汚叢の禁忌 〜我レ、菊門ノ草ヲ除スル〜

焚書刊行会

手鏡に跨る(一)

 男は服を脱いだあと風呂場へ向かった。乾いた浴槽の底には果敢はかなくなった羽虫が墜ちている。湯を出さず、シャワーには目もくれず、男はひとり洗い場にしゃがみこんだ。

 あらかじめ持ちこんだ手鏡を陰部の下にすべりこませる。鏡面を覗きこもうとすると暗がりになってよく見えない。頭首が白熱の灯りを遮るためだ。男はせまい風呂場のなかで身体からだを屈めたり捩じらせたりして、思いどおりの鏡像を得るために明るい位置取りを探った。

 男──てらまちてつが銀面越しに目を凝らすと、菊肉が一拍遅れで蠢くのが見えた。続けざまにハ長調のラ音が高鳴る。嗅ぎなれた生温かい穢臭がたちのぼった。

 三十余年かけて黒ずんだ軀底は醜かった。肛門まわりの憎きともがらは、迭夜が想定していたよりもずいぶんと毛足が長い。奔放にちぢれているのも気に喰わなかった。

 実際、糞を拭ぐうときに慊いのだ。毛先に付着した糞奴はウォッシュレットをもってしても剥離洗浄しきれない。一粒も逃さず拭き取るためには一回の脱糞につき便所紙一ロールでは不足するありさまだった。

 排便という避けることができない生理現象は迭夜を不安にさせた。きりがない便所紙の購銭や尋常ではない下水道料金によってもたらされる家計破綻を恐れた。

 長きにわたる菊肛の憂いを断ち切るためには最終的解決を図るしかない。そのために迭夜は、ひとり全裸で手鏡のうえに跨り、あえて汚わしいくさむらを窺っているのだ。利き手にシック社製の安全剃刀を携えていた。

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