★本編後日談

 公園のベンチでぼうっと煙草を吸う。タイラは空を見て、ゆっくりと煙を吐き出した。

 隣に、フードを被った女が座る。芋くさいパーカーなど着て、「今日は暑いですわね」と肩をすくめた。煙草を灰皿に押し付け、「美雨メイユイ……お前、オーナーよりは変装が上手いな」とタイラは笑う。

「お前の部下はその後どうした」

リュウのことを仰っているのなら、まあ元気ですわよ。誘拐で捕まりましたが」

「そうか……落としどころとしてはそこになるよなぁ」

 美雨は肩をすくめて、「折を見て出しますわ。そうしたらしばらく国に帰らせるつもりです」と呟いた。「またいつか、共に仕事をしますよ」と。

 悪かったな、とタイラがため息まじりに言う。「結局、撃つことになった」と短く謝罪をした。

「いえ。殺されなかっただけでもありがたいですわ。ありがとう」

「俺だったら殺していたが……狙いを定めたのはユウキだからな」

 感謝しなくてはね、と美雨は短く息を吐く。しばらく沈黙をかみしめた。


「あなたの……打っていた薬、あれはなんです?」

 恐らくそれが本題だったのだろう。美雨が腕を組んでタイラを伺い見た。「言ったろ、頭痛薬だ」とタイラは答える。

「あなたはわたくしの落ち度だと言った。それならせめて詳細を教えていただきたいのですが」

 面倒そうに伸びをして、「お前さぁ、いくつか研究施設持ってたろ」とタイラが眉をひそめた。「まあ、買ったかもしれませんわね」と怪訝そうに言う。

「そこで薬をな、作っていたらしい。それがあの頭痛薬だ。いや用途はそうじゃないらしいが、今の時点で俺の認識としては頭痛薬だ」

「薬を作っていた? つまり、私の部下の中で勝手に新薬開発を行っていた人間がいたと?」

「そこら辺はよくわからんな……。まあ、心配するなよ。俺が潰してやった」

「そんな報告は受けていませんが」

「放任主義が過ぎるんだよ、お前は。親の七光り女め」

「この流れで言われるとさすがにぐうの音も出ませんわ。それで……体への、影響は?」

「眠くなる程度だ、頭痛薬だからな」

 まあ、俺のことはいいんだよとタイラは目を細めた。「俺がこうなったのはほぼほぼ自業自得だし、むしろ望んでいた節すらある。そうじゃなくて、な」と美雨に向き直る。

「言ったろ? 可愛い盛りの娘と別々に監禁されてせっせと薬を作らされていた女がいる」

「それが……あの母娘でして?」

「そうだ、あの母娘だ。だからお前には、あの母娘の行く末を見守る義務がある。ゆめ忘れるなよ」

「……承知しましたとも」


 タイラは煙草をくわえ、火をつけないままで空を見上げた。それを見た美雨が、何も言わずにガムを差し出す。タイラも無言で、それを受け取った。

「お前さぁ、うちに野菜やら肉やら高級食品を送ってくるのはやめろよ。あいつらビビってるから」

「えっ、ビビってらっしゃる?」

「ああ、ビビってる」

 相当ショックだったのか、美雨は慌てて「だってこの国には、何者かわからないものが毎日毎日何かの恩返しで品物を置いて行く的な話がかなりポピュラーにあるじゃありませんの」と訴える。「ああ、昔話のやつらも相当ビビってんだろうが、描写されてないだけだ。間違いない。だからそろそろやめろ」とタイラは冷たく吐き捨てた。

「衝撃ですわ。私は、良かれと思って……」

「だろうな。で、お前の部下が毎日あそこら辺を警備しているのも良かれと思って、か?」

「ええ、まあ……そうですわね……」

 いいのかよ、とタイラは眉を吊り上げる。

「俺とお前は敵対してるんじゃなかったか? 周りから何も言われないの?」

「それは大丈夫ですわ。彼らがあなたに懐いているのはストックホルム症候群のようなもので、本当はあなたの毒牙にかかった被害者なんですもの。可哀想な彼らのために、警備ぐらいしてもおかしくはなくてよ」

「ほう……オーナーが考えたシナリオか?」

「あの人、こういう話を考えるのだけは天才的ね」

「頼れるだろ」

「ええ、まあ。信用できないことだけは確かですけど。いつか背中から刺されそうですわ」

「その勇気だけはないおっさんだから安心しろ」

 どうだか、と美雨は不満そうな顔をした。若松への信頼はゼロのようだ。無理もない。美雨にとって若松は、荒木の忠実な犬というイメージしかないのだから。


「まあ……狡猾な男だが、善か悪かといえばかろうじて善……ん? なんだ、あいつ」


 遠くから、見慣れた金髪が走ってくる。金髪はそのままの勢いで、ほとんどスライディングしながら美雨の前に膝をついた。

「美雨さまぁ!!! 焼きそばパンでっす!!!」

 美雨は冷たい目で、それを見る。

「往来で名を呼ぶなと言ったはず。耳が悪いのか、頭が悪いのか」

「頭っす!」

「自己申告ありがとう」

 にやにや笑いながら、タイラが「よお、東間」と声をかける。「げえっ」と東間は大げさにのけぞった。


「兄貴ぃ! お、お身体はぁ!」

「お前いま『げぇっ』つったな? 言ったよな?」

「滅相もないっす!」


 胡散臭そうに目を細めるタイラに、「ちょっとびっくりしただけですよ、兄貴!」と東間は弁解する。

「本当に心配してたんすよ……兄貴、入院したって聞いた時はオレ……」

「どうだかな。お前、時々俺のこと露骨に避けるだろ」

 んなご無体な、と東間が縋った。『ご無体』の意味を知っているかはわからないが。


「おい美雨、いつからこいつを飼っているんだ」

「あまりにも噛みついてくるので興味が出てしまって。ほんの気まぐれで借金を肩代わりしてあげたのですわ。そうしたらこの通り、懐かれてしまいまして。手のひら返しもここまでくると気持ちがよくてよ」

「素直で正直なだけが取り柄だからな」


 ありがとうございます兄貴! と東間は目を輝かせた。「それは褒めているんですの?」と美雨が尋ねれば、「褒めてるに決まってんだろ」とタイラも何でもないことのように言ってのける。

「時に東間、これは大して意味のある質問じゃないんだが……」

「何ですか兄貴!」

「お前、俺と美雨が本当に対立したらどっちにつくんだ?」

「ひょえ……」

 思考が停止したようで、東間は妙な鳴き声を最後に黙った。タイラは面白そうにそれを見ている。『あら悪趣味』と思いながら、美雨も東間を見た。東間は、静かに汗を流す。


「………………あ、あにきっす」


 挙動不審な様子で、絞り出すようにそう言った。タイラはにやっと笑って、美雨を見た。『どうだ、俺のだぞ』という顔である。美雨はため息をついて、東間の肩を抱き寄せた。「可哀想に、震えていますわ」と言ってやる。

「おい美雨、このままだとまた反乱を起こされるぞ。ちゃんと教育しておけよ」

「あなたが言わせたんでしょうに」

「今後、俺につくなんて間違っても言わせるな」

「嬉しそうな顔をして、本当にあなたって救えませんわね」

 やれやれというように肩をすくめた美雨が、「あっ」といきなり声を上げた。


「トーマ、あなた……明日からこの男の仲間に贈り物を届けに行きなさい。『実家から送られてきた』とか適当なことを言って。見知った顔であれば警戒はされない。そうでしょう、タイラ?」

「こいつにそんな親戚がいたら借金をお前に肩代わりしてもらうようなこともなかったろうがな」


 任せてください! と東間はガッツポーズを見せる。「好きにしろ」とタイラは肩をすくめた。

「では、ごきげんよう」

「兄貴ぃ! お大事にしてくださいね!」

 そう言って、美雨と東間は歩いて行く。タイラはそれを見て、微かに笑った。


 歩きながら、東間は「美雨さま……えっと……あれはですね」と何か言い訳をしようとする。「良くってよ」と美雨は言った。

「あそこでは、ああ答えるのがベストです」

「でも、オレ、本気です。あんたと兄貴が対立したら、オレは兄貴につくと思います」

「わざわざ言わなくてよろしい。だけどそれだけは心変わりをしておきなさい。あなたのためです」

「えっ……」

「何があっても、タイラにはつかないことです。あなたとあの男では、少々相性が悪い」

 ムッとした様子の東間が、「意味わかんないっす」とだけ言って無言になる。美雨も何も言わず、腕を組んで前を見た。




☮☮☮




 酒場のカウンターに座って、タイラは実結の話を聞いている。「それでね、それでね」と話したりない様子だ。途中、「タイラ……きいてる?」と実結が膨れ面をした。「うん?」と言いながらタイラは視線を戻す。

「タイラ、またおねむなの?」

「ちょっと考え事をしていた。もちろん、話は聞いていたとも」

 ほんとう? と、実結が疑いの眼差しを向けた。ははは、とタイラは笑ってごまかす。

「さっきね、さっきね、ミユが『こんどいっしょにゆうえんちいこうね』っていったらね、タイラは『いいよ』っていったのよ」

「そうかあ?」

 こら、と都が口を挟んだ。「そんなこと言ってないでしょう、都合のいいことを言わないの」と実結を叱る。実結は唇を尖らせて、「だってタイラ、ミユのはなしきいてないんだもの」と不満げに言った。


「それはタイラが悪い」と、隣で勉強をしていたユメノが言う。「そうよ、女の子の話を上の空で聞く男が一番悪いに決まってる」とカツトシも援護した。「お前、なに女の子側でモノを言っているんだよ?」とタイラは眉をひそめる。

「あまり実結を甘やかさないで。この子ったら最近、嘘なんて覚えて」

「嘘は女の子の特権だもんねー」

「ねー」

「こら!」

 そんな様子を見て、タイラは目を細めた。カウンターを指で弾きながら、「ユメノ、お前はどうだ。勉強は大丈夫そうか」と尋ねる。

「大丈夫じゃないよー。あっ、ノゾム! 教えてほしいところあるんだけど」

 駆けよって、ユメノはノゾムにノートを見せた。ノゾムは驚いた顔をして、「ここはですね」とペンを片手に説明する。真面目な顔をして、ユメノは説明を聞いた。

「わかった! わかったわかった! 超~わかりすぎた! さんきゅ!」

 言って、ユメノは一人で問題を解き始める。その様子を肩身が狭い思いで見ていたノゾムが、静かにタイラの横に座った。

「ユメノちゃん、もうちょっと自信もっていいと思うんですけどねー」

「そう言えよ。お前から」

「オレからっすか?」

「他に誰から言うんだ。あいつの勉強を見ているのはお前だろうに」

 まあそうなんですけど、とノゾムは煮え切らない反応をする。そんなノゾムを見て、タイラはふと笑った。


「なんだ? 何か問題でもあるのか」

「問題は……ないんですけど」

「けど」

「頑張ってるユメノちゃんを見ると、なんていうかな。羨ましいっていうか、オレこんなんでいいのかなっていうか。思っちゃって、上手く話せないんすよ」


 カウンターに突っ伏して拗ねたような表情をノゾムは浮かべる。いきなり、タイラが腹を抱えて笑いだした。「そりゃ、あんたにはわからないですよ」とノゾムはますますムッとする。

「『羨ましい』と言った時点でお前の負けだな」

「わかってるんすよ、そんなことは」

 長く深いため息をついて、ノゾムはちらりとタイラの顔を見た。

「先輩は、オレに『何にでもなれる』とか無責任なこと言いましたよね」

「言ったなぁ」

「オレは、あんたみたいにもなれますか?」

 瞬きをして、タイラは呆れた表情を作る。「なんで、俺みたいなものになるんだ」と肩を竦めた。あのなぁノゾム、と口を開く。


「俺にできないことは何もないが、俺にしかできないことも何ひとつとしてない。お前はお前のままで、何にでもなれるはずなんだぞ」


 しばらく呆気に取られてしまったあとで、ノゾムは「…………は?」と呟いた。タイラがノゾムの肩を豪快に叩き、ノゾムは痛みに呻く。

「お前のやりたいことは、お前にしかできないことなんだよ。お前、トイレ行きたいとき他の誰かに替わってもらうか? お前がお前のままでやらないと、意味がないこともある」

 そう、タイラは言った。トイレでたとえるなよ、とノゾムは思う。


「…………ユメノちゃんを見てたらオレも勉強したくなっちゃったな、とか言ったらかっこ悪いですかね。なんか、店先に飾られてるマネキン見て『あれと同じコーディネートしてください』って言うみたいな」

「似合ってればいいんじゃないか?」


 少し考えている様子で、ノゾムはうつむいた。「何にせよ俺はお前の親父ではないんだから、相談する先が違うと思うが?」と言いながらタイラは立ち上がる。

「どこに行くの?」と都が尋ねた。

「仕事だよ」と何でもなさそうにタイラは答える。

「このワーカホリックめ!」とユメノが不満げに吠えた。


 都はうつむきがちに、『あまり無茶をしないでね』を遠回し遠回しに伝えようと口を開く。それを全てわかった上で、タイラは笑いながらごまかした。

「でもせんせーもだいぶ無茶なところあるよね」と、ユメノが思わず口を挟んだ後ですぐに『しまった』という顔をする。「なんだ?」とタイラは尋ねた。

 あれは確かに凄かったな、と思いながらノゾムが、都の演じ切ったカーチェイスの話をする。「ハンドル持つと人が変わるタイプかと思いましたよ」と。

 一方の都は、顔を真っ赤にしたり青くしたりしながら「大袈裟だわ」「そんなつもりは」と言い訳しようとしていた。


 タイラは何とも言えない表情をした。

『うわぁ』『マジかこの女』『俺でもそんなことはしない』という顔で、フェードアウトしていく。

 それを追いかけて、都が「あなたほどじゃない! あなたほどじゃないわ、誤解です!」と訴えた。



☮☮☮




 学校から帰ってきたユウキに、カツトシが「なんか宅配届いてるわよー」と声をかける。ユウキは自室に戻ろうとしていた足を止めて、振り向いた。

「ぼくにですか?」

「そう。珍しいわよねー」

 言いながら、カツトシがカウンターの上に箱を置く。ユウキはそれを訝しげに観察した後で、手を伸ばした。

「開けちゃって大丈夫? 差出人書いてないよ」とユメノが不安そうにする。

 ためらいがちに箱を開けた。


「………………は? 何コレ」

「これ、あれだわね。あの……ユウキ、あんたがいつも食べてるやつ」

「フルー〇ェ、です」


 箱の中からは大量の、フ〇ーチェが出てきた。思わず、ユウキは笑ってしまう。

「ちょっとぉ、何これ。高級食材とか送られてきても困るけど、これはこれで怖い」

「でもユウキ宛だし、もしかしたらフルーチ〇の妖精から恩返しとかじゃない? フルー〇ェの妖精助けた?」

 静かに、ユウキは頭を振った。「フル〇チェの妖精じゃないですよ、これは」と呟く。


「ぼくのさいきんできた、友だちなんです。元気そうでなによりです」


 そう、笑った。

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