談じゃありませんわよ。あれだけ成長した組織を組み敷いて、老害をこれ以上付け上がらせたら大変なことになりますわ。新鮮な木材というのは、焚火にくべたら逆に火が消えるものなのですよ」

「そういうものか?」

「大体、15年前から思っていましたけれど若松裕司という男のアラキに対する執着って度を過ぎていると思いません? 自分で育て上げた組織すら、アラキの名前を守るための糧としか見ていないのですが」

「気持ち悪いよな」


 言いながらもタイラの顔に嫌悪の色は浮かんでいない。そういうところを含めて、タイラは若松裕司という男を評価しているに違いなかった。美雨としては頭の痛い事項ではあったが。

「で?」とタイラは言う。「それがどうして、来人の話になるんだ」と。美雨は腕を組み、「どこで話を嗅ぎつけたかわかりませんが。先日、イマダクルヒトが提案してきたのです」と目を細めた。

「“あんたのとこの部下と俺の手下を一部交換してみないか”と」

「ほう……」


 簡潔にまとめれば、こうだ。

“俺の手下は、言っちゃあ何だが忠誠心が強い”

“まあ俺の躾が行き届いてるからだな”

“だからあんたのとこの部下と俺の手下を一部トレードしよう”

“その間、あんたは俺の手下を部下としてこき使って構わないし”

“俺があんたの部下を躾けてやろう。もちろんタダでとは言えないが”

“俺の手下どもの就職先が確保できるし、何より俺に金が入る”

“あんたは使える部下を持てる。win-winだねえ?”

 と、いうわけである。


話を聞いたタイラは喉を鳴らして笑い、「面白いよなぁ、あいつ」と呟いた。

「悪い提案じゃなさそうだが」

「かといって、この前サークルをクラッシュされたばかりですからね。『じゃあ、ぜひ、よろしくお願いします』とは言えませんでしょう。保留にしているのですわ」

「そりゃあ、そうだろうな。あいつの息がかかったやつを内部に取り込めば取り込むほど転覆させられる危険性が高くなる」


 ほとんどテーブルに突っ伏しながら、「正直に言えば」と美雨は瞬きをする。

「若い衆が組織に馴染むようになれば、老害すべて首切って立て直すという案も視野に入ってそれはそれで魅力的なのですよねえ」

「お前、本当にアラキ派のジジイどもが嫌いだな。私怨もあるだろ」

「当たり前ですわよ。10年前も随分いびってくださいましたからね」

 タイラは笑いながらビールを煽った。パッと顔を上げた美雨が、「ちょっと」と抗議する。


「ただの世間話でこんなことをあなたにお話したとお思い? ちゃんと意見を言ってくださらないと」

「んー?」


 目を伏せたタイラが「俺に意見など求めても仕方あるまい。『ぜひ俺を火にくべろ、炎上させてやる』と言ったらその通りにするのか?」と言うので、美雨は呆れ顔でしかし頷き「そうさせていただきますわ」と答える。タイラは可笑しくてたまらない様子で笑った。


「真面目な話……若松裕司が協力関係にあるいま、お前を転覆させたところでイマダクルヒトに旨みはほとんどないだろう。あいつは昔からオーナーを立てていたからな」

「その節は見られますわね」

「であれば今の時点ではただの保険……あるいは、案外本当にwin-winの関係を築きたいだけかもしれないぞ」

「win-win、ねえ……」

「あいつもただのチンピラにしては手下を増やしすぎるきらいがある。そうなってくると全員に飯を食わせていくのは至難の業だ。猿山の大将にだってそれぐらいの義務はあるからな」

「つまり、本気で私たちと提携を結びたいと?」

「まあそれはそれとして、お前が何か余計なことをすれば見限る時は一瞬だろうな。来人はそういうやつだ」


 冗談じゃありませんわよ、と美雨は言ってからタイラをちらりと見る。「あなた、意外にイマダクルヒトを買っているのね」と言えば「まあな」と肩をすくめられた。

「あいつには環境に適応する能力とブリーダーとしての才能がある。なかなか馬鹿にできたものじゃない。時々、本気で殺しておこうか悩むよ」

「民意はあなたの一番の敵ですものねえ」

 うーん、と唸った美雨が顔を上げて人差し指を自分の頬にあてる。「まあ、仲良くしておこうかしら。今のところは」と言ったのを、タイラが穏やかに「俺もそう思うよ」と肯定した。




☮☮☮




 美雨が部屋に戻ると、実結を抱いた都が困り顔をしていた。「もうお夕飯なのに、この子ぐっすり寝てしまって。雪遊びではしゃいだから疲れたのね」と言っている。さもありなん。美雨は章の幼い頃を思い出して目を細めた。


「先ほどは、お邪魔してしまったかしら。ごめんなさいね」

 一応そう謝っておく。都は『何のことか』という風にこてんと首をかしげ、やがて『ああ、あれか』と思い当たった様子で頷いた。

「こちらこそ。気を配っていただいて。結局アイスはノンちゃんに買ってもらったみたい」

「あら、そう」

 他人の悪意や言葉の裏を探る機能が壊れているのだろうか。都は素直に感謝しているようだった。


 それから、都はふっと笑って言う。

「仲がいいのね、タイラと」


 美雨は思わず二度見して、「はい?」と言ってしまった。都はそんな美雨を気にせず、「安心したわ」と呟く。

「あなたとタイラの間に何があったか、聞いていたから。今回もこんな風に私たちを誘って、どうしてなのかと思ってた。でも、そう……タイラと、仲がいいのね、本当は」

「ちょっと勘弁してくださらない?」

 慌てて話を止めると、都はきょとんとして「どうして。あなたとタイラ、お似合いだと思うのに」などと言ってのけた。


 冗談じゃない。

 冗談じゃなくってよ。


「あ、あなた……言うに事欠いてあの終身名誉ガキ大将と私が……」

「終身名誉ガキ大将」


 よろしくて? と美雨は人差し指を立てて都に向ける。

「私はあれを情欲の対象にしたことはないし、そもそも私には生涯心に誓った相手がおります。ありえませんわ、あんな男」

「でも、タイラはあなたといる時楽しそうだから」

「あの男は大抵、人と話せば楽しそうにするでしょう。寂しい男ですからね」

「そうじゃないと思うけど……」

 むうっと不満そうな顔をする都に、美雨は「ははーん」としたり顔で腕を組んだ。


「それとも、本当は私とあの男が仲を深めることを危惧しているのではなくて? “素敵なひと”だものねえ」

「……いいえ」


 あっさりと都は首を横に振る。「確かに私はあなたを……恐れていたけれど。今回こういう場を設けてもらって、今は」と真っ直ぐ美雨を見た。


「好きよ、あなたも。高潔で美しい人ね」


 押し黙った美雨に「どうかした?」と都は首をかしげる。美雨は深く息を吐き、小さな声で「いっそ私が囲ってしまいましょう、そうしましょう」と呟いた。

「え?」

「いえ、何でもございません。そろそろ夕飯ですわ。その子を抱きながらでも、顔を出した方がよろしいのでは? 何だったら、私が抱いていきますし」

「ありがとう。大丈夫よ」

 言いながら都は、実結を抱いたまま立ち上がる。それから隣の美雨をちらりと見て空咳をした。


「今更なのだけど、あなたのことを何とお呼びすればいいのかしら。やっぱり美雨様、と?」

「そんなことですか。美雨と呼び捨てにしていただいて結構ですわよ。私もあなたをユキエとお呼びしますわ」

「ええ、ありがとう。美雨」





☮☮☮





 一夜明け、都たちは美雨がチェックアウトの手続きを終えるのをロビーで待っていた。外は、朝日が雪に反射しておそろしく眩しい。

「汽車、動くのかな」とユメノが呟く。

「動いてくれなきゃさすがに困りますねえ」と本橋は伸びをしながら言った。

 確かに、もう1泊とはさすがに考えられない。汽車が動かなくてもタクシーか何か捕まえて帰らなければならないだろう。


 ぼんやりと外を見ていたノゾムが、「そういえば」と口を開く。

「『雪が溶けたら何になる?』って知ってますか」

「何それ」

「昔どっかの小学校で『雪が溶けたら何になりますか』っていう問題に、『春になる』と答えた子がいたんですって」

「可愛いじゃん」

「確かにこの雪が全部綺麗に溶けるころ、オレたちのとこには春が来ますね」

 春かぁ、とユメノは言う。「遠いような近いような」と目をつむった。


「あたし、学校受かったら寮に入るんだぁ」

「オレも大学行くことになったら、向こうで一人暮らしかな」


 春かぁとまたユメノが言い、「うわ泣いてる」とノゾムはたじろぐ。「うるせー」と殴られた。




☮☮☮




「この雪が溶けるまで一緒にいましょう」


 唐突にそんなことを言い出した本橋に、都や章がきょとんとする。ちなみに章は行きと同じような女装をしていた。

 そんな2人の反応はお構いなしに、本橋は「ロマンチックですよねえ」とうっとりする。

「『あなたと次の季節を迎えたい』という意味です。ほとんどアイラブユーでは??」

 そうね、と都は頷く。つまりは『月が綺麗ですね』みたいなことだろうか、と思ってひとりで赤面した。

「というわけで、冬以外でも使える『あなたと次の季節を迎えたい』の言い回しを募集します。ハイ、都さん早かった!」

「えっ」

 そんな風に話を振られて、都は思わず身を竦ませる。あたふたと視線を泳がせて、観念したように口を開いた。

「花が散るまで……一緒にいましょう……?」

「いいですねえ! 春っぽい!」

 さあさあどんと来い、と本橋は嬉しそうにする。「本橋さんが嬉しそうで、僕も嬉しいです」と章は笑った。

「そうですね。“この雨が上がるまで、一緒にいましょう”で」

「梅雨ですねぇ? なかなかいいじゃないですかぁ」

 手続きが終わったのか、美雨が歩いてきて章の隣に座る。話が聞こえていたようだ。目を細めて口をはさむ。

「では、“蝉の声が止むまで一緒にいましょう”はどうかしら。夏ですわね」

「おお……美雨様もやってくださるんですね……」

「美雨様、なんて呼ばなくていいのよ。美雨と呼び捨てに。それかお義母さまでも可」

「あ、はい。美雨さんと呼ばせていただきます」

 そんな調子ではしゃいでいると、いつの間にか都と本橋の間に座っていたタイラが「じゃあ秋だな」と言い出した。

「“木の葉が落ちきるまで、一緒にいましょう”といったところか?」

 気づいていなかったのか、タイラの存在ごと驚いて本橋は飛び上がる。「どうしたんだ」と言われて、「別に……乗ってくると思っていなかった人が乗ってきてびっくりしただけですよ」と弁解した。


 楽しそうなことしてるわね、とカツトシが近づいてくる。「それで、また“雪が溶けるまで”につながるわけ? この国のそういうとこ、嫌いじゃないわよ」と微笑んだ。それに気づいたユメノとノゾムも近づいてきて、ユウキや実結のことも連れてきた。

「なになに? 面白そうなことしてる?」

「改めて見るとすげえメンツだな、これ。このメンバーで泊まったのかよ、オレたち……」


 ふっふっふ、と妙な笑い方をした本橋が両隣のタイラと美雨の腕をつかむ。それからうつむきがちに、口を開いた。


「また、一緒に同じ季節を巡りましょう。次も、その次も。みんなでね」


 全員で顔を見合わせる。「なんだそれ」と笑い出す空気の中で、ユメノだけがこらえきれなくなったようにわんわん泣いた。

「またみんなで来ようねえ」とユメノが言って、そんなユメノの頭をタイラが撫でる。「大丈夫だよ」と、何が大丈夫なのか全くわからないが不思議と安心感のある声で言った。

「大丈夫だよ。金が尽きない限り、宿は取ってやるから」

 そういうことじゃないでしょうに、と美雨は呆れ顔をする。「あーあ、あなたと喧嘩できない理由ができてしまいましたわ。未来の嫁の言うことじゃ仕方ありませんわね」と大袈裟に嘆いた。

「あのぅ、外堀を埋めるのはやめてください。本橋はまだ……仕事が恋人なのでぇ……」

「章はどうだかわかりませんが、私は一夫多妻だろうが一妻多夫だろうが構いませんわよ」

「ひょえ……」

 ちょっとそれはいかがなものかと思いますよ、と章が主張する。少しムッとしている様子だ。


 仲間たちがユメノを慰めているのを尻目に、タイラが「行くぞ。汽車が来る」と言い出す。ブーイングを受けながらも、タイラは主に美雨を引きずって歩いた。

 帰りも宿の送迎バスが駅まで送ってくれた。山道は深い白で染まっていたが、ある程度除雪をしたのかコンクリートの道が見えていた。


 汽車に揺られながら、本橋が撮った写真を見せびらかしている。

「本橋ちゃん、写真の才能あるんじゃない?」

「まあ写真に意味深なポエム添えて、SNSで流してた若い頃に培った技術ですね……」

「それでかなり痛い目見たもんな」

「うるさいですよ、タイラ。その話はもうやめてください。というか痛い目にあったのってタイラの方じゃないですか? その節は本当にすみませんでしたね!」

 妙なキレ方をして、本橋は顔をそむけた。タイラは頭をかいて、「運が悪かったんだよ、お互いな」と言う。


 興味をひかれた都が、「何の話?」と尋ねた。顔をしかめたタイラが「昔の話だよ」と答える。タイラが教えてくれないなら、と都は本橋にまた尋ねた。

「えーっとですね……」と本橋も言いづらそうにする。そこに章が、「僕も聞きたいなぁ」とニコニコして現れた。

「本橋さんが、僕の祖父の帽子を撃ち抜いたときの話」

「ひょえ……弁償します……」

 冷や汗をかいた本橋が、ぺこぺこと頭を下げる。美雨まで近づいてきて、「何です、その話」と言いながら都の腕に自分の腕を回した。


「幸枝、ずっと立ちっぱなしではなくて? 一緒に座って楽しいお話を聞きましょう」

「ありがとう。私は大丈夫よ」


 その様子を真顔で見ていたタイラが、「お前……」と美雨を指さす。

「どうしてお前ごときが先生の名前を呼び捨てている……?」

「あらぁ、本人から了承は得ていますし。ねえ、幸枝」

「ええ。美雨は母親として先輩だし、お友達になったの」

 嬉しそうな都に、タイラはぐっと言葉を詰まらせた。「どうしたの?」と言われ、「……何でもないよ」と答える。美雨が勝ち誇ったように笑っていた。


 座席に膝立ちで窓の外を眺めている実結が、「おやま、きれいねえ」と呟く。右足の靴が脱げて転がった。それを拾ってやって、ユウキは「ミユちゃん、くつ」と差し出す。ありがとう、と言って実結は座り直し、靴を履いた。

 ユウキはハッとして、眉をひそめる。昨日ノゾムが実結に靴を履かせてやっていたのを思い出したからだ。

「……ミユちゃんは、くつをはかせてくれるような王子さまがすきですか?」

「うーん……」

 靴を履き終えた実結が、顔を上げて笑った。

「でもユウキくんは、ミユがちゃんとおくつはけることしってるでしょ? ずっといっしょにいるもんね!」

 虚を突かれたユウキはしばらく実結の顔を見て、それから「そうですね」と肩をすくめる。

「ぼくは、ミユちゃんのお兄ちゃんですからね!」

「うん!」



 横並びに座ったユメノとカツトシが、少しうつらうつらとしながら「楽しかったねえ」「そうねえ」と言い合う。

「アイちゃん、温泉って入ったことあったんだっけ?」

「この前のホテルで入ったでしょ? でも今回は、なんだか本物の温泉って感じ。気持ちよかったわねえ」

「あたしも、久しぶりだった。料理もおいしかったし」

「和食もいいわよね。お店の和食メニュー、もっと増やそうかしら」

 ユメノは緩く髪をまとめてゴムで結んだ。「あのね、アイちゃん」と口を開く。


「なぁに?」

「あたし、学校受かったらさ……」

「ユメノちゃんならきっと合格するわよ」

「…………」

「どうしたの?」

「……ううん、何でもない」

 何よぉ、とカツトシは目を丸くする。ユメノは笑って首を横に振った。


 カツトシはまだ何か聞きたそうにしたが、そこにノゾムが割って入る。

「てか、めっちゃ温泉饅頭買っちゃいましたけど、これって誰に渡すお土産なんですかね。百瀬さんちとかに渡します?」

 関心がそちらに移ったようで、カツトシは「いいわね」と言った。そこからは、お土産を誰に渡すかの話になる。ユメノは小さな声でノゾムに『ありがと』と囁いた。

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