手鏡に跨る(二)
男──寺町迭夜がはじめてかの
カッと顔を赤らめた迭夜は、ただちに刈り取らなければならぬ、恥を覆い隠さねばならぬと早合点して、使ったことはないのになぜか用途を知っていた母のムダ毛処理用のカミソリを探り出して、おのれの性徴の証を血がにじむのも構わずに取り繕った。刈り取ることの是非はともかく、いま思えば我がことながらシェイブクリームを塗るくらいの知恵はあって欲しかったと思う。
白昼にようやく刈り取ったはずのものが一昼夜をすぎるとまた生えてきた。二度か三度のいたちごっごを経て、迭夜はおのれの性徴というか成長を受け入れるに至った。いまだ転校生気分が抜けなかった迭夜には心を許せる友人がおらず、年季が入った母子家庭すなわち父親の長きにわたる不在のせいでセンシティブな相談を望めるような相手もなく、性徴にまつわる心の前準備もできていなかったのは我がことながらすこし不憫である。
迭夜は、我が血肉の元となった男の貌をいまだに知らない。迭夜の母はかつての伴侶のことをけっして語ろうとしなかったからだ。母方の祖母が保管している写真アルバムにはいくつも飛び地の空白があった。
母の姉は迭夜の父を「いい男だった」とよく讃えて語り聞かせてくれたが、そのあとに決まって「おまえは…ひいじいちゃんの血を受け継いだみたいだねえ」と皮肉まじりの笑みを浮かべる。それが不細工な貌のことを
望んだのか望まなかったのかよくわからないうちに迭夜は実父を恋しく思うことを自分に許さずに父親代わりの存在を求めることもないまま第二次性徴期をやり過ごした──そのせいで目下の崖下をよく考えもせずに削るような考えなしの間抜け野郎に育ってしまったのかもしれぬ。
二十余年の時を
迭夜はもういちど視線を落とした。もっぱら風呂場でひげを剃るときに使っているその手鏡にはおぞましい孔が声を発することもなく蠢いていた。
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