黒い影の正体は。
みららぐ
黒い影の正体は。
地元に帰るのは、もう何年ぶりだろうか。
久しぶりの電車から降りて、ふいに僕はそう考える。
高校を卒業してから、今年の春でもう10年。
「たまには帰っておいで」と電話でしょっちゅう話す母の言葉にも、僕はずっと頷くことは無かった。
だって、僕の地元であるこの町には…大人になった僕にとって今でも心が震えるような「怖い思い出」があるから。
僕は過去の記憶を辿りながら、やがて懐かしい駅を後にした。
******
「ハヤテ、新作のゲームやりに来いよ」
その「怖い思い出」を実際に経験したのは、高校二年生になったばかりの春だった。
「ハヤテ」という聞きなれた名前を呼んだのは、高校になってから知り合った、当時の友達のショウタ。
僕が放課後の教室で浮かない顔をしていた時、いつものようにそうやってショウタが話しかけてきたのだ。
当時、僕とショウタはお互いに学校内で一番の親友だったと思う。
だけど僕は、手元の成績表を広げながら言った。
「…ごめん。今日行けないかも」
「え、何で」
「こないだのテストの結果最悪だった。親に勉強しろって怒られそう」
俺はそう言うと、ため息交じりにその成績表を鞄の中に仕舞う。
見るだけでもかなり落ち込む数字だ。
全ての教科が平均を下回っている。
最悪、今日は「遊びに行くくらいなら勉強しろ」とか言われそう。凹む。
しかし僕がそう言って落ち込むと、ショウタが言った。
「じゃあ、俺ん家で勉強する?」
「え、」
「友達と勉強するなら、ハヤテのお母さんだって何も言わないだろ」
「…」
そう言って、「な?決まり!」と僕が頷く前に勝手にそう決めるショウタ。
でも、確かにそれなら実際、僕のお母さんは許してくれそう。
ショウタは普段から成績が良く、僕のお母さんもそれを知っていたから。
僕はその言葉にやっと頷くと、やがてショウタと2人で教室を後にした。
………
お母さんに正直に成績表を見せると、案の定こっぴどく怒られて「勉強しなさい」と言われたけれど、「ショウタとこれから一緒に勉強する約束をしている」と伝えると、やっぱり快く許してくれた。
まぁ実際、ちゃんと勉強会になるのかどうかはわからないけど、ショウタが一番始めに言っていた「新作のゲーム」も気になるし。
これから起こる「恐怖体験」の存在を知るよしもなく、僕はそこに到着するなり玄関でチャイムを鳴らした。
「ショウター?」
ショウタの家は、昼間は普段から基本的にショウタ以外誰もいなかった。
別に両親がいないわけじゃなくて、ちゃんといるけれど、2人とも仕事が忙しくて、夜遅くにならないと帰って来ないらしい。
僕はいつものように気兼ねなく玄関のドアを開けると、ショウタもちょうど玄関のドアを開けようとしてくれている最中だった。
「お、早いね」
「そう?っつかやっぱ成績でマジ怒られた最悪、」
「ははっ、でもいいじゃん。帰ったら親がちゃんといるとかさ」
ショウタはそう言うと、僕を家の中に入らせながら、心なしか表情を曇らせる。
…けど俺には実際、いない方がラクな気がするけどな。
しかし、そう思いながら靴を脱いでいると…
「っ…!?」
「どした?」
その時、突然。
視界の中で一瞬、前方から床を這うような黒い影が近づいてきたような気がして、僕は慌てて顔を上げた。
だけど目の前には何もなくて、そこにいるのはショウタだけ。
…あれ?何だ今の…。
その黒い影はほんの一瞬で、この時僕はただの見間違いだと思った。
きっと、目の前にいるショウタの影が、違うものに見えてしまったんだろう。
「…何でもない。…ほら、教科書とか?持ってきたかなぁと思って」
「え、めちゃめちゃ持って来てんじゃん。鞄から見えてるよ」
そう言って、「疲れてんの?」なんてショウタが笑うから。
…確かに僕は、疲れてるのかもしれない。いや、そうであってくれ。
そう思いながら僕も笑って。
たぶん、全然元気だけど。疲れているフリをした。
「あー…ハヤテ、先に俺の部屋行ってて。俺飲み物探してから部屋行く」
「ん、わかった」
ショウタが住んでいるのは一軒家で、外観も当時は比較的新しかった。
僕も一軒家に住んでいたけれど、当時築50年ほどの木造住宅だから全然新しい家じゃない。
だから、ショウタが羨ましかった。
ショウタの部屋があるのは、二階の階段を上ったその先。
二つのドアが目の前に横に並んだ、向かって右側の部屋だった。
部屋の中に入ると、もうすっかり見慣れた家具たちがそこにあった。
ショウタはどうやら青色が好きらしく、カーテンの色やベッドの布団、ソファー等も青色のものが多い。
僕はその辺の床に座ると、早速テーブルの上に教科書やノートを広げた。
しかし…
「…?」
次の瞬間。
僕が座った、その後ろで。
僕は何か気配を感じた。
いや、気配…というか、キシ…キシ…と床が軋むような、そんな音が背後からするから…気になって。
いつも、ショウタの部屋に遊びに来たときは、そんな音はしないのに。
確か僕が座っている後ろには、一畳くらいの何もないスペースが空いているだけのはずで…。
そう思いながら、今も尚続く音に、ゆっくりと後ろを振り向こうとすると…
「おまたせー」
「!」
まるでそれを遮るかのような、ショウタの声が耳に飛び込んできた。
その声に、僕は一瞬にして我に返る。
ショウタの方を見ると、ショウタはお盆にお茶の入ったグラスを二つ、抱えていた。
「ごめん、ジュースとか無かった。…どした?」
「え、」
「なんか、顔色悪くね?」
ショウタはそう言うと、心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。
僕はその時に、ようやく気が付いた。
…さっきの音が…後ろからの音が、消えている…。
僕は一瞬、言おうか言うまいか…迷ったけれど、不意にいつもの笑顔を浮かべて言った。
「…や、ほら、今から勉強かと思うと…」
「え、そんなに?じゃ勉強やめてゲームする?」
俺はどっちでもいいよ、と。
ショウタがそう言うから。
僕は、少し考えて「ゲーム」と言おうとしたけれど…
「…!?」
不意に…また顔を上げたその瞬間。
ショウタの顔を再び見た、その瞬間。
僕は、思わずビックリして固まった。
だって…そこには…ショウタの後ろには…
大きな人間のような、縦長の黒い影が…存在していたから。
「…っ…」
人間って、本当に驚いていると、恐怖を抱いていると、大きな悲鳴を上げる余裕すらないらしい。
僕は目を大きく見開きながら、思わずその黒い影を見つめた。
見間違い、とかじゃない。っつか、何だあれ。
でも黒い影はそこにいる。
僕が見つめているこの間にも、ちゃんとその場所に存在している。
「…どした?ハヤテ」
「や、あ…」
「?」
その黒い影の大きさは、成人男性よりも一回りや二回りも大きいくらい。
そしてそれは…確実に、何かを持っているように見える。
「ショ…う、うし…」
「…牛?」
「ちがっ…」
「どうしたんだよ。今日のハヤテ変だぞ」
言うべきか、言うまいか。
悩んだのは、ほんの数秒で。
この時は多分、言った方が正解だったんだろうけど。
「っ……帰る!」
「え、ハヤテ!?」
僕は鞄を無造作に手に取ると、テーブルに広げたばかりの教科書を忘れて、とにかく無我夢中で走ってショウタの家を後にした…。
******
…その後は、家に着くまで全速力で走って帰ったせいか、ほとんど記憶が残っていない。
あれから10年が経った今、大人になった僕は久しぶりの家までの道を歩きながら、当時のことを振り返っていた。
あの後、ほんの数日後に、ショウタは死んだ。
原因は未だ不明。
部屋に独りで倒れていたのを、両親が見つけたらしい。
僕はそれを知ったその当時、震えながら毎日を過ごしていた。
だって、僕がショウタの家に最後に遊びに行ったあの日。
あの部屋で、はっきりと見たあの黒い影は…紛れもなく「死神」だったのだから。
ショウタの後ろで、黒い影となって現れたそいつは、大きな鎌を持っていて…。
僕はあの時、怯えながらも一瞬にしてその正体がわかった。
そして、ショウタに言おうか言うまいか…一瞬、悩んで………だけど。
言わなくてもいいじゃんか。
ショウタは実際、一番仲の良い友達だったけれど、僕にとって一番ムカつく奴だった。
たいして努力もしていないのに、成績優秀でスポーツ万能、性格も良いと周りから評判で、僕とは真逆の奴だ。
そしておまけに、ショウタが住んでいたあの家もまだ新しくて綺麗だし、広々としていて過ごしやすい。
両親が金持ちなのか、欲しいものだっていつも簡単に買って貰えていた。
だから、羨ましかった。
羨ましくて、羨ましくて羨ましくて…それがいつしか妬ましくなって。
嫉妬に変わって。
僕は心の奥で思うようになっていた。
ショウタなんかいなくなればいい。
誰かが殺してくれればいい。
だから、実際にショウタが死んで、あの時何も言わなかった自分に僕は何も後悔なんてしていない。
だけど目の前で見たあの大きな死神は物凄い迫力で、あの時の恐怖は今でもハッキリと覚えている。
そんな懐かしい恐怖のなか、こうやって久しぶりに向かっている実家。
でも、実家にだけ居ればいい。
居たら、少ししたら、すぐに帰るから。
その後、僕はやがてようやく実家に到着すると、古びた玄関のドアを開けた。
「ただいまー」
僕がそう言って玄関で靴を脱いでいると、奥の方から母親が顔を出す。
そして、「おかえりなさい」と母親が口を開いたその直後。
その顔色は、一瞬にして真っ青なものに変わった。
「あ、あんたっ…」
「ん?」
「う、うしっ…」
「…牛?」
「ち、ちがっ…」
そして、確かに母親は…言った。
“あの時の僕”のような…顔をして。
「後ろっ…黒い影…!!」
【完】
黒い影の正体は。 みららぐ @misamisa21
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