第38話 あゝいもうとよ、君を泣く 君死にたまふことなかれ



 罪と罰部部長、神志那かみしな玲恩れおん

 この強烈な名前を聞いて忘れるわけがない。


「はぁっ……っ! はぁっ………ッ!」


 右手にカッター、左手に彫刻刀。それだけでこのモンスターの群を倒し続けていたらしい。

 部屋の片隅には怪物たちの死体───もとい模型の残骸が積み上げられていた。


「……な、なんだお前ら!?」


 俺らは神志那を取り巻く、動く模型の怪物たちを斬り伏せた。四人もいればこの数の相手を倒すなど造作もない。


「あんた、大丈夫か?」


 南々瀬が神志那に声をかけ、空閑が倒れた少女を抱き起こした。


「見て……はぁッ……分かんねェか……?」


「ああ~、えっと、大丈夫そうではないよな……」


「ちっげェよ! 俺様はまだいけるって意味で言ってんだよ……ッ」


 そうは言いつつも目の前の天パの男は血だらけで息も絶え絶えだ。それなのにまだ立っていられるこの精神力にはある種の尊敬を覚える。

 そいつは俺の方を見て、


「……お前は(仮)かっこかり部とかいうふざけた所のやつじゃねぇか」


「罪と罰部の奴には言われたくねぇよ。……肩、貸そうか?」


 俺が手を差し伸べるとそいつは俺の手を弾いた。


「いらねぇよ。言っとくがな、俺は礼なんか言わねぇぞ。俺一人でもこのバケモン達は倒せたんだ。いいか、俺は助けられたんじゃなくて、お前らが勝手に横から手ェ出してきただけだか────」


「はいはい、いいから大人しくしてなさいよね」


 から元気に捲し立てる神志那を空閑が引っ張ってストン、と座らせる。

 神志那は疲れ切っていたからだろうか、簡単に座らせることが出来た。


「おいっ……!」


「動かないで」


 空閑が神志那に応急処置を施す。傷口を消毒し、出血を抑えるため頭に包帯を巻く。


逢奈あいなはほんとお人好しだよなぁ」


 南々瀬が腕を組みながら空閑の施しようを眺める。


「これくらい人として当然でしょ」


「まぁね~」


「……礼は言わねぇかんな」


「好きでやってるだけだから別にいいよ。………はい、これでよし」


 神志那の処置が終わり、空閑が七罪の抱いている女の子に視線を向けて口を開く。


「こっちの女の子は軽いショックで気絶してるだけみたいだね。身体の傷はなさそう」


「お前、ずっとこの子を守ってんたんだな」


 思わず俺は神志那に向かって本心を言ってしまう。


「う、うっせんだよ」


 子供かよ、という言葉は声に出さずに心の奥底に留めておいた。


「で、俺らは上に行くんだけどお前はどうする?」


「上に行って何すんだ?」


「今の現状を作り出した元凶が上の階にいるかもしれないんだ」


「ははーん」


 神志那は胡座をかいた上に腕を組んだ。物凄く偉そうだ。


「もしその元凶とやらがいたら俺がブン殴ってやるぜ」


 そして、いかにも悪そうな顔でそう大口を叩く。


「なぁ、空閑。お前の瞬間移動でこいつら避難場所まで連れていけないのか?」


「無理」


 空閑はきっぱりとそう言いきった。


「さっきも言ったけど私の〈神技スキル〉は私自身と私が手に握れるようなもの以外今は一緒にテレポート出来ない。

 チャレンジすることは出来るけど八割の確率で一緒に飛んだ人は身体がバラバラになると思う。それに私自身も座標を間違えて地面に埋まったりとんでもない所に飛んじゃうかもしれないから」


 想像するだけでゾッとした。

 確かに、瞬間移動なんてこれ以上ないほど便利なものに聞こえるが、実際の原理や仕組みなど考察不可能な部分が多々あるのも事実だ。

 それをただの一般的な女子高生が行うというのは少し酷な話ではあると思う。

 能力をコントロール出来てないのは俺だけじゃないのか。それだけで少し安心した。


「何言い合ってんだお前ら。俺は何と言われてようと着いてくぞ。その元凶とやら是非とも拝んでみたいね」


 そう言って、気絶した女の子を背中に背負う。


「体育館に避難しろ……って言っても聞かなそうだし、とりあえず着いてこさせるか」


「……そうするしか無さそうだな」


 俺らは罪と罰部の部室を後にし、先へと進んだ。

 案の定というかなんというか、俺達が倒した場所はすでにモンスターが湧き始めていた。上の階から次々と降りてきている。

 その事実が三階の転生部にこの騒動の鍵があるということを確信させてくれた。


 驚くことに神志那は女の子を背中に乗せながらも身軽に動き、片手に持たせた短剣で敵を斬っていた。器用なやつだ。

 俺らは何体目かも分からないくらい怪物を斬り尽くしたのち、三階まで上がることが出来た。


「これは、骨が折れるな……」


「気張っていきましょう!」


 三階は今までの比にならないくらいの怪物たちで溢れかえっていた。

 ただ南々瀬の対象の時を止める《時極クロノス》が強力過ぎてこちらが劣勢になる気はあまりしなかった。

 《時極クロノス》は防御にも攻撃にも使える非常に便利な能力だ。

 相手の攻撃を喰らいそうになったらそれで相手を止めて擬似的にガードすればいいし、止めた敵はいつでも息の根を止めることが出来る。

 つまり南々瀬に触れること自体が死に直結するのだ。

 本当に敵には回したくないな……。

 なんて心の中で呟いているとようやく、転生部の部室前まで辿り着くことが出来た。

 俺達は慣れた手つきで敵を殲滅していき、その中に入る。


「………な、なんだよ、これ」


 神志那がその言葉を紡いだのは部屋に入り、それを見たと同時だった。

 窓側の壁は全てぶち抜かれ、風通しの良くなった部屋の真ん中、黒いもやの渦巻く不透明の霧の中から次々と怪物たちが生まれていた。

 その霧はベンタブラックのように真っ黒でその奥を見ることは出来ない。


「と、取り敢えず出てくる怪物たちは倒そう!」


「おう!」


 俺たちは黒い靄に疑問を持ちながらもその不可視の霧から現れる怪物たちを斬り続けた。

 どれくらい狩ったのだろう。

 俺の腕は既に限界を迎えて、ずきずきと筋肉が悲鳴を上げていた。


 視界もいつの間にかぼやけている。


 ────マズい。


 これは非常にマズい。

 ここで意識を失ったら、なんだか、死にそうだ。

 そんな気がする。


 生きなければ。


 妹と一緒に、七罪と一緒に生きるんだ。


 ふと、敵を倒していると、ピタリとモンスターが出現スポーンするのが止んだ。


「────終わった、のか?」


 俺らの中から誰かがそう呟くと、黒い靄の渦巻く中心から人影が見えた。

 俺らはその人影を戦闘態勢を崩さずにただ見つめた。

 やがて、その人影は次第に人の姿を見せていき────


「やぁやぁ、みんな。どうもどうもお疲れ様」


 中から現れたのは、壱定いちじょう先輩だった。

 まず初めに動いたのは神志那だった。彼は背に乗せた少女を空閑に預けて、壱定先輩に近付き───


 胸ぐらを掴んだ。


「おいてめぇが犯人かコラ歯ァ食いしばれや!!あ゛ぁ!?」


 今までになく神志那が本気でブチ切れているのが見て分かった。

 俺達は誰も神志那を止めなかった。なぜならここにいる全員が憤りを感じているからだ。


「ちょ、ちょっと待って待って待って」


「あぁ!? この期に及んで命乞いたぁ意思のねぇ野郎だなおい! お前のせいで俺とセルカが死にそうになったじゃねぇか!」


「ま、参ったな。えっと、キミ達何か勘違いしてないかい?」


「あぁ?」


 壱定先輩は両手を上げて、いかにもな困った表情を見せた。


「勘違い、とは?」


 南々瀬が怒りをあらわにした口調で問う。


「おれはこのモンスター達の出現を止める為にこの扉の中にいたんだ」


「壱定先輩が止める為に……?」


「そうだよ。現に今はモンスター達が出てきてないだろ?俺はその元を断つためにこの中に入ってたのさ」


「中で、何をしたんですか?その黒い靄の中に何があるんですか?」


 俺が無意識に口を開き、問いていた。

 いつの間にか神志那は壱定先輩の胸ぐらから手を離していた。


「それは────」


 壱定先輩はこれでもかと言った具合に溜めたあと、答えを口にした。








「─────契約さ」








「……契約?」


 空閑が懐疑的な目で壱定先輩を見つめる。


「おれはこの中に入って、悪魔と会話をしたんだ」


 色々と新しいワードが出てきて頭が追いつかない。

 ドラゴンやゴブリンがいたんだから、悪魔がいてもおかしくはない……のか?







「そして彼はこう言った。『誰か一人だけ、人間を生贄に捧げろ。さすればこの怪物たちの猛攻を止めてやる』ってね」






 ────………え?

 この人、今………なんて……?


「そ、それでなんであんたはここに戻ってきてるわけ?」


「それが酷い話でさ。その悪魔はおれを食べるのは嫌みたいで『今から五分以内に他の奴をこの霧の中に投げ込まなければ、その世界は本当の終末を迎えることになる』って言われたんだよね」


 ここにいる壱定先輩以外の全員の時が止まったようだった。


「冗談、だよな……? 嘘なんだろ、おい……」


 神志那が最初に口を開いた。


「残念ながら本当だよ。今から五分以内にこの霧の中に一人、生贄として捧げなくちゃいけない」


 なんだ、それ。

 意味がよく分からない。何が起きてるんだ、これ……。


「嘘だと思うんなら五分待ってみたらいいよ。その時は本当に世界は終わりを迎えるかもね」


「なんであんたは───」


 南々瀬が歯を食いしばりながら、言った。


「そんなに冷静でいられるんだよ……ッ!!」


「おれはこの世界に興味なんてないからさ。どっちに転んでもいいって思ってる。でもこれだけは言わせてくれ。悪魔の契約は絶対だ」



 足元が揺らめく。



 俺は今、立っているのか?



 五分……?



 五分って……何秒だ?



 今、何分経ったんだ………?



「ふーっ……ふーっ……」


 落ち着け、俺。

 軽く深呼吸をして頭に血を通わせる。

 今から五分以内に、と言ったら早急に決めなければいけない。

 壱定先輩がその黒い霧から出て既に二分近くは経っている。

 考えている余裕なんてない。

 でも、誰かを生贄にだって?そんな残酷な話があるのか?

 現に壱定先輩が霧から出てきたタイミングで怪物の出現は止んだ。信憑性は確かに、あるのかもしれない。


 互いに互いの顔を見る。


 ここにいるのは壱定先輩を除いて六人。


 俺と七罪、空閑と南々瀬、それに神志那とセルカと呼ばれる少女だ。

 この中から生贄を選ぶなんて、とてもじゃないけど......無理だ。しかもこの短時間で。

 頭おかしいんじゃないか。なんだよこれ。

 ふと、空閑が言葉を紡いだ。


「…………………私が、行く」


 その言葉にここにいる全員が息を呑んだ。


「あ、逢奈あいな………っ!?」


「私ならあそこを通っても瞬間移動で戻ってこれるかもしれない」


「駄目だ、逢奈………頼む、やめてくれ……ッ!」


 南々瀬が空閑の両腕を掴むが、空閑はそれを振り払う。


「じゃあなに!? 他の人に行けって言うわけ!? そんなのっ……私には出来ない!!」


「………」


 南々瀬は長い沈黙の後、空閑を見て言った。


「逢奈が行くなら俺も一緒に行く」


 ………こいつら、完全に覚悟をした顔をしている。

 死ぬかもしれないのに。生きて帰って来れないかもしれないのに。その奥がどうなっているのかもわからないのに。


 凄い覚悟だ。

 俺には、そんな覚悟─────


「皆さん、落ち着いてください」


 七罪が場にそぐわないような、優しい口調で話し始めた。


「死に急いではいけません。こんな時こそ落ち着きましょう。心に、平穏を保つのです」


 その語り方はまるで、女神のようで───


「私が、行きます」


「………はぁっ!?」


 俺は唐突な七罪の提案に素っ頓狂な声を出してしまう。

 七罪は俺の耳に顔を近づけて、皆に聞こえないように話す。


「いいですか、お兄さん。私は今は人の姿をしていますが、元は女神です。そして、この肉体はお兄さんの〈神技スキル〉で造られたもの。私の肉体が滅んでも、もう一度|創妹《ソロル》で生み出すことは出来ると思います」


「そ、それは確証はあるのか……?」


「もちろん。なんたって私は妹ですから。お兄さんと離れ離れになんかなりませんよ」


 七罪は優しく微笑んだ。

 その微笑みはずっと前に、いつか見たようなそんな既視感があって──────


「ということで私が生贄になります」


「あ、あんた、なんで……」


「私は向こうに行っても帰って来れる、とっておきの秘訣があるんです。大丈夫ですから、安心してください皆さん」


 もちろん、とっておきの秘訣なんてないだろう。

 七罪は俺らを安心させるためにこう言っているのだ。そうに違いない。

 帰って来れる保証は、どこにもない。

 ただあるのは俺の《創妹ソロル》が七罪を創れるがあるという希望だけ。

 それはあくまで希望的観測だ。俺は一度だって妹を造ったことはない。初めに七罪と会った時も造った感覚なんて特になかった。


「あと一分だ」


 壱定先輩が告げる。


「では、行ってきますね」


 彼女はにっと笑って、黒い霧へと歩いていく。

 ここで彼女を引き止めて、世界に終末をむかえさせるのも一つの手なのだろうか。

 そんなことをすれば、俺は世界に終わりを迎えさせた人間として死よりも恐ろしい何かが待っていることだろう。

 それに、ここで七罪を止めて世界を終わらせたら七罪は俺に失望するに違いない。



 ─────世界か、妹か。



 誰も彼女を止めることは出来なかった。

 誰もその場を動くことは出来なかった。

 誰もその重たい口を開くことは出来なかった。






 七罪は「大丈夫」と言った。

 彼女は俺を信じて、そう言ったんだ。







 それでも────








 ────俺は、








「どこの世界に─────」







 ────俺だけは、







「妹を易々と差し出す兄がいるんだあああああああああああアアアアッッッッッッッ!!!!!!!」







「……っ!?」







 ─────その場を駆け出していた。







 自分が何をしているのか分からずに、一歩目を踏み出した。

 ただ我武者羅がむしゃらに、また一歩、七罪へと近付く。

 黒い靄へと半身を入れた七罪を引っ張り出して、その勢いのまま俺は真っ黒な、深淵のような霧に身体を突っ込んだ。


 冷たい。


 黒い霧の一粒一粒が氷のように冷たかった。


「お兄さんっ!!!!」


 七罪の声が聞こえた。

 相変わらず可愛い声だ。ずっと聞いていたくなる。

 俺は徐々に見えなくなる七罪の顔を見て、にっと笑う。


 七罪、大丈夫。

 なんたって俺はお前の、兄だからな。

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