第2話 マッスルこけら落とし

 男は、ゆっくりと村から出た。100メートルほど先に、髪を紅く染めた、がらの悪そうな男達が横に並んでおり、その中央に、身体からだが、通常の人間の3倍はある、あかい巨漢が見えた。


「あれが、紅豚べにとんですか。さて、どれほどの筋力の持ち主でしょう」


 男は、その紅い巨漢に向かって歩いていった。


「ボス! あいつ、こっちに来ますぜ」


 紅豚べにとんの横で言ったのは、昨日、エリカをさらいに来たモヒカンだった。右手首は真っ青に腫れ上がっている。


 紅豚べにとんは、上半身が裸で、下半身は革のパンツを履いているだけだった。その名の通り、身体中からだじゅうの皮膚が真紅に染まっており、鼻は、豚のように前に突き出している。

 その突き出た鼻から、ふん、と息をらすと、紅豚べにとんは、自分の出っ腹を右手でひと叩きして言った。


「おめえみてえなやつが居るから、クリムゾンが舐められちまうんだよぉ」


 そう言って、紅豚べにとんは、かたわらに居たモヒカンの右手首を、掴んで持ち上げると、後ろに大きく振りかぶった。モヒカンが、痛みに悲鳴をあげたが、紅豚べにとんは意に介さなかった。


「あの男に、ちょっとした挨拶をくれてやろう」


 紅豚べにとんは、向かってくる男のほうへ、モヒカンを放り投げた。モヒカンの身体からだは、ぐるぐると回転しながら飛び、男のすぐ目の前に落下した。


 村の中で、その光景を見ていた人々が、口々に言い合った。

「見ろ。人間を、あんなふうに軽々と投げ飛ばしちまうんだぞ」

「あんな化物相手に逆らうこと自体、間違ってるんだ」

「あの男、死ぬぞ」


 自分の足元に転がるモヒカンを見て、男は言った。

「おや、昨日の2人組の片割れではないですか」


 モヒカンは、まだ息があり、震える左手を、男のほうへと伸ばして言った。

「た、助け……」


 男は右手を伸ばし、差し出されたモヒカンの左手を握って言った。

「助かるかどうかは、あなたの運次第ですね」


 男は、モヒカンの身体からだを軽々と持ち上げ、釣り竿でも振るように、後方に振り上げてから、あかい巨漢のほうへ投げ飛ばした。


 モヒカンは、再度、ぐるぐると回転しながら飛んでいき、巨漢にぶつかる直前に、その巨大な左手で払いのけられた。


 村の中の人々の間に、今までとは違う感情が芽生えた。

「あ、あの男もすごいぞ」

「ひょっとしたら、紅豚べにとんといい勝負するんじゃないか?」

「バカ野郎。紅豚べにとんに勝てるもんか。それに、手下があんなにいるんだぞ」


 村人は、希望を持つことを恐れていた。その希望を失ったときのショックが大きすぎるからだ。


「ほう。あの男、なかなかやるようじゃねえかぁ」


 男は、あかい巨漢まで、あと20メートルほどのところまで迫り、大声を張り上げた。


「あなたが、紅豚べにとん様ですか?」

「いかにも。おれ様が紅豚べにとんだ」


昨日さくじつ、あなたの部下が、そこの村で粗相そそうをしましてね。一体、部下にどのような教育をしているのか、お聞かせ願えますか」

「へっ。そいつぁ、すまなかったな。ちょっと女をさらおうと思っただけなんだがね、あんたに、なんか迷惑かけたかい?」


「ええ。非常に不愉快な思いをしました」

「それで、どうする?」


「ここは、男らしく、力比べといきませんか。私も、筋肉には少々自信がありまして」


 紅豚べにとんの目が、見開かれた。


面白おもしれえ。お前が勝ったら、何を望む?」


 男は、少し間をおいてから答えた。


「クリムゾンを解散し、二度と悪事を働かないと約束してください」

「ああ、いいぜ。ただし、俺が勝ったら、その場でお前を殺して、村の連中も皆殺しだ。それでいいか?」


「構いません」


 クリムゾンの集団の中から、嘲笑がれた。

「ボスと力比べだあ?」

「おいおい。本気かよあいつ」


 紅豚べにとんは、1人、集団から踏み出し、男と対峙した。


「おいおい。力比べったって、このサイズ差じゃなあ。まともに手を組むこともできねえじゃねえか」


 紅豚べにとんは男の近くまで来て、言った。

 身長190センチほどの男に対して、紅豚べにとんは3メートル近くあった。


「では、わたくしは、あなたの手の平に、手を当てさせていただくとしましょう」


 そう言って、男は、両腕を、真横に水平に上げて、紅豚べにとんに向けて両手を開いた。


「さあ、はじめましょう」

「貴様! どういうつもりだ。そんな態勢では、力は入れられねえだろう」


「あなたごとき、これで充分です」


 頭にきた紅豚べにとんは、T字型に腕を開いた男の両手に、自分の両手を合わせて、力いっぱい押した。

 しかし、男はびくともしない。


「な、なに……」


 クリムゾンの内部に動揺が広がる。

「おいおい。嘘だろ」

「ボス、ふざけてるだけだよな」

「どうなってんだよ」


 男は、目を細めて言った。


「おや、どうされましたか。わたくしは、力が入らない態勢なのではなかったですか」

「く、くそが……」


 ここで、男が、めいっぱい開いていた両手の指を閉じて、握りこぶしを作った。


 すると、紅豚べにとんが叫び声を上げて、両手を引っ込め、数歩、後ずさった。

「がああああ! き、貴様!」


 紅豚べにとんが、自分の両の手の平を見ると、両手とも、皮膚が裂け、肉がえぐれていた。


 男は無表情のまま言った。


「申し訳ございません。あなたの手の平が、こんなにやわだとは存じませんでしたので。厚いのは、つらの皮だけということですか」

「く、くそが」


 紅豚べにとん、右足を振り上げ、男目がけて前蹴りを放つ。

 しかし、男は、左手でその蹴りを軽々と受け止める。


「力比べは、わたくしの勝ち、ということでよろしいでしょうか。でしたら、今すぐに、クリムゾンなどという薄汚い集団を解散して、ここから消えていただきたいのですが」


「この男を殺せー!」


 紅豚べにとんの叫びで、クリムゾンの連中が、一斉に男に向けて走り出す――はずだった。しかし、クリムゾンの動きは鈍い。

 目の前で、ボスの紅豚べにとんが、完全に力負けするところを見たのだから、士気はだだ下がりであった。


「どうした! てめえら! 今、動かねえやつは、俺が殺すぞ!」


 恐怖に駆られた数人が走り出すと、それに引きずられるように、ほぼ全員が、男目がけて駆け出した。何人かは、後方へと逃げていった。


「まったく、なげかわしいことです」


 男は、またたく間に、紅豚べにとんへと歩み寄り、そのバットのような太さの中指を、右手で握ると、またしても、釣り竿を振るように、右腕を前後に動かした。

 紅豚べにとん巨躯きょくが、前に後ろに、水風船のように跳ね回る。


 そのあり得ない光景は、クリムゾンの連中を、一瞬、ひるませたが、走り出した者達は止まれなかった。

 クリムゾンは、男の周りを囲むようにして迫ってきていた。


 男が、右手に掴んだままの紅豚べにとんを、ぐるり、と高速で水平に振り回すと、近くまで迫ってきていたクリムゾンの連中が、紅豚べにとん身体からだで殴られて吹っ飛んだ。


「これは使い勝手がよろしい。肉のメイスといったところですか」


 男が、紅豚べにとんを数回振り回すと、クリムゾンの連中の大半は吹っ飛ばされ、残りの連中は、完全に戦意を喪失していた。


「あ、うう、ああ……」


 かろうじて意識の残っていた紅豚べにとんが、意味のない言葉をらした。紅豚べにとんの中指は、骨が砕け、ソーセージのようにぐにゃぐにゃになっていた。


「おや、これは申し訳ございません。あなたの中指が、こんなに貧弱であることも、存じ上げませんでした」


「うう、ああ……」


 男は、紅豚べにとんの中指を離すと、向き直って言った。


「これで、クリムゾンは解散し、この村に二度と手を出さないと、約束してくれますか?」

「ああ……ああ……」


 紅豚べにとんは、なんとか首を縦に振り、肯定の意を示した。


「大変、安心いたしました。では、あなたが、約束を守れるよう、少々、お手伝いをして差し上げましょう」


 そう言って、男は、優しい笑みを浮かべながら、横たわっている紅豚べにとんの頭のほうへと近づく。


「あなたは、生きていれば約束を破ってしまうでしょう。ですので、約束を守っていただくためには、こうするほかありません」


 言いながら、男は、両手で紅豚べにとんの頭を掴み、くるり、と一回転させた。紅豚べにとんの口から、あかい泡があふれた。


「さて」


 男が周囲に目を向けると、腰を抜かしてへたりこんでいるクリムゾンの残党どもが、情けない声を上げた。


「ひっ……」

「た、たすけてくれ」

「ばけ、ばけ、ばけも、の」


「あなたがたには、一旦、生かしておいて差し上げます。これを機に、心を入れ替え、その筋肉を、弱き者のためにお使いなさい」


 残党どもは、震えながら、ガクガクと頭を縦に振った。


「もし、この言いつけが守られていないと、わたくしが判断したときには、即座に、殺します。よろしいですね」


「わ、わ、わかった……。わかった」


 残党に背を向け、村に向けて歩き出した男に、ある者が言った。


「何者なんだ……あんた?」


 ひたと足を止め、男は、右手の指で、自慢の口ひげを撫でながら言った。


「わたくしは、通りすがりの、筋肉紳士でございます」

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筋肉紳士 ~剣と魔法の世界に筋肉で挑む~ 鏡水 敬尋 @Yukihiro_K

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