☆大学編 春
「坊主の女っていいよね」と。
「じゃあ、私が坊主にしたらどうする? あんたら、話しかけてこなくなるでしょ絶対」と
『何でもいいから俺の部屋でやらないでくんねえかな』と、
四人とも、大学4年の春だった。なぜか由良や伊達、麗美の三人はタイラの部屋にちょくちょく訪れている。家主を無視して、今日もだべっていた。
「瀬戸ちゃんが坊主にしたら、俺ちゃんショックだなー」
「え、坊主にするのかよ麗美。お前はそっちの方向性じゃないと思うなぁ。な、タイラ」
心底どうでもいい。
そもそもどうしてこうなったかというと、発端はちょうど4年前に遡る。タイラが大学に入学した年の春のことだ。
春はサークルの勧誘が激しかった。タイラも社会性を諦めたわけではなかったので、まあ適当なサークルに入ろうとうろついていたのである。
簡単に言えば、荒木由良は自サークルの呼び込みを行っていた。
「そこの、全身ジャ○ココーディネート男!」
激しく腹の立つ呼び止められ方をした。その時タイラが着ていた服は古着屋で買ったものであるからして、それはもしかしたら持ち主が百貨店で買ったものだったかもしれないが、タイラ自身は別にジ〇スコでコーディネートしたわけではなかった。
「うちのサークルに入れよ!」
「何のサークルですか」
「まだ何やるか決まってないんだけど。これから作るから」
「あんたは何を言っているんだ」
「個人的には、トーストに何を載せたら美味いか各人の意見を出し合うなどするサークルを作りたい」
くそ面白そうなので入ってしまった。トーストに何を載せたら美味いかも気になった。タイラはマーガリン一択だったのである。
「お前、新入生だよな。名前は?」
「平和一ですが。先輩は」
「あ、おれ先輩じゃないよ」
「新入生でもないっすよね」
「2年に上がれなかったので、お前たちと同じ1年です! よろしく!」
しょうもない男だと思ったので、以降敬語は使っていない。
瀬戸麗美のことはタイラが誘った。麗美とは高校の頃からの付き合いだ。「まだ入るサークルを決めてないなら、一緒に馬鹿とつるもうぜ」と声をかければ、麗美は二つ返事で了承した。
そして、伊達高歩である。伊達は当初、麗美のことをしつこく追い回していた。麗美にまったくその気はなかったが、伊達という男はその異常なポテンシャルで麗美を口説き続けた。その延長でサークルに加入した。ちなみにその後、3つ上の彼女と付き合うことになり麗美への熱はすっかり冷めたらしかった。
と、まあ始まってみれば全員1年生の大して志もない奴らが集まったわけである。ここまでくれば誰もがお察しの通り、これはサークルなどではない。
余談だが、この4人の中で一人暮らしなのはタイラだけである。それがどのような意味を持つのか知らなかったタイラは、簡単に3人を自宅に入れた。『とりあえず各々の食い方でトースト食ってみよう』と由良が言い出したからである。そしてその日から、タイラの部屋は(主に由良と伊達の)遊び場となったのだった。
最初のうちは、夜な夜な麻雀卓を囲み酒を飲んだ。そのうちただ何となくそこにいてだべるだけになったりした。正直、迷惑以外の何物でもない。
そんな日々が四年。四年も続いたのである。
「おい、聞いてんのか」
そう声をかけられ、タイラは面倒そうに顔を上げた。「何だっけ」と口を開けば、ブーイングが起こる。
「麗美の髪型、いっそツインテールがよくない? って話をしてたんだろ」
「そんな話してないから」
どうでもいいが、『どうでもいい』と言えば麗美が不機嫌になる。タイラは少し考えて、「今のままでいいだろ」と呟いた。
「『今のままの君が好きだよ』?????」
「随分お熱いですね?????」
麗美が真っ赤になって否定する。それを眺めながら、タイラは煙草をくわえた。今日の夕飯はどうしようかと考える。
確か、干からびたようなもやししか冷蔵庫には入っていない。一人暮らしを始めてから、米が高級品であることを知った。
喧騒は増している。『もうお前ら帰れよ』と思いながらタイラは眉根を寄せた。
☮☮☮
「別にあいつに誘われたから入ったわけじゃないし。私もトーストに何載せて食べたら美味しいか知りたかっただけだし。は? 馬鹿言わないでくれる?」
そう早口で、麗美は言った。
あれは大学1年の夏のことである。それまで押せ押せでアピールをしてきた伊達が、唐突に態度を変えた。ついに他に女を見つけたのかと胸をなでおろしたのだが。
伊達は麗美を呼び出して、こう言った。
「麗美ちゃんってさ、タイラのこと好きだろ。タイラに誘われて、俺らとつるんでるんだよね?」
そして麗美は、ひどく動揺して冒頭の台詞を吐いたわけである。
「いや、いいよ強がんなくて。俺、そういうのわかるから。大丈夫大丈夫、俺は負け戦はしないタイプなの。麗美ちゃんのことはキッパリ諦めるって」
「はぁ!? なに誤解してくれてんの? 私は! あんなやつ! 好きじゃないっつうの!」
「じゃあ俺と付き合う?」
「付き合わない!!!」
けらけら笑って、伊達は去っていった。
翌日には由良もそれを知っていた。伊達のことは3度殺すと決意した。
「タイラに告ってみろよ」と由良は言う。余計なお世話すぎて何か言う気にもならない。
「あいつ、たぶんOK出すぜ。誰に告られても二つ返事だからな」
ため息をついて、「だから嫌なのよ」と麗美は呟く。
「『誰でもいい』の中の一人にはなりたくない。あっちは誰でもよくて付き合うのに、こっちはあいつの特別になったような勘違いをしてしまう」
「付き合ってくうちに特別になればいいんだろ」
「それは絶対にない。あいつは、私じゃ手に負えないの」
難しいんだな、と由良は頭をかいた。「そうよ、難しいのよ。ほっといて」と言って麗美は踵を返した。その足で伊達のことはシメた。
それからというもの伊達も由良も、タイラと麗美の仲を取り持とうとしている。面白がっているだけだろう。麗美としては、本当に勘弁してほしい。
☮☮☮
伊達が麗美のことを諦めたのは、まあ麗美の想いを尊重してとかそういう殊勝な考えからではないことは確かだった。麗美は可愛かったが性格の可愛くないところがあったし、すでにほかの男に惚れている女にはそそられない。
何より、麗美を目当てとしなくても由良たちとつるんでいるのは楽しかった。自分が麗美に手を出すことで、この心地よい関係が終わるのも勿体ない。なので伊達は、麗美のことをきっぱり諦めることにした。その代わり、麗美とタイラの関係を応援することに楽しみを見出すようになった。
平和一という男はなぜか不思議と女にモテたし、タイラの方もそれなりに相手をしていた。だがどんな女も長くは続かず、大抵はタイラに腹を立てて去っていく。その理由を、タイラ自身はまったくわからないらしい。傍から見れば明白だ。あの男は釣った魚に一切餌をやらない。否、自分が釣り上げたという実感がないのだろう。勝手に海から上がってきた魚を、気まぐれに食べたりするだけだ。
そういう態度の男が、絆されるところを見てみたかった。それだけの理由で、伊達は麗美を応援している。まあ、端的に言えばそうだ。面白がっている。
荒木由良のことは最初、ただの馬鹿だと思っていた。『どこぞの御曹司らしい』と聞いてからは“ただの馬鹿”から“金だけはある馬鹿”という印象に変わり、今は“何となく頭のいい馬鹿”だとは思っている。
そもそも由良は、伊達たちが大学に入る前からその奇行がキャンパス中に響き渡る変人だったらしい。
嫌な講義には一切出ない、可愛い女の子にマフラーを編んで贈りつける、大学近辺のドラッグストアのコンドームを片っ端から買い占める、講義中に冷やし中華を食う、エロ本を『後世に伝えるべき名作』と言って配り歩くなど、枚挙にいとまがない。
それらの奇行について由良は「嫌なことをしているほど暇じゃない」「マフラーと言えば告白の定番だろうが、何で男がやると気持ち悪い話になるんだよ」「おれは少子化に歯止めをかけるんだ」「冷やし中華食いたいから食ったに決まってんだろ」「エロ本だって芸術なら誰かに勧めたくなる。自然なことだ」と話している。やばいやつだなとは思った。
恐らく荒木由良という男は、思いついたら歯止めがきかないタイプなのだろう。やりたいように生きている、という印象を受けた。そして自分がやりたいことをするための演算を怠らない男でもあった。どこまでが社会に容認され、自分の生きる世界を狭めない範囲なのかをよくわかっていた。だから伊達は、由良のことを一応頭のいい部類なのだと評価していた。馬鹿ではあるが。
そんな由良を筆頭にして、周囲から何となく忌避されながら伊達たちはキャンパスライフを送っていた。まあ特別になったようで悪い気はしていなかった。目立つことが嫌いではなかった伊達だからではあるが。事実、タイラや麗美は迷惑がってもいた。彼らはどうやら彼らなりに、平穏無事の生活を送りたかったようだ。いやそのキャラの濃さで地味に暮らすのは無理でしょ、と伊達は思うのだが。
と、こんな調子で伊達は瀬戸麗美を女として手に入れることは諦めた。代わりに一緒にいて飽きない友人と、心地いい立ち位置を手に入れたのだった。
☮☮☮
荒木由良は最初、平和一という男を本能的に警戒していた。自分から声をかけたという事実を棚に上げて、である。
初めの印象は、そうだ。『なんだこのスカした男は』――――これに尽きる。もちろんサークルに誘ったのは由良の方である。誰でもいいと思って誘った。そうしてタイラが麗美を引っ張り込んだこと、麗美を追いかけて伊達が入ってきたこと。それ自体は喜ばしいことだった。麗美も伊達も由良の基準で“面白いやつ”だったからだ。
しかしタイラという男については、関われば関わるほどに『何だこの男は』と思わざるを得なかった。
まず、感情の移ろいが読めない。
ただ単に表情が変わらないだとか、口数が少ないとかいうだけなら由良にもわかる。だがタイラは、笑いながら顔をしかめながら語気を強めたり軽口を叩きながら、それでも何を考えているかわからないやつだった。
笑っているタイラを目の前にすると途方に暮れる。こいつは本当に笑っているのか、何を理由として笑っているのかわからない。
それを由良は最初、『スカしたやつだな』と思っていた。
しかしタイラと知り合っていくうち、他愛ない話などをしていくうちに、由良は気付いた。気付いてしまった。平和一という男は、基本的に周囲に興味がないのだ。
そう気付いてしまったからには、あまりにも不気味だった。なぜ麗美や伊達、周囲の人間が当たり前のようにこの男の存在を容認しているのか理解できなかった。
だから由良は、タイラのことを邪険にした。だがそれすらもあの男にとっては興味の範疇でなかったようで、タイラの反応は今までと何ら変わりはしなかった。
馬鹿にされているようで腹が立ったのは確かだ。勝手に嫌って勝手に腹を立てている現状がかなり馬鹿馬鹿しいとはわかっていた。わかっていたから尚更ムカついた。
だから、と言うわけではないが。まったくの出来心で由良はタイラの靴に玩具のゴキブリを仕掛けたことがある。
先に言い訳をしておくと、伊達や麗美に対してそのドッキリは飽きるほどやっていた。仲間外れにするのも大人気ないし、まあタイラにもやっておいてやるかぐらいの気持ちで実行したのである。
タイラは靴を履こうとして「何か入ってるな」と言いながら靴を引っくり返した。玩具のゴキブリが出てきて、玄関をバウンドしながら転がっていく。タイラは無言でそれを見て髪をかき上げ、あからさまに嫌そうな顔をした。
その時初めて、由良にはタイラの感情というものが見えた。呆れたことに平和一の、苛立ちだけは本物だったのだ。
一体どうしてそのように出来上がってしまったのか、由良はどうしても平和一という男を人として理解したかった。タイラの反応を見ることに夢中になり、いくつも子供だましのような悪戯をしかけた。
タイラの反応は薄かったが、内心かなり苛立っているようだった。
すっかり味をしめた由良は、ある日4人で食事に行った際タイラが席を外した隙にタイラの頼んだラーメンに酢を大量にかけてやった。麗美と伊達にはやめろと言われたが、タイラのことだから今回も無に近いリアクションだろうと高を括っていた。
結果から言うと、ラーメンを一口食べてむせ返ったタイラは、間髪入れずに由良を殴り飛ばした。
呆然とする周囲をよそに、タイラは「てめえ、次にこんなくだらないことをしやがったら家に火をつけてやるからな」と怒鳴った。
ほとんど腰を抜かせていた由良が弱々しく「放火は罪が重いんだぞ」と抗議したが、タイラは「知ったことか。震えて眠れ」と吐き捨てた。
その後タイラは毒づきながらもラーメンを完食した。食べるしかなかったのだろう、当時の平和一にとってラーメン1杯はそこそこの出費だったのだ。それに気付いた由良は、素直に反省した。
後悔はしないが反省はするということだけが美点だった由良は、次の日恐る恐るタイラに声をかけた。「いい肉食わせてやるから機嫌直せよ……」と精一杯低姿勢で謝罪しようとした。
それに対する、タイラの返答はこうだ。
「金持ちのやることは全部嫌味だな」
いよいよ由良は自己嫌悪に走った。
そんなつもりじゃなかったんだよと訴えれば、麗美は呆れた顔をして「私らに言われても困るんだけど」と肩をすくめる。伊達も笑いながら「なんでその場でタイラに釈明しねーんだよ、馬鹿だな」と言った。全員由良より歳下のはずだが、どうしたことかこの扱いである。
「てか、あんたタイラにちょっかいかけすぎ。あいつは野生動物みたいなもんなんだから構えば構うほど威嚇してくるわよ」
「それが見たくて……」
「趣味わる」
そんなことはわかっているのだ。由良は「伊達ちゃん何とかしろよ」と縋る。それを振りほどきながら、「世界一巻き込まれたくねえ」と伊達が笑った。
「いいから謝っとけって」
「ここで謝ったら『おれは20歳にもなってくだらない悪戯をして歳下の同期生を怒らせた馬鹿です』と言っているようなもんだろうが」
「自己分析は完璧なのにね」
呆れた様子の麗美が、「何でもいいけどあいつは、やると言ったらやるからね。次はほんとに家ごと燃やされるわよ」と言ってきた。「謝るだけタダなんだから謝っとけよ」と伊達は簡単に言う。「タダより高いものはないんだよ」と、由良はムッとした。
このような経緯で由良とタイラの関係は最早修復不可能と思われた----が、事態は思わぬ方向へ転がり始める。
唐突に、何の前触れもなく、タイラが由良にちょっかいをかけるようになったのだ。今まで由良が行ってきた悪戯を、愚直なまでに丁寧にやり返してきた。
最初のうち由良は虚を突かれたが、そのうち負けん気が出てきて張り合うようになった。それは周囲から(主に麗美と伊達から)ガキ大将とガキ大将の覇権争いと呼ばれた。
ある時由良は、タイラの作った落とし穴に落ちた。あの男は加減を知らない。ちょっと足を取られるぐらいの穴ならいいが、人ひとりがすっぽり入るような穴を作って待ち構えている。
なんとか穴から這い出してきた由良が見たのは、腹を抱えて笑っているタイラの姿だった。くうくう喉をならして、「本当に落ちるとは」と言って由良を指さしている。
由良は全身の力が抜けて、「楽しかったかよ」と聞いた。タイラが目を細めて「まあな」と答える。
どうやら由良は、敗北を喫したようだった。
その日の夜、由良はタイラと公園で酒を飲んだ。軋むブランコに腰をかけて、コンビニで買ったビールを片手に話などをした。
「悪かったな、色々」と由良が殊勝な顔で言えば、タイラは「まったくだ。食いもんを粗末にするな」と顔をしかめる。そういう怒りだったのかと由良は苦笑した。
荒木由良、とタイラが確かめるように口にする。今更なんだと思いながら見ていると、「お前アラキグループの一人息子だろう」とタイラは言う。由良はビールを吹き出して「なんで」と叫んだ。
「なんで、って何だよ」
「なんで知ってんだよ」
「隠していたのか? それにしては目立ちすぎだぞ、お前」
「いやいやいや! おれは親父と無関係でいたかったからわざわざこんな離れた大学に」
「そうか? まあ俺と麗美はお前と同郷だからな」
「は、初耳だぞコラ」
「言ってなかったか。まあ俺も麗美に言われるまでは知らなかったけど」
麗美も知ってんのかよ、と語気を強めれば「麗美が知ってたんだよ」と返される。「あいつは情報収集癖があるからな」とタイラが肩をすくめた。
「マジかよ……言えよ早く……」
「それを前提にあんな傍若無人なんだとばかり思っていた」
「そんな風に思われてたのか……おれ、かなり嫌なやつだな……」
「ああ、嫌なやつだと思っていたが」
が? と聞き返す。タイラはそれについて何も答えずに酒を煽った。
「お前、父親のことが嫌いなの?」とタイラに聞かれて「嫌いだ」と由良はあっさり認める。
「クソ親父だからな」
「アラキ会長といえば人格者と名高いが」
「人を人とも思わないクソ」
「まあ息子がそう言うんならそうなんだろうな」
ビールを口に含んで、ゆっくりと飲み下す。もう何本目だか忘れた。ぬるい缶を握りしめる。「殺してやりてえぐらいだよ」と呟いた。飲みすぎた時特有の、指先の痺れを感じた。
不意にタイラが缶を1本差し出してくる。由良はそれを受け取ろうかどうかと迷った。すでに自分が酔っていることには気付いていた。
癖のある黒髪の隙間から、タイラの目が見える。
「どうして殺してしまわないんだ?」
そう、タイラは言った。当たり前のようにさりげなく。あたかもそこに風が吹いただけのように。
ああ本当に酔いすぎたみたいだ。こんな男を綺麗と思うとは。
「俺が殺してやろうか」
何のために。殺してどうする。本当にそんなことが出来ると思っているのか。
言いたいことは色々あったが、由良はそれら全てを飲み込んだ。
「殺してやりたいと言ったのは…………軽率だった」と、由良は正直に言う。「あんなんでも親父だ。死ねばおれなりに思うところがある。家族なんて、そんなもんだ」と。
差し出された缶ビールも押し返した。酔ってこれ以上何か口走りたくなかった。
タイラは何とも言えない微笑で、その缶ビールを自分で開ける。
「それに……な、タイラ。人がひとり死んだぐらいで解決する話なんてねえんだよ。おれはさ、親父が死んだらどうなるか考えるのも割と憂鬱なんだ」
タイラはビールを一気に飲み干して、「そうか」とだけ言った。
平和一の母親が夫を殺して服役中だと知ったのはその後のことだった。何も知らなかったのだ、由良は何も。
「つうか、お前何本飲んでんだよ」と由良が眉を顰めると、「あるだけ」とタイラは端的に答えた。
「……お前さぁ、なんでいきなりおれに悪戯しかけてきたんだ? おれ的にはめちゃくちゃびっくり案件だったんだけど」
「麗美がな、『由良の馬鹿のことをフォローするのは癪だけど、悪いやつじゃないのよアイツ。ただの馬鹿だから』とか言ってきたんだよ。あいつそんなに人のこと褒めないからさ、麗美が言うならと思ってはいたんだ。そうしたら伊達が……『目には目を、じゃね? やり返してみたら案外スッキリするかもよ』とかな、言うわけだ。じゃあ、まあ、そういうこともあるかと」
「あいつらって…………」
酒が回って涙腺が緩んでいる。由良は涙ぐんで「あいつらってほんと、いいやつらだよな……!」と拳を握りしめた。
空き缶を灰皿にしながらタイラは煙草を吸っている。なぜか泣いている由良を見て、「お前、面白いよな」とせせら笑った。
それが大学1年の(由良にとっては2度目の1学年ではあるが)、夏の夜のことだった。
それから3年。つまり大学4年の春、嫌でも『卒業』の2文字が目に入るラスト1年。それでも由良たちは飽きもせずくだらない話をして、未来が見えないまま生きていた。
そんな折り、由良たちは何をしていたかといえば連日のように雀卓を囲んでいた。
☮☮☮
「皆さんお待ちかね! 今日も楽しい賭けジャンの時間です!」と伊達が高らかに宣言する。
「どうせ俺にカモにされるだけなのによくやるよな」とタイラは呆れ顔だ。
なんだかんだ皆勤賞の麗美が、「てかあんた、賭ける金あんの?」とタイラに尋ねる。タイラは肩をすくめて、「必要ないね。負けねえから」と返した。「今日こそけちょんけちょんにしてやるよ」と由良は不敵に笑う。
自分の牌を見ながら、伊達が「そういやタイラは実習行ったん?」と口を開いた。それに対してタイラも少し眉を上げる。
「まだ。アレ絶対に行かないといけないもんなのか」
「知らんよ、学部違うだろ」
「オイお前ら、軽率にそういう話をするな。おれは卒業後に繋がるような話は絶対しねえからな」
「あんたはいいじゃないの、お父さんが面倒見てくれるんでしょ」
「麗美……なんでそんなこと言うんだよ……だから考えたくねえんだよ……」
腹減ったな、と言いながらタイラが席を立つ。
顔を見合わせた由良と伊達で、タイラの手牌を覗き込んだ。それから雀卓をめちゃくちゃにして「うわー伊達お前何コケてんだよー」「ごめん、最近足腰が」などと白々しく言ってみせた。あまり良くない流れだったので、ここで1回無に帰そうと思ったのだ。麗美はそれを、呆れた顔で見ていた。
大皿を持って現れたタイラが、卓を見て『まあそんなことだろうと思いました』というような顔でその上にドンと皿を置いた。山盛りの炒飯だ。食いたければ勝手に食え、という顔で食べ始める。
「おおー! ビールは?」
「買ってこい」
「取り分ける皿は?」
「持ってこい。紙皿ならある」
なんだよ、と由良は顔をしかめた。「客に皿持ってこさせる店があるか。お前にはプロ意識が足りねえ」と軽口を叩けば、「それは申し訳ございませんねぇ、坊ちゃん」とタイラは笑う。
「坊ちゃあん、オレがお持ちしましたよお」と伊達が雑に紙皿を投げてきた。「まったく世話が焼けますね、坊っちゃまは」と麗美まで悪ノリしてスプーンを持たせる。さすがにムッとした由良は、「ええい、頭が高いわ」と言って立ち上がった。キッチンのテーブルまで歩いて、1人で食べ始める。
「あれぇ、坊ちゃん反抗期ですかぁ?」
「大きな子どもね。食後にケーキがないから機嫌を損ねたんだわ、きっと」
「そこ掃除したばっかりだから絶対に汚すなよ」
好き放題言いやがって、と由良は炒飯をかき込む。腹立つくらい美味かった。
結局その日もタイラの一人勝ちで、全員が1万近く失うこととなった。
「てめえズルしてんだろ! そんなに勝てるわけねえ!」と吠える由良に対し、タイラは涼しい顔で「はいごちそうさまでーす。生活費生活費」と財布に紙幣を入れ込む。
「ねータイラくん、酒飲んじゃったから泊まっていい?」
「……伊達を許すと全員泊まっていくからやだな」
「オイオイオイオイ何でだよ! 何で伊達はよくておれたちはダメなんだ!」
「むしろ伊達と麗美ならいい」
「オイオイオイオイ!」
タイラは苦笑して、部屋のガラス戸を開けながら煙草を1本くわえた。それを合図にしたかのように、由良と麗美も煙草に火をつける。伊達が「あ、瀬戸ちゃん1本ちょうだい」と言えば、麗美は肩をすくめて「坊っちゃまの煙草にしなさいよ、一番上等なんだから」とすげなく断った。
「というわけなんです坊ちゃん」
「何が『というわけなんです』だよ、お前は1回麗美を通さねえと死ぬ病気か」
「ワンチャン、女子の煙草貰えたら嬉しいなぁって」
4人一斉に煙草を吸い出せば、窓を開けていても部屋はうっすら灰色になる。タイラが『外に出て吸え』と言い出さないのは、タイラ自身それが面倒だったからだろう。
「おー満月」と伊達が言い出した。由良も身を乗り出して空を見上げる。なるほど見事な月だった。
振り向けば、すでに麗美は布団を敷いている。タイラもそれについて特にコメントせず、ただ酒を煽っていた。平和一という男は、大抵のことを容認して生きている。
「瀬戸ちゃんグッジョブ! オレ隣でいい?」
「別にいいかなと思ってたけど言葉にされるとすごく嫌」
「ドレミちゃんはさー、こんな男どもと一緒に寝てて不安じゃないのかよ」
「……私あんたたちのこと、信用してるから」
「うわ久しぶりのデレ! たまんねえぜマジで!」
煙草を灰皿にこすりつけて、薄く笑いながらタイラは「勝手にやってろ。だが俺の部屋だということを忘れるなよ」と吐き捨てた。
電気を消された部屋で、月明かりだけが部屋に差し込んでくる。寝転がった伊達が「なー由良。明日さ、中田の講義受ける?」と尋ねてきた。「おれはパスだな」と答えれば、「また留年だ、由良くんは」とくすくす笑われる。
由良と伊達は同じ学部で同じ専攻だった。麗美とタイラが何をしているかはよく知らない。
「どっちにしろ由良は手遅れよ」と麗美がため息混じりに呟いた。「いいから寝ろ」とタイラは言う。
手遅れってどういうことだよ、と聞き返したが答えはなかった。ちょっと時間をおいて、伊達だけが吹き出す。
しばらくすると寝息が聞こえてきた。誰のものだかは定かでない。
寝る前に用を足そうと起き上がった由良は、当然のように起きて本など読んでいるタイラに気付いた。壁にもたれかかって、月明かりだけで文字を読んでいる。目が悪くなるぞ、と言いかけたがなぜか口から出たのは「ちょっと小便」と言い訳のような言葉だった。タイラはこちらに目を移さないままで「一人で行けないのか?」と鼻で笑う。
トイレから戻ってきてもまだタイラは本を読んでいたので、今度こそ「目が悪くなるだろ」と言って寝た。
大学前の桜並木を、のんびりと歩く。入学したての頃はこの道も、ちょっとは感動したものだが。今となっては桜は虫が多いし、殺虫剤をまくから近づくこともためらわれる。結局は花より団子ということである。コンビニで買ったあんまんが美味い。
ふと、前から歩いてくる人影が目に入った。途端に顔がほころんでしまう。「よおタイラ、サボりか?」と声をかけた。タイラもこちらに気付いたようで、「サボりだ」と端的に答えながら近づいてくる。
「珍しいな、お前が講義すっぽかすなんて」
「お前は当たり前のようにほっつき歩いているけどな」
あんまん食うか、と差し出せばタイラは素直に受け取った。「冷めてやがる」と毒づくので思わず笑ってしまう。
何をしていたのかと尋ねようとして、由良は動きを止めた。以前にも、タイラがこのようにサボっているのを見たことがある。慎重に言葉を選ぼうとして、しかしすぐに馬鹿馬鹿しくなった。
「お前、また母親に会いに行ったのか」
「またって言うほど会っていないが」
「学生が半年に1回でも実家に帰ってたらそこそこだぞ」
「俺の実家は刑務所か?」
平和一の母親は収監されている。夫を、つまりタイラの父親を殺したからだ。タイラは案外マメに面会に行っているらしい。『この大学に来たのは、母親がこっちにいるからか』と一度聞いたことがある。タイラは『いや、学費が安かったからだ』と言っていた。それも恐らく事実だろうが、それだけでもないのだろう。
母親に会ってきたタイラは、いつもどこか釈然としない顔をしている。どんなやり取りがあったかは定かでないが、見ているこっちがイラつくというものだ。
「お前さぁ、」
「なんだ」
「母親に会いに行くのやめたら? お前が求めている答えはたぶん持ってねえぞ、お前の母ちゃん」
タイラは無感動に瞬きをして、「そんなことは、生まれた時から知ってるよ」とちょっと笑った。
「ただ、俺を股からひり出した女だ。気になるだろうが」
「そういう観点で母親って存在を捉えたことがねえな」
「母親じゃなくても、放っておけば破滅するだけの女なら視界に入れときたくなるだろ」
「息子にそうまで言われる母ちゃんってどうなの?」
くつくつと喉を鳴らして、タイラはあんまんを頬張る。「なんで冷めてんだよ」とまた不満そうに毒づいた。
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